野坂勇作(絵本作家)#1
出来なさそうなものこそ、自分の手で生み出したい

絵本や児童書を専門に出版する福音館書店から多くの作品を発表し、1985年のデビュー以来、30年以上に渡り絵本作家として活躍する野坂勇作さん。今年は、月刊『こどものとも年少版』8月号として新作「すすめ ろめんでんしゃ」を発表されました。
島根県松江市生まれ、広島育ち。多摩美術大学中退後に佐渡島で農家に住み込みで働くという体験などを経て、現在は鳥取県の米子に暮らしながら創作活動に取り組んでいます。


― これまで30冊以上の絵本を発表されていますが、文章も絵も、作品それぞれに異なる魅力があふれています。

野坂:「野坂の七変化」だと、作家仲間は言ってくれますね。作品ごとに絵のタッチや文体、内容の構成を変化させるのは、生みの苦しみがあります。でも、出来なさそうなものを自分の手で生み出してみたいという気持ちが、作品に向かう大きなエネルギーにもなっていて。

デビュー作の「ゆきまくり」(1985年)は、木の板に油絵の具で描きました。日本海側の水分を多く含むしっとりたっぷりとした雪の姿を、少しシュールな感じで描いています。雪の表情をいろんな言葉で表現していて、「だんびら」というのは、ぼたん雪を呼ぶ出雲地方の方言です。2作目の「ふゆのあらし」(1988年)は、佐渡島の海岸線で、冬の季節風が波を強く打ち付けることで生まれる、波が泡立つ現象「波の花」をテーマにしています。細かな泡の表情を表現するのに、実際に粒子の小さい泡をつくって紙の上に乗せて、固まったらそれを削って色をのせていく、という手順を踏みました。

30作以上にのぼる絵本の数々。中には韓国語や中国語に翻訳された作品もあり、数多くの子どもたちの手に渡っている。

― 非常に手の込んだ描き方ですね。3作目の「どろだんご」の泥の描写も、水を含んでたぷたぷした感じとか、艶とか、本当にこれぞ泥だ、という感じで。

野坂:「どろだんご」(1989年)は、「ゆきまくり」の担当編集者だった定村渥子さんからの提案がきっかけで取り組んだ作品です。ある日突然定村さんから、詩人のたなかよしゆきさんが書いた「どろまんじゅう」という文章が送られてきて、これに絵を付けてみないかと。
自然現象を克明に追っていた2作目までの路線とは違うので、出来るかどうかわからないと、2日間悩みました。ただ、編集者として定村さんが僕を育てようとしている思いは伝わっていたので、お受けしたんです。

この絵本を制作するにあたっては、取材した広島県廿日市市の「かえで幼稚園」の園庭の土と、文章を担当したたなかよしゆきさんが暮らす奈良県大和高田市の畑の土、そして担当編集者だった定村さんが暮らす東京都中野区の庭の土をブレンドして、オリジナル泥絵の具をつくったんです。どんな画材を使っても泥の感じが出ないので、ならば自分でつくろうと。ブレンド具合は極秘なのですけれども(笑)

これを機に「野坂さん、もっといろんな描き方に挑戦して良いですよ」と編集サイドは言ってくれまして。僕も驚かせてやりたいという気持ちが沸いてきて。その後はパステルでファンタジーを描いてみたり、針金ハンガーを折り曲げて造形したりと、さまざまな表現に取り組んでいます。

広島、奈良、東京の3か所の土をブレンドしたオリジナル泥絵の具で描いた「どろだんご」(1989年)。子どもの手の表情もさまざま。

― 絵本作家として福音館書店からデビューされたきっかけを教えてください。

野坂:大学を中退して佐渡島に2年暮らし、新潟時代を経て広島に帰ってから、日本エディタースクールという、当時としては唯一編集者や出版人を育てる学校に通信教育で学びました。絵本作家になりたいという思いは固まっていたので、一生のうちで一番勉強したと思います。だから割と優秀な成績で。通信教育部長兼出版部長に、絵本作家になるにはどうしたらよいのかと相談したら、ある日手紙が届きました。「僕の知った人で子どもの本の編集をしている人がいます。思いがもし強いのであればお目に掛けるだけのセッティングはしますが」という内容だったんですね。そんなお言葉は夢心地で、本当に嬉しくて。その編集者というのが、当時、福音館書店の月刊「かがくのとも」を担当していた前述の定村さんでした。実は紹介してくれた方の奥さまだったんですね。電話をしたら、「話は伺いました。○月〇日に来られますか?」ということで、上京しました。

定村さんは小柄な女性でしたが、長谷川摂子(※1)さん、甲斐信枝(※2)さんなどを担当されてきた敏腕編集者だと後に知りました。通り一遍の挨拶をして、「つきましては何かアイディアを持ってきましたか?」と言われたんです。僕は何も持ってなかった。本来ならば作品を持って行かないといけない場面だったのです。他の人たちはみんな作品を持っていろんな出版社を回って売り込みに行っていた時代でした。そんな礼儀を知らなかったものだから、一気に場の雰囲気が怪しくなって…(笑)。

その次の言葉として「野坂さんは何か出来るんですか?」と強く言われて。売り言葉に買い言葉みたいな感じで「できますよ!」と、僕も意地になって答えました。全然自信はなかったですけど。とにかく本みたいにして綴じたものを送ってくれと言われたんですね。それでできたのが「ゆきまくり」の原型です。わら半紙に色鉛筆で描き、文章を添えたものでした。

