個別具体のものを分かち合うと、どんなことが起こるだろう
HATSUGAスタジオオープニングイベント 松本篤さんトーク レポート

鳥取県立美術館の開館へ向け地域と交流を深める拠点として、2022年11月12日にオープンしたHATSUGAスタジオ。オープニングでは同年の夏ごろから倉吉でのリサーチプロジェクトをスタートさせている映像人類学者・松本篤さんによるトークが行われました。


アートの種が“HATSUGA”する場としてオープン

名前の由来は、これまで県立博物館が主導してきた美術館づくりのプロジェクト「アートの種まきプロジェクト」から。どういう美術館にしていくべきかをゲストや参加者と話す場として2015年から開く「ミュージアムサロン」をはじめ、2018年から“県民とつくる”ことをコンセプトに始まったフリーペーパー「Pass me!」の発行や、関連した編集やライティングのワークショップなども実施。たくさん蒔いた種からそろそろ芽が出ても良いのでは?という発案から命名されたそうです。

鳥取県立倉吉東高等学校にも近く、入り口近くには淀川テクニックさんの作品《プラアホウドリ》も常設されている

今回のゲストの松本篤さんは、「NPO法人記録と表現とメディアのための組織(remo)」のメンバーで、その中の「AHA!プロジェクト」のリーダーとして地域のアーカイヴづくりや活用などを進めてきた方。アーティストや研究者の独自の視点から知られざる地域資源を発掘し県内外に伝えていくことを目的に、HATSUGAスタジオが拠点となる新しい活動「アート・フィールド・リサーチ・プロジェクト」の講師の一人として招かれ、夏ごろから調査に入っています。トークでは自己紹介も絡めてこれまでの別の地域での活動の紹介や、倉吉での展開についてお話されました。

思い出は誰のものなのか?

冒頭、松本さんから共有されたのは「思い出は誰のものなのか?」という問い。加えて、参加者へは「象を見たことはあるか?どこでみたか?」ということも聞かれました。見たことがない/覚えていない/覚えていても不明瞭、という方が多く、また、年齢も生育過程も異なれば、象の記憶は個別でまとまりのないものと思われます。しかし松本さんは「記憶自体はバラバラだけど、大切なものを共有していたり、個別具体のものをそれぞれに分かち合っているような状況が、記憶を扱う場で生まれることがある」と語ります。

AHA!のプロジェクトとして2015年より東京・世田谷を中心に継続してきた8ミリフィルムの上映会

例えば、8ミリフィルムの上映を行う際、そこに映っている誰かの私的な記録を見ることによって、他者が自らの記憶を語りはじめることが度々起こる。この時「誰かの記憶というのはその人だけの記憶ではなく、実は一時的に、誰かのものがその場の皆のものになっていることもあるのではないか」と松本さんは解くのです。

プライベートな記録が他の誰かのものになり、みんなのものにもなる

具体的な活動事例としてまず紹介されたのは、トーク時に刊行間近だった『私は思い出す 11年間の育児日記を再読して』(以下、『私は思い出す』)という本。これは、仙台市にある「せんだい3.11メモリアル交流館」から、東日本大震災の10年目の節目の展覧会として依頼があり実施したプロジェクトで、ある女性の育児日記を題材にしています。

30万字以上の収録となった『私は思い出す』の分厚い束見本を手に話す松本さん

震災のちょうど9ヶ月前の2010年6月11日に誕生した第一子の育児日誌をその女性が再読し、本人が思い出したことを再度記録。震災に主語を置くのではなく「私」を主語とした記録の中に、震災がどう溶け込んでいるかを見ていくことで、震災の在り様がより伝わる場合もあるのでは?という考えがあったようです。テキストには、毎月11日を小さな区切りとして、「私は思い出す」から始まる短文が付けられています。

松本さんが声に出して読み上げる短文を聞きながら、私自身も、関東で被災したときのことを思い出していました。大きな地響きが遠くから近付いてくる感覚、被爆するのではないかと外に出るのが怖かったこと、計画停電中の暗闇と静けさ…。加えて、私の第一子も今ちょうど生まれてから10年の月日が経っています。私自身の被災と子育ては時間軸がずれますが、ちいさい命を抱えて必死な毎日だったことを思うと、そこに被災が重なった状況はどんなに大変だったろうと、想起せずにはいられませんでした。

イメージが立ち上がってはまた消えていく「本」というアナログな場をつくる

もう一つの活動事例として紹介されたのは、『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』(以下、『花子のいる風景』)という記録集。井の頭自然文化園(東京都武蔵野市)で長らく飼育されていたアジア象の「はな子」にまつわる記録として2部構成になっており、1部では、はな子と写った一般の方々の写真と、その写真が撮影された日と同日のはな子の飼育日誌の記録とで構成され、2部には写真を提供された方への「あなたが失ったものを教えてください」というアンケートの回答リストが掲載されています。

