中島諒人(演出家・鳥の劇場芸術監督)♯2
きれいごとを退けず、近づくことで見えてくる人間性の回復

地方創生の掛け声はあっても、聞こえてくるのは「人口減少」「シャッター商店街」といったネガティブな話題だ。目に見えるものだけを見ると希望はないように見える。しかし、見えないものに光を当てる言葉を生み出したとき、違った風景が見えてくる。演劇はこの社会に住みながら、違う景色を現出させる力を与えてくれるのではないか。


- 鳥の劇場での活動も12年を迎えました。今のところの価値創造や公共性の確立として体感できる事例として、どういうことがありますか?

2017年9月の演劇祭ではオリンピックをテーマにした芝居をしました。2020年開催予定の東京オリンピックでの誘致が決まった際の、IOCにおける安倍首相のスピーチや、リオオリンピック閉会式での東京オリンピックのプロモーション映像を流すなど、殊更の政治利用のニュアンスを含んだ内容でした。
またトルストイの「イワンのばか」では、役者に安倍さんの口調で話させたりと、現代の政治とつないでみたところお客さんにそれなりに響いている様子がわかりました。
これらは安倍批判への同調を意味するだけではなく、政治状況に対する視点を持つことと演劇との関連が違和感なく受け入れられ始めている証だと思います。

いたるところに見つけられる鳥のモチーフ。さりげなく劇場を彩る

僕は演劇というものをいろいろな人たちの考えの集まる広場にしていきたいと思っていて、そのために試行錯誤して来ました。異論が封じられつつある風潮の中で単に冷笑を浴びせるのでのではなく、朗らかに何か言える空間がここで広がり始めているのではないかと思っています。
実は、公共性をいちばん担保するのは、来ていないけれどここの存在を認めてくれている人ではないかと思います。演劇にはさほど興味はないけれど、「どうもあそこがあるのは意味があるようだ」と思ってくれている人。それが鍵になっている気はします。

- そういう人の声は直接拾えませんね。

そうですね。だから状況証拠しかないのですが、ある種の信頼があるのかなと思うのは、近年地域の学校教育との関わりが濃くなっていることです。来年度から地元の小学校と中学校が9年制の学校になり、そういう新しい学校のあり方を模索する中で授業を行うこととなりました。
学校教育も過渡期を迎えており、従来の知識詰め込み型から考え、組み立て、アウトプットしていくことを重視するようになっています。単発で演劇のワークショプをやって「楽しかった」で終わるのではなく、学校の教育の根幹に関わっていきたいなと思っています。

子ども向けのプログラムは近年特に力を入れて取り組んでいる

ー どういうカリキュラムを考えていますか。

さしあたり目指すのは自己肯定感を体感してもらうことです。日本の子供の肯定感の低さは世界を見渡しても抜きん出ています。
表現のワークショップの強みは、学力に関係なくできることです。それによって「自分にはこういうところがあったんだ」とか「あの子はおもしろかった」といった体験が得られ、それが子供同士の関わりを活性化していくと思います。それぞれの普段は見られない力をうまく引っ張り出したい。

ー 不安を描き出す言葉は溢れているだけになおさら自己肯定感は大事です。

不安を克明に描き出したり、批判する言葉は多い。どうも苛立つ方に言葉が傾いています。

ー メディアが発信する情報に慣れてしまう環境に身を置けば必然的にそうなりますね。

特に東京のような大都市だと情報が多いだけに、何かの表現をしても「あれは〇〇風だ」とかすぐに批判的な言葉に寄せて理解されがちです。若い頃のまだ成熟していない表現しか持てない時期にそういう批判ばかりに接したら、育つ芽も潰れてしまう。文化の揺り籠ではあったはずの都市の魅力が薄れてきているように感じます。
そういう意味では、「自分の表現はこういうものだ」と確固とした自信までは至ってなくとも、ある程度の認識が持てる人ならば、地方での活動は自らをゆっくり育てる上ではいい環境と言えます。

ー 地方であっても情報には接することができるわけですから、閉じこもることなく状況と関わることもできます。

だから表現の発展は地方でしやすいのかもしれません。ただ、それが直ちに地方創生に結びつくわけでもありません。どこもかしこも地方創生を唱えていますが、その答えはなくて、たまに成功例が出るとこぞって真似しようとする。
地域が元気になることの鍵は、地域の人が自分の言葉を持つことではないでしょうか。つい「人口減」とか「仕事がない」といったどこかで聞いた言葉で表現しがちですが、そういう大きな言葉ではないところで日々の喜びや苦しみ、楽しさを語る。それが一律に「地方の疲弊」だとかの平板化した状況を変えていくのではないでしょうか。