月刊『かがくのとも』1985年2月号として発表された「ゆきまくり」。後にかがくのとも特製版としてハードカバーに。

― かなり強烈な出会いがあったのですね。でも最初の提案でデビューが決まるなんて、すごいです。

野坂:海のものとも山のものとも分からない田舎者だけど、何だかやりたそうだからやらせてみようという、編集者のセンスというか閃きのようなものがあったと思います。何も持たずに行って、何者だと思われたことが結果的には良かったのかも。定村さんは、僕の絵本作家としての生みの親、育ての親です。

デビュー後の4年間は大変でした。収入もなくて。作家は普通何作かストックを持ちながら同時並行で制作するのですが、僕には次に提案できるものがなかった。そんな時、佐渡島生まれの連れ合いから、「波の花」って知ってる?素敵だよ、という提案があり、冬の海が生み出す泡という現象は面白いかもしれないねと定村さんも言ってくれて、ようやくまとまったのが2作目の「ふゆのあらし」でした。冬の海の変化全体を捉えようと、取材だけでも3年かかりました。一番の踏ん張りどころというか、これが完成しなかったら、絵本作家を続けていなかったかもしれない。途中で担当の編集者が変わるという波乱もありました。

― まさに「ふゆのあらし」と呼べる状況…。作家と担当編集者の関係は重要なのですね。

野坂:作品に取り掛かるところから編集者との二人三脚が始まるので、全体の方向性は最初の編集者が良く知っています。ですから、いくら引き継ぎますといわれても、根っこのところが引き継がれているかは分からず、作家としては大きな不安材料になります。幸い、「ふゆのあらし」は大石亨さんという力量のある編集者が現れて。

大石さんはフィールドワークの人でしたね。どこにでも取材に同行してくれました。喘息持ちで、いつどこで発作が起こるかもしれないというのに。昔の編集者は作家とは公私を共にという感じで。つくっていく段階で「これは無理かも」と思う局面が作家サイドにあったり編集サイドにあったりしてうまくいかない時も「あの取材で僕たちはこんな風に感じたよね」と体感のなかに共通項があると、その壁を乗り越える力になる。

「ふゆのあらし」はデビューから3年後、ようやく出版に漕ぎ着けました。結果的にこの作品で野坂勇作という作家を知ったと言ってくれる方も多くいます。西村繁男(※3)さんも片山健(※4)さんも、この作品をみて不思議な奴が現れたと言ってくださって。

― 編集者との関係のなかで、他に印象に残っていることはありますか。

野坂:一番長く担当してくれたのは、編集部長を経ていま取締役編集担当になっている川崎康男さんです。物静かな方だけど、暗中模索の作家に対しては、見計らったようなタイミングで的確にコメントしてくれました。半歩先を照らしてくれる、とてもいい編集者ですね。

松本徹さんという編集者も素敵な人で。NHKの番組「詩のボクシング」で「パブロ・サンチェス・松本」として長年リング・アナウンサーを務めていた方です。羽目を外す楽しさを持っていました。昔は面白いことを考えていた人がいっぱいいた気がします。「ふゆのあらし」も「ゆきまくり」も、今の時代では出版されなかったかもしれないですね。

若い時は本当に編集者に鍛え上げられました。これまで10名以上の方と組んできましたが、自分よりも年上の編集者が少なくなってきました。若い編集者の皆さんが、逆に私から得ていることがあったら嬉しいですね。

#2へ続く

※1:1944-2011年。島根県平田市(現出雲市)出身の児童文学者・作家。代表作に、絵本「めっきらもっきらどおんどん」(1985年、ふりやなな 絵)や「きょだいなきょだいな」(1988年、ふりやなな 絵)、エッセイ集「人形の旅立ち」(2003年)など。いずれも福音館書店刊。
※2:1930年広島県生まれ。絵本作家。代表作に絵本「ざっそう」(1972年)や「つくし」(1994年)、「雑草のくらし : あき地の五年間」(1985年)など。いずれも福音館書店刊。
※3:1947年高知県高知市生まれ。絵本作家。代表作に「にちよういち」(1979年、童心社)、「やこうれっしゃ」(1980年、福音館書店)、「絵で読む 広島の原爆」(1995年、那須正幹 文、福音館書店)など。
※4:1940年東京都生まれ。絵本作家。代表作にコッコさんシリーズ「おやすみなさいコッコさん」(1982年)や「コッコさんのともだち」(1984年)、「タンゲくん」(1992年)など。いずれも福音館書店刊。


野坂勇作
1953年、島根県松江市生まれ。広島県で育つ。多摩美術大学工業デザイン科中退。その後、新潟県佐渡島で農業に従事するかたわら、ミニコミ誌『まいぺーす』を編集。絵本「ちいさいおうち」(岩波書店)に再会することで、絵本を描き始める。主な作品に「あしたのてんきは はれ? くもり? あめ?」「どろだんご」「オレンジいろのディゼルカー」など。今年は、月刊『こどものとも年少版』2017年8月号で「すすめ ろめんでんしゃ」を発表。

福音館書店
http://www.fukuinkan.co.jp/

ライター

水田美世

千葉県我孫子市生まれ、鳥取県米子市育ち。東京の出版社勤務を経て2008年から8年間川口市立アートギャラリー・アトリア(埼玉県)の学芸員として勤務。主な担当企画展は〈建畠覚造展〉(2012年)、〈フィールド・リフレクション〉(2014年)など。在職中は、聞こえない人と聞こえる人、見えない人と見える人との作品鑑賞にも力を入れた。出産を機に家族を伴い帰郷。2016年夏から、子どもや子どもに目を向ける人たちのためのスペース「ちいさいおうち」を自宅となりに開く。