1部には、基本的にページ毎に写真が1枚ずつ掲載され、その下に飼育日誌の記述が付けられている

1部に掲載された大部分の写真は手前に映る人物にピントが合っているのですが、一緒に記載された飼育日誌が作用し、私的な写真の記録はページを捲る毎にはな子のストーリーになっていきます。1部の最後のページまで行くと、その裏表紙に第2部があらわれ、今度は時間を遡っていく順番で、写真の提供者が失ったものについて書かれたテキストを読み進めることになります。1部で個人の記録からはな子の記録に移っていくようなプロセスを辿って花子のストーリーになっていったものが、2部ではもう一度提供された個人の物語に戻っていくことが狙いとしてある、と松本さん。2部が終わるとまた1部に戻っていき、イメージが行ったり来たりしながら立ち上がってはまた消えていく、その繰り返しの動きを「本」というアナログな場で試みたといいます。

2部には写真提供者への「あなたが失ったものを教えてください」というアンケートの回答が時代を遡る順番で掲載
疑似的な読書体験として、写真提供者からのアンケートに対する回答を、該当写真に照らして読み上げる松本さん

大きな物語からこぼれ落ちていくものに着目をし、それをすくい上げていく

松本さんは実は、2018年に当ウェブサイト+○++○(トット)が開いた「もちよりパーティー」の1回目に参加され、二十世紀梨を持ってにこやかにカメラに写る姿が過去のレポート記事にあがっています。当時は『はな子のいる風景』の記録集が刊行されて半年経つか経たないかくらいの時期。松本さんは記録集を携えておられて、ページには何枚もの付箋が貼られ、表紙には擦れもあり、すでに何度も何度も誰かの手に取られ捲られてきたと分かりました。何重もの記録がもたらす記憶の層の厚さと、読み手への弾力のあるアプローチが様々なベクトルで広がっていることに新鮮に驚き、心を動かされたことを思い出します。

『私は思い出す』『はな子のいる風景』、いずれのAHA!プロジェクトにも共通しているのは、大きな物語からこぼれ落ちていくものに着目しすくい上げていくことであり、その記録からわからないもの、記録には写ってないものを、その人の記憶によって補完しそれをまた記録に残していくこと。私的な記録とそこに付着している記憶、それをいかに集めてみんなのものにしていくことができるか。松本さんは倉吉のこの場所でもそんなことを考えてリサーチを行っているそうです。

松本さんが4年前に携えていた『はな子のいる風景』の記録集のように、私だけの記録や思い出が、じっくりと練られ丁寧に編集され、何度も何度も人の手にとられ、別の誰かの記憶に触れていくとしたら。『私は思い出す』で記された女性の記憶が、私自身のものにもなっていったように、もしかしたら、見ず知らずの誰かや、みんなのものになっていくのだとしたら。困難さもあるけれども、面白さを感じてくれる人たちと一緒にプロジェクトを進めたいと話す松本さん。未だ見ぬアウトプットのかたちに期待が膨らみます。

※その後、2023年3月25日に開催された中間報告会では、県内の様々な記録にアプローチした様子や、倉吉でのプロジェクトは「鮭の遡上」をテーマに展開していくことが報告されました。


HATSUGAスタジオ
美術館が開館するまでの間、アートやアーティストの存在を感じながら多様な交流を作る拠点として2022年11月12日にオープンしたスペース。鳥取県立博物館美術振興課が2015年より行ってきた「アートの種まきプロジェクト」を経て、アートの芽が芽生えていくことを願い名付けられた。
所在地|鳥取県倉吉市下田中町870 中瀬ビル1F エディオン倉吉店隣

AHA!プロジェクト

8ミリフィルム、写真、手紙といった、市井の人びとの記録。そんな「小さな記録」に潜む価値に着目したアーカイブづくりを行なっている。remo[NPO法人記録と表現とメディアのための組織]を母体として、2005年に始動。正式名称は、AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]。 https://aha.ne.jp/
わたしは思い出す I remember – 11年間の育児日記を再読して (aha.ne.jp)

ライター

水田美世

千葉県我孫子市生まれ、鳥取県米子市育ち。東京の出版社勤務を経て2008年から8年間川口市立アートギャラリー・アトリア(埼玉県)の学芸員として勤務。主な担当企画展は〈建畠覚造展〉(2012年)、〈フィールド・リフレクション〉(2014年)など。在職中は、聞こえない人と聞こえる人、見えない人と見える人との作品鑑賞にも力を入れた。出産を機に家族を伴い帰郷。2016年夏から、子どもや子どもに目を向ける人たちのためのスペース「ちいさいおうち」を自宅となりに開く。