レポート:地主麻衣子 “Brain Symphony” #2

10月24日から12月13日まで鳥取市の旧横田医院にて、ホスピテイル・プロジェクトのレジデンスアーティストとして滞在した地主麻衣子さんによる成果作品展”Brain Symphony”が開かれました。nashinokiによるレポート、後編です。


階段を上がると、三階の展示は三つの部屋に分かれていた。一つ目は、「ブレイン・シンフォニー」の中にも登場していた風車をそれだけで映し出す映像(《風車》2020年)

地主麻衣子《風車》2020年

カラカラと風車が回る乾いた音が聞こえ、二台のモニターに風車が映る。デイスプレイに映った風車の後ろには窓があり、外の街の風景が広がっている。風車からは部屋の入り口、つまり来場者の立つ位置に向かって、電源コードが伸びている。

その部屋の向かい、円形の旧横田医院の中心にある丸い部屋には、スピーカーだけが置かれた部屋に、いくつもの声が流れている(《すながとぶ》2020年)

地主麻衣子《すながとぶ》2020年

「忘れないで」「忘れたくない」「砂が飛ぶ」「消えた」といった複数の異なる声が、部屋に響く。記憶(が失われる)という経験は、人間の精神の内部で時間を介して起こる現象であるがゆえに、視覚映像のみによって体験することは難しい。記憶するそれぞれの「わたし」の内側に響く声は、その状況を聞く者のうちに再現しているように思えた。その声を運ぶのもまた、空気という風だ。これら二つの作品は、映像「ブレイン・シンフォニー」で示されたいくつかのモチーフに、観覧者自らがその身体を向き合わせるように作られているように思えた。

先ほどの「風車」も「すながとぶ」も、電気を使ったモニターとスピーカーにより映像と音が再生されていた。今回の展示では記憶に加え、脳と電気との密接なつながりが重要なテーマとしてあると、リーフレットには記されていた。

人格を形成し、感情や記憶を司る「脳」がその実、電気信号−通信によって動き、風や太陽光といったエネルギーの循環の一部として人類の歴史が紡がれ、自らの生活もまた電気−エネルギーによって成り立っていること。(1)

単なる風車だけでなく、風力発電の風車も映像「ブレイン・シンフォニー」の中では登場していた。作者は人間の脳が、実は電気によって動き、人間がテクノロジーによって作り出していると捉えがちな電気が、人間の脳をも動かすものであったということに(おそらく)驚き(少なくとも筆者はそうだった)、それを作品化している。

人間が自身の外部に作り出すものの象徴にも見える電気が、実は内部で人間自身をも動かすものであったということ。そこには、人間が自然に対し行使してきた主体性が、自らに向かって逆流するような感覚がある。そして自然(風)の中から取り出されたものが、人間の脳をも動かしうること。ここでは自然に対する人間の外的で一方向的な関係が消え、両者の境界が消え去っている。自明のものに思えていた人間性とは、いったいどのようなものなのか、自然から人間を隔てる明確な差異はあるのか、わからなくなる。

地主麻衣子《ブレイン・シンフォニー》2020年

映像「ブレイン・シンフォニー」には、このようなイメージも映し出されていた。もしかすると脳の意識によって自然を対象化し操作する人間の主体性とは、砂が風に吹かれて出来上がる、この風紋のようなものなのかもしれない。自然(風)によっていっとき形作られるが、再び風が吹くことで消え、元の砂に戻っていく。その自然の連続性の中に、襞がたわみこむようにして、かろうじて一瞬成立し、現れ、消えていく存在(2)

とすれば風車は、絶え間なく吹き渡っていく風(自然)の中に羽根を挟み込み、流れを中断させてたわみを作り、わずかに連続性から隔たった場所を生じさせる、そういう作用を果たすものなのではないだろうか。いわば人間を「造り出す」ものとして、ここで風車は捉えられているように思えた。また風車の姿や人間の声が、二つの作品において電気を使用する機器によって再生されていたことは、脳と電気の本質的な関係に加え、現代の人間生活において、電気がいかに生活の奥深くまで入り込んでいるかを示しているように思えた。

地主麻衣子《ブレイン・シンフォニー》2020年

とはいえまた、人間が作り出した物質は、自然界の中に跡を残していく。最後の展示室には、風力発電所を少し離れた場所から捉えた映像と、インスタレーションが展示されていた(《風車の影》2020年)。この作品は先ほどの作品で風と正面から対峙していた状況を、少し引いたところから相対化する視点を提示しているように思えた。