ー 演劇の試みはまさにそうです。ちなみに鹿野は住民参加のミュージカルを20数年間行っていますね。

やはり言葉を作ることが力になるんだと思います。地方を元気にすると聞くと、観光やインバウンドをどうするかになりがちです。でも、地に足のついた魅力が強さになるのは間違いないでしょう。それには言葉や表現を一般の人がいろんな形で試してみることが大事なんだと思います。

ー より他罰的であれば正しい。フェイクであっても、言い続ければ事実のように扱われる。かつては非難されていた振る舞いも公然と認められるようになっています。いわば人間性に関する互いの合意が取りにくくなっている時代です。演劇は人間から立ち上がるものです。そうであれば、人間に関する定義づけを新たにすることも、今の時代に課せられた役割とは言えないでしょうか。

人はどういう理想を持って生きていくべきか。いかに戦争をしないで生きていけるか。これらはきれいごとではありつつも、退ければいいといった簡単なことでもありません。だから、きれいごとではあってもそれに近づいて行くことに価値が置かれていたのです。それが今は「そういうのは嘘だ」と言うのが流行っています。
注目すべきはそうした分断の言葉ではなく、「人間は助け合って生きて来た」という、これまで積み重ねて来た事実です。しかしながら助け合いを前提にしていた、かつてのコミュニティを礼賛すればいいのでもありません。コミュニティが人間にとって抑圧的だった側面があったのは確かです。実際、近代化の過程で多くの人が都会へ出ていきました。
必要とされているのは、過去を踏まえた新しいコミュニティです。僕らもかつてのコミュニティのあった時代に作られた脚本を上演しますが、同じことを違う形で演じています。

いつの時代も、自分たちの生きている状況を客観化できません。しかしながら、この現況はどんな姿をしているのか?と問い、考えることは芸術全般の大切な機能です。
演劇は人々を空間に閉じ込めることで一時的にそれを体験させます。慣れている「常識」と違う出来事と接することで、その人の中に「余白」が生じます。そういう空間ができたことによって、「今という時代はどういうものなのだ?」という問いが生まれます。
そういう場を作ることが必要です。そのことによって「我々はこう思っている」といった、ニュースという形で流される匿名の、本当らしい顔をした情報ではない、自身に内在する「私はこう思う」と出会うことができるのだと思います。

写真:水本俊也

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中島諒人 / Makoto Nakashima
1966年、鳥取市生まれ。東京大学法学部在学中より演劇活動を開始、卒業後東京を拠点に劇団を主宰。2003年、利賀演出家コンクールで最優秀演出家賞受賞。2004年から1年半、静岡県舞台芸術センターに所属。2006年より鳥取に劇団の拠点を移し、“鳥の劇場”をスタート。二千年以上の歴史を持つ文化装置=演劇の本来の力を通じて、一般社会の中に演劇の居場所を作り、その素晴らしさ・必要性が広く認識されることを目指す。

鳥の劇場
鳥取県鳥取市鹿野町の廃校になった小学校と幼稚園を劇場に変えて、2006年から演劇活動をスタート。劇団名でもあり場の名前でもある。演劇創作を中心にすえ、国内・海外の優れた舞台作品の招聘、舞台芸術家との交流、他芸術ジャンルとの交流、教育普及活動などを行う。
鳥取県鳥取市鹿野町鹿野1812-1
TEL・FAX: 0857-84-3268
info@birdtheatre.org
http://birdtheatre.org/

鳥の演劇祭11
会期:2018年9月6日(木)-9月23日(日)
会場:鳥の劇場及び鹿野町内各所(鳥取県鳥取市鹿野町)
プログラムの予約・申込・問合せ:
TEL 0857-84-3612
engekisai@bitdtheatre.org
http://www.birdtheatre.org/engekisai/

ライター

尹雄大(ゆん・うんで)

1970年神戸生まれ。関西学院大学文学部卒。テレビ制作会社を経てライターに。政財界、アスリート、ミュージシャンなど1000人超に取材し、『AERA』『婦人公論』『Number』『新潮45』などで執筆。著書に『モヤモヤの正体 迷惑とワガママの呪いを解く』(ミシマ社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『FLOW 韓氏意拳の哲学』(晶文社)など。『脇道にそれる:〈正しさ〉を手放すということ』(春秋社)では、最終章で鳥取のことに触れている。