藤田妙子(アートスタジオなたね代表)#1
子育てや教室のみんなでやること、いくつも重なっている状況が自分の制作

武蔵野美術大学大学院を卒業後、ロンドンでの生活を経て2016年に岩美町に移住した藤田妙子さん。2019年に「アートスタジオなたね」を立ち上げ、子どもたちへの指導にあたっています。スタジオ立ち上げまでの経緯や想いを伺いました。


- 2919年から「アートスタジオなたね」を立ち上げておられますが、具体的にどんな活動をされていますか?

藤田:こどもや地域の方を対象にした造形教室を開いています。立ち上げたのは2019年だったのですが、コロナウイルスの影響もあって、実質的なスタートは2020年6月からなんです。教室ではみんながやりたいことをやれるようにしたいなと思っています。私が課題を用意することもあるんですけど、「何やりたい?」って聞くと「今日は絵、描きたい」とか、わりとはっきりと「こういうのが作りたい!」と言われるので、「じゃあそれ、つくろうか!」って。こどもたちが作りたいものを私がアシストしていく形でやっています。

技術的な作り方とか構造とか、そういうのもアドバイスの中でちょこちょこと入れるようにはしてるんですけど。やりたいっていう気持ちの方が大事なので、そこを潰さないように気を付けています。

鳥取県立博物館発行『Pass me!』04号の表紙撮影では、スタジオに通う子どもたちも参加(2020年12月)

- 生徒さんに聞いたら、油絵が好きと話している子がいました。

藤田:その子は油絵をやりたいお母さんと来て、じゃあ一緒にやろうかって、一度やってみたんです。分からないなりにやっていたと思うんですが…そうか、好きなんだ。意外だな~。じゃあもう一回油絵をやろうかなぁ(笑)。
スタジオに来ている子たちは、絵を描くよりも工作が好きな子が多いです。手を動かしてできていくのが嬉しいのかなと思って見ています。いま通ってくれているのは、小学校低学年が多いですね。

- いまそれぞれの方が作っているものは何ですか?

藤田:あの子たちは模型作りをしていて、サンタさんの家をつくっているんですけど。まあ、本当にその子その子で違うんです。いまはすごく人数が少ないので対応できているのかなとは思うんですけど、今日来てくれた女の子2人は自分よりも大きな紙に、ウォールアートみたいな、寝転びアートみたいな、自分が入って完成するような絵をつくろうとしています。

- スタジオを立ち上げる以前のことを教えていただけますか。

藤田:岩美にきて5年目になります。出身は東京で、岩美に来るまでは江戸川区に住んでいました。
2011年に東日本大震災があって、その後、こどもが生まれてからは、食べ物に敏感になり過ぎちゃったんですね。家族で西の方に移動しようと考えたんです。鳥取は縁もゆかりも実はないんですけど、鳥取はいいところだよというのを聞いて、それで一回家族で遊びに来ました。東京で移住相談会にも行って、そこでたまたま岩美町の方と話をして、協力隊の話や移住を後押ししてくれるというのを聞いて、じゃあ私やろうかな、みたいな感じで。とんとんとんって決まって、移住を考えはじめてから半年ぐらいでここに来ちゃったんです。

来てからは、地域おこし協力隊の岩美高校のコーディネーターとして3年間、働きました。私はポスターを作ったり、HPを更新したり広報担当でした。地域の方と一緒にイベントを作ったりもしました。

- 美術とのそもそもの出会いはいつだったんでしょうか。

藤田:小さい頃から絵を描くのが好きだったんです。絵ばっかり描いていて、小学校ぐらいで、美大っていうのがあるんだというのはうっすら認識していて、高校に入ってから美大受験のための予備校があるのを知って、高1の夏に行きました。そこからかな? スタートは。絵を描きたいと思っていました。

美大の油絵学科の途中から現代美術の方に進みました。実際に絵を描く作業はほとんどしなっていくんですが、映像つくったりインスタレーションをつくったりしながらも、私自身はずっと絵画の表現手法について問題視していました。昔は実態と虚像を対で見せるような作品を作っていましたね。いまは身体的な、物理的な大きさとそのイメージの差異をどう埋めて繋げて広げるのかの過程に興味があります。

- 個人としての制作活動も続けておられるのですね。

藤田:妊娠してからストップしていたのですが、こどもが小学校に上がって自分の時間がとれ出して、少しずつだけど作品をつくり始めているところです。

若い頃はがっつりと作家活動が中心で生きていたんですけど(笑)、こどもが生まれて、大きく人生の転機があったので、そこで、制作だけを自分の人生の中心に置けなくなってしまって。子育てとか、教室のみんなでやることとか、いくつかが重なっている状況が、自分の制作になってきているのかなって、今は思っています。でも、子育てにもう少し時間が取られそうです(苦笑)。

《つづく》

写真:水田美世

※この記事は、令和2年度「県民立美術館」の実現に向けた地域ネットワーク形成支援補助金を活用して作成しました。また、鳥取県立博物館が発行する「鳥取県立美術館ができるまで」を伝えるフリーペーパー『Pass me!』04号(2021年3月発行予定)の取材に併せてインタビューを実施しました。Pass me!04号のPDFは以下のURLからご覧いただけます。passme!_04.pdf (tottori-moa.jp)


藤田妙子 / Taeko Fujita
武蔵野美術大学大学院を卒業後、ロンドンでの生活を経て2016年に岩美町に移住。2019年に「アートスタジオなたね」を立ち上げた。つくる楽しさ・見る楽しさを大切に指導している。
https://www.artstudionatane.com/

ライター
水田美世

水田美世

千葉県我孫子市生まれ、鳥取県米子市育ち。東京の出版社勤務を経て2008年から8年間川口市立アートギャラリー・アトリア(埼玉県)の学芸員として勤務。主な担当企画展は〈建畠覚造展〉(2012年)、〈フィールド・リフレクション〉(2014年)など。在職中は、聞こえない人と聞こえる人、見えない人と見える人との作品鑑賞にも力を入れた。出産を機に家族を伴い帰郷。2016年夏から、子どもや子どもに目を向ける人たちのためのスペース「ちいさいおうち」を自宅となりに開く。