地主麻衣子《風車の影》2020年

映像は実際に鳥取県の北栄町海岸にある町営の発電所を撮影したもので、実物の風力発電用風車を、やや遠方から眺望している。まず耳に入るのは、風車のブレードが回転し風を切り裂く低い音、そしてそれが回る黒い影が、こちらに向かって音とともに投げかけられている。影はとても大きく、中央にある風車はある程度距離を保って見える気がするのに、何か妙な不穏さを感じさせる。考えてみると、この巨大な影は映っている風車のものとしては大きすぎることに気づく。そう、カメラは真上にある別の風車のそのすぐ足元で、この光景を捉えている。巨大な低音と影は、その頭上の風車のものだ。

風力発電は環境負荷の少ない再生可能エネルギーであり、特に2011年の福島原発事故以後原子力や火力に代わる発電方法として、多くの人々が期待を寄せてきたものだった。とはいえこの映像が伝える不穏さは、そこに潜む「影」、孕まれる問題を示しているように思える。偶然にもこの展示準備中、鳥取県内では複数の大型風力発電の計画が進んでいることが明らかとなった(3)。日本に前例のない規模の大型風車を山間部の山の尾根に多数建設するこの計画では、風車から発される低周波の騒音が住民の健康に及ぼす影響、山林の伐採等による生態系の破壊、土砂災害の危険の増大など、風力発電が必ずしも環境負荷が少なく、住民のためによいものとは限らないことを明らかにした(4)。ここに映る不穏さは、そのような事実を表しているように思われる。さらにはまた、そこから現代のテクノロジーの孕む問題性へと連想を誘う。

映像の前には、発電所の周辺から取ってこられたと思われる石や、スクリーンの右側にはフェンスからの連続を思わせるような、プラスチックの波状ボードが設置されていた。この展示空間と映像の中の光景は地続きである。そう告げるように、作品は、わたしたちが電気や風にかかわる「現在地」を示しているように思われた。

地主麻衣子《風車の影》2020年

とはいえまた、映像の前に置かれた石は、映像の中に映るものと、この石との差異を示しているようでもあった。石はテクノロジーとしての風力発電所を前にして、目の前に打ち棄てられているように見え、しかししばらく見ていると、重ねられた石が、まるで地蔵か墓石でもあるかのように、観覧者とともにこの風車を眺めているように見えてきた。

石の中にあるものは遠く、相互の意思疎通は難しいもののように思える。石の声に耳を澄まそうとしても、中はずっと沈黙した粒子で埋めつくされ静まっている。こちらから何かを呼びかけることもできない。それでも、そこには確かに何かがある。そのようにも感じられる。それに、じっと耳をすませる。

風と比べたとき、石の形成に必要なもの、それは何だろう。風がどこからかやってきて、一瞬で吹き過ぎていくのに対し、石を発生させるのは、時間ではないだろうか。石の中には、人間の生きる年月を上回る、遥かに長い時間が蓄積されている。その時間は、単に含まれる要素の一つではなく、石を成立させる原理そのものだ。石に耳を当てれば、そこに吹いていた風の音が聞こえてきそうな気がする。石の中には、その石がこの場所にやって来る前、もともと形成された世界、その環境が保存されている。そこに吹いていた風、そして石として出現した後もその上に吹いていた風が、跡をとどめている。

電気によって生まれる人間の意識、脳の営みもまた、自然の連続性の中の一瞬の瞬きのようなものとして生じるが、同時にそれは形成された物質として時間の中に登録され、新たな自然となり、その連続性の中に組み込まれていく。脳は化石となり、やがては石と化していくかもしれない。他方で人間の作り出したプラスチックは、海に流れ微粒子と化し、海洋を汚染し続ける。そのようなわたしたちの営みは、必ず地球に跡を残す。

展示”Brain Symphony”は、このようにわたしたちの生の営みを捉え返し、しかしそれを価値づけるというよりは、ただ静かに見つめているように思えた。それぞれの事柄の両義性に目を向け、そこにあるわたしたちと世界との関係を、新たに一から描き直すように。

地主麻衣子《ブレイン・シンフォニー》2020年

リストにある最後の作品は、円形の旧横田医院の屋上に出て吹いてくるそのままの風を感じる、「風」というタイトルが付けられていた。ただしその作品は、通常の展示期間中には、安全上の理由から見ることができなくなっていた(オープニングイベント当日のみ、屋上は開放されていた(5))。

屋外作品としての「風」は、展示”Brain Symphony”で描かれた、脳や自然が電気と関係する世界からの出口を示すようでもあり(同時に非公開とされていたことは、その可能性が単純なものではないことを示していた)、あるいは観覧者に、再び世界の感触をたしかめさせようとするようでもあった。

屋上に出たとき、筆者はたしかに解放を感じた。外に出て深く吸い込む息は、生命としての身体を養い、吐き出すことで落ち着きを与えた。しかしそれとともに、風に新たな感触が付け加わっていることも感じた。わたしたちは内奥まで風にさらされ、その流れの中に浸されている。あるいは、わたしたち自身が風である。そのようにすら洩らしたくなる衝動が、この展示をくぐり抜けた後、筆者の身体の中には生まれている。

