藤田妙子(アートスタジオなたね代表)#2
気分が乗らない日は、そっかじゃあいいよってここでは言ってあげられる

武蔵野美術大学大学院を卒業後、ロンドンでの生活を経て2016年に岩美町に移住した藤田妙子さん。2019年に「アートスタジオなたね」を立ち上げ、子どもたちへの指導にあたっています。後半は「教える」ことへの想いや今後の展望を伺いました。


- ご自身の活動とそれ以外に求められる役割とのバランスはどうお考えですか。

藤田:うーん、私、のめり込んじゃって他のことが何もできなくなってしまうタイプなので、子育てが始まったときに、自分がここでやめないとネグレクトになるなと途中で思って。作家としての自分にとって、子育ての優先順位は制作よりも下になってしまうので…でもそれはまずいって、自分で気づいたので、制作は一旦やめようと思いました。
男性も子育てを担うようになってきているとはいえ、妊娠して体型が変わり、こどもを産み、乳をあげることで否応なしに生活が変化するのは女性ですし、またその影響で精神的能力(記憶力や判断力など)も変化します。そういう大きな変化があるなかで、女性作家の皆さんどうされているのかなって思います。うまく均等に、割り切ってというか、自分の中で踏ん切りをつけてやっている方はすごいなって思います。そういうのは私にはできないって思ったので。

- ご自身が出産されたからということもあると思うのですが、造形教室を開くきっかけを改めて伺いたいです。

藤田:矛盾しているようですが、やっぱり自分のこどもがいたっていうのが大きいですね。若い時はこどもなんて興味もなかったし、こどもが作るものは面白いなとは思っていたけど、絵画教室をしたいとは思っていなかったですね。
中学校や高校で非常勤をやったりしていて、教えることに対しては違和感なく教えていたんですけど。こどもができたことで、一緒に過ごせるような場所が欲しいなと思ったり、やっぱり自分ができるのは美術を教えることくらいかなと思ったりして。

- 教えることは、東京におられた頃からされていたんですか?

藤田:大学生の時は美術予備校でバイト講師をやって、その後は、関東近郊の高校や中学校の非常勤で働いていました。
本当は、前にやっていた時に、学校で働くのはもうやめようと思ったんですよ。自分、向いてないなって。学校って教科だけじゃなくて、生活指導や人間関係とかもあるじゃないですか。そういうこと全部ひっくるめて見ていかないといけなくて、その時はしんどくて。私は美術を教えるのは好きだけど、そういうことがやりたいわけじゃなかったから、あ、私ここにいちゃだめだなって思いました。

- 教えることは続けたいけど、学校は合わないという感じでしょうか。

藤田:学校だとどうしても縛りがありますよね。集団でとか、規則とか、時間とか、学習っていう括りもあって。制作って基本的に個人の能動的な行動じゃないですか。だけど、強制的に決められた時間の中でやらなきゃいけない。本当はあんまり好きじゃないんです、そういうの。ここのスタジオだったら、今日はなんか、乗らないんだよねっていう日は、そっか、じゃあいいよって言ってあげられる。でも学校はそういう場じゃないですから。

実は、いまも学校で非常勤をやっているんですけど、授業とスタジオでは考え方を少し変えてやってます。授業はあくまでも学習する場だって。けど、美術の知識や技術を教えることはできるけど、制作の上ではひとりひとりの視点が違うのに、全員に同じことを求めるのはちょっと心苦しいですね。

- こちらが意図した通りにはいかないけれど、それはむしろ健全というか、当たり前なことですよね。

藤田:たとえば、クリスマス工作のために必要かなと思って、松ぼっくりを大量に用意したんですよ。全部一度、湯通しして虫抜きして乾かして、きれいにしたんですけど、ほとんど誰も使わなかったんです(笑)。私はこれが素材として面白いと思っても、子どもたちがそうじゃなかったっていう、そういうずれって、必ずあるんです。一人一人違って、使った子もいれば全然興味ない子もいて、でもそれは、すごく面白いなって感じるし、それでいいんだなって思う。

- 鳥取県立博物館の美術振興課さんとの縁は、対話型美術鑑賞の実施を持ち掛けられたからと伺いました。

藤田:NPO法人芸術資源開発機構のARDA(アルダ)で対話型美術鑑賞の研修を受けたんですけど、そこで出会った友達とやろうかっていう話になって。鳥取県に遊びに行くからやろうよって誘ってくれたんです。それで県内で美術作品を持っている美術館さんに掛け合って、鳥取県立博物館の美術振興課さんは「コレクション宅配便」というアウトリーチ活動をされていたので快く受けてくださったんです。ファシリテーターとしてやらせていただきました。

美大の油絵学科の途中から現代美術の方に進みました。実際に絵を描く作業はほとんどしなくなっていくんですが、映像つくったりインスタレーションをつくったりしながらも、私自身はずっと絵画の表現手法について問題視していました。昔は実態と虚像を対で見せるような作品を作っていましたね。いまは身体的な、物理的な大きさとそのイメージの差異をどう埋めて繋げて広げるのかの過程に興味があります。

- 鳥取県立博物館の美術作品が移動する形で、鳥取県立美術館が2024年度中(2025年春)に新設されますが、期待することはありますか?

藤田:今後美術館ができていったら、こどもたちとも鑑賞しに行きたいなと思いますね。やっぱり本物の作品を自分の目で観ることと、その作品がある空間に身を置くことはとても特別なことだと思うので、それを体験してほしいなと思います。いろんな人に開けた美術館になりそうなので、それもすごい楽しみだなと思っています。
こどもたちからは「鳥取は、山や海、 星など風景がきれいだから、そこに溶け込むような美術 館になるといいな!」という声もありました。みんなでわくわくしながら開館を待っています。

鳥取県立博物館発行『Pass me!』04号の取材に参加した、スタジオに通う生徒さん(2020年12月)

《おわり》

写真:水田美世

※この記事は、令和2年度「県民立美術館」の実現に向けた地域ネットワーク形成支援補助金を活用して作成しました。また、鳥取県立博物館が発行する「鳥取県立美術館ができるまで」を伝えるフリーペーパー『Pass me!』04号(2021年3月発行)の取材に併せてインタビューを実施しました。Pass me!04号のPDFは以下のURLからご覧いただけます。passme!_04.pdf (tottori-moa.jp)


藤田妙子 / Taeko Fujita
武蔵野美術大学大学院を卒業後、ロンドンでの生活を経て2016年に岩美町に移住。2019年に「アートスタジオなたね」を立ち上げた。つくる楽しさ・見る楽しさを大切に指導している。
https://www.artstudionatane.com/

ライター

水田美世

千葉県我孫子市生まれ、鳥取県米子市育ち。東京の出版社勤務を経て2008年から8年間川口市立アートギャラリー・アトリア(埼玉県)の学芸員として勤務。主な担当企画展は〈建畠覚造展〉(2012年)、〈フィールド・リフレクション〉(2014年)など。在職中は、聞こえない人と聞こえる人、見えない人と見える人との作品鑑賞にも力を入れた。出産を機に家族を伴い帰郷。2016年夏から、子どもや子どもに目を向ける人たちのためのスペース「ちいさいおうち」を自宅となりに開く。