〈おわり〉

写真:水田美世

1.「HOSPITALE 2020 Gallery Program, Maiko Jinushi Solo Exhibition, 地主麻衣子|Brain Symphony 会場map」
2.人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅する。こう言ったミシェル・フーコーの言葉を思い出す(ミシェル・フーコー著、渡辺一民・佐々木明訳『言葉と物―人文科学の考古学―』1974年、新潮社、409頁)。
3.県内では「(仮称)鳥取風力発電事業」をはじめ、現在三つの大型風力発電事業が計画されている(https://www.pref.tottori.lg.jp/279146.htm)。また同様の大型風力発電所の計画は、全国で計画され進んでいるが、各地で住民との軋轢を引き起こしている。ただし、風を扱う本展の発想自体は、この計画の発覚以前に作者に生まれていたものだという。
4.風力発電の風車からは低周波という低音が発され、それが騒音となって近隣住民に睡眠障害を引き起こす事例が多く報告されており、生態系への被害としては、森林伐採に加え、野生鳥類が風車の羽根に巻き込まれて命を落とすバードストライクの危険が指摘されている。また耐用年数が切れた風車が事業者によって放置されたままになる事例もあり、このような不安から計画に反対する人は多い。昨年鳥取市民を中心として、この事業の中止を求める約1万4千筆の署名が集まり、県に提出、受理された。一方鳥取市は、市は事業主体ではないとして署名の受け取りを拒否している(「日本海新聞」2020年10月29日)。住民の不安をよそに、事業者(シンガポールに本社を置く「ヴィーナ・エナジー」の日本法人「日本風力エネルギー」)は、知事意見によって求められている住民への十分な説明を欠いたまま、着々と計画を進めている(2021年2月現在)。
5.オープニング当日には、作者である地主さんのトークに加え、作品に出演したにゃろめけりーさんと、音楽を担当したやぶくみこさんによるライブも行われた。


掲載作品
地主麻衣子《風車(VHS/ メディアプレイヤー)》2020|映像、テレビビデオ、液晶モニター、メディアプレイヤー|01:04(ループ)|撮影・編集:地主麻衣子|録音:やぶくみこ
地主麻衣子《すながとぶ》2020|サウンド、スピーカー|サイズ可変|声の出演:飯田菜生、岩崎淳志、大久保藍、角野綾香、小林あまね、佐伯恵里、武田知之、中村友紀、根路銘翔以李、宮北温夫|録音・編集:地主麻衣子
地主麻衣子《ブレイン・シンフォニー》2020|映像、プロジェクター、メディアプレイヤー、スピーカー|7:57(ループ)|出演:周山祐未、根路銘翔以李|撮影・編集:地主麻衣子|音楽:やぶくみこ|造形物制作:高石昇、地主麻衣子|撮影協力:大下加奈恵、佐伯恵里、武田知之、宮北温夫
地主麻衣子《風車の影》2020|映像、プロジェクター、メディアプレイヤー、スピーカー、石、ポリカーボネート波板|01:02(ループ)|撮影・編集:地主麻衣子|録音:やぶくみこ

地主麻衣子《風》2020


展覧会「ブレイン・シンフォニー」
地主麻衣子
Solo Exhibition: Brain Symphony ― Maiko Jinushi

会 期|2020年10月24日(土)-12月13日(日) 13:00〜18:00 ※火・水・木は休館
ギャラリートーク|10月24日(土) 16:00-17:00
オープニングパーティー|10月24日(土) 17:00-
入場料|無料
会 場|旧横田医院 (鳥取市栄町403)

アーカイヴ映像|Maiko Jinushi “Brain Symphony” at Hospitale Project on Vimeo


地主麻衣子/Maiko Jinushi
1984年神奈川県生まれ。2010年多摩美術大学大学院絵画専攻修了。近年の個展に「欲望の音」(2018年、HAGIWARA PROJECTS/東京)、「53丁目のシルバーファクトリー」(2018年、Art Center Ongoing/東京)、「新しい愛の体験」(2016年、HAGIWARA PROJECTS/東京)など。近年のグループ展に「表現の生態系 世界との関係をつくりかえる」(2019年、アーツ前橋/群馬)、「第11回 恵比寿映像祭」(2019年、東京都写真美術館)、「黄金町バザール2017」(2017年、黄金町エリア/神奈川)、「Unusualness Makes Sense」 (2016年、チェンマイ大学アートセンター/タイ)など。2019-2020年、ヤン・ファン・エイク・アカデミー(オランダ)のレジデンスに参加。 http://maikojinushi.com/

ライター

nashinoki

1983年、鳥取市河原町出身。鳥取、京都、水俣といった複数の土地を行き来しながら、他者や風景とのかかわりの中で、時にその表面の奥にのぞく哲学的なモチーフに惹かれ、言葉にすることで考えている。