坂本和也(画家)#3
日本を離れてここにきた僕が、何を感じて何を描くべきか

1985年鳥取県米子市生まれで、新進気鋭の画家として注目を集める坂本和也さん。2017年3月には郷里にある米子市美術館にて若手作家支援展「坂本和也 -Landscape gardening-」を開き大盛況となりました。また、同年9月からは文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として、台湾の台北市での滞在をスタートさせています。インタビュー3回目は、滞在がはじまって2か月半後、現地での生活のことや心境の変化などについて伺いました。


― 台湾に入り2か月半が経ちました。台湾での生活や作品制作は順調ですか?

坂本:単純に作品をつくるということだけを考えると、台湾は何でも不便です。需要が少ないからだろうと思いますが、絵の具とか日本と比べて高いですし。中国語が話せないので、誰かに何かを頼みたくても、自分では直接お願いできなくて、作品すら運べない。日常生活も、気合で乗り切っています(笑)

滞在している台北の部屋からの眺め。

台湾の人たちって、3食とも外食する人がかなり多いんです。朝ごはん専門のお店とかがあるくらい。部屋探しの時も、一人暮らし用だとキッチン付きの部屋ってなかなか無くて。それなのに、僕は言葉が分からないから、初めの1カ月間くらいは、ひとりで外食もろくに出来なくて。最近は慣れてずうずうしくなってきたので、話せないなりに何とか頑張って意思の疎通をしています。買い物に行っても、「袋は要るか?」「要りません」くらいの会話しかできないし、不便ではあるけれど、何というか、逞しくはなってきました。
台湾の方は本当にフレンドリーで、海外の人間だからと排除したり邪見に扱ったりすることはなく、困っている人には優しく接してくれる方ばかりなので、嫌な思いはしたことないですね。いつも助けてもらっています。

― 1回目のインタビューの時、日本では毎日のように作品制作に向かっていると伺い、かなりストイックな印象を受けたのですが、台湾では様々な場所に出掛けたり現地でしかできない経験も大事にしているようですね。

滞在しはじめた当初は、毎日のように制作をしていたのですが、ずっとスタジオにこもっていたら、日本にいようが台湾にいようが変わらないということに気付いて。今はなるべく色んな場所に足を運ぶようにしています。

台北の市場の様子。

文化や自然、色々な経験をする中で、何を感じるのか、それをどうアウトプットするのかを考えるために、今は吸収している感じですね。
明らかに日本とは違うことがたくさんあるので、それを経験することで、逆に日本で生まれ育ってきたことに敏感になるという感じが非常に新鮮です。アンテナをはって色んな場所に出かけて経験を積むことで、何をどう作品に昇華するのかを考えています。

― 国立故宮博物院(※1)には足繁く通うことになりそうだとのことですが、どういった点が坂本さんにとって興味深いのでしょうか。

国立故宮博物院には、多くの歴史的文化財が収蔵されていますが、間違いなく西洋にはないアジア独特の美学や価値観、技術の高さが感じられて。
すっごいんですよ。今では技術的にも資金的にもつくることができないものもたくさんあって。人間の手の営みの尊さをこんなに感じられるなんて、本当に贅沢な経験です。何百年にわたって一つの作品をつくるとか、訳わからないですよね、もう。

国立故宮博物院に収蔵されている青白磁のコレクション。

台湾について割とすぐの時期に、台湾のアート事情というか、現地のアーティストの表現を知りたくて、美術館やギャラリーで同世代や上の世代のアーティストの作品を見てきたのですが、ものすごい西洋っぽい作品が多くて。たまたまかもしれませんがそのことが僕にはものすごく衝撃で。「えっ?これを描いたのはヨーロッパの人でしょう?」って言われそうな作品なんですよ。西洋で活躍している作家のペインティングに似たようなものをすごくたくさん見てしまって。
日本同様、台湾の人たちにとってアートはもともと西洋から入ってきたものなので、西洋に憧れて、その歴史なり技法なりを学んでそれを踏まえて描いているのだと思うのですが。故宮にあんなにいいものがたくさんあるのに、どうして? と感じてしまった。
日本も同じ島国ですから、アートは西洋から入ってきた概念で、大雑把に言えば台湾と同じ状況下にある。僕も生まれ育った場所を離れて台湾に来ているわけだから、非常に複雑なんですけど、どうしようもない違和感が僕の中にあったんですね。この変だなと思った感覚は、反面教師というか、自分自身の表現を考える上で重要なことなんだろうと思っています。

- 気候や植物の様子などはどうですか?

坂本:台北は台湾の中でもかなり都会ですが、街中でもいたるところに緑が溢れていて。みんな好きなんでしょうね。自宅でもどこでも植物を育てている。「育てている」というよりも「飼っている」みたいな感じで。その植物たちの生命力が半端ないんですね。そんなところから木が伸びるの!?って、びっくりすることも多々あって。とにかく暖かいから植物にとっては天国ですよね。雨も多くて、びっくりするくらい降る。湿度高いし。来た当初の9月は本当に暑かったですよ。

建物の中庭のような比較的日当たりの悪い場所でも良く育つ植物たち。

まち自体にも生命力があって、良し悪しは別として、一昔前の日本みたいな活気が感じられます。これからどんどん成長するぞっていう。まだ台南の方は訪れてないんですが、台北とはまた違った良さがあるでしょうね。近いうちに行く予定です。

台北市内。バイクの交通量が多い。

- 台湾で制作されている作品は、これまで日本で描いていた作品から変化しているという実感はありますか?

坂本:変化は出ているかもしれないし、出てないかもしれない(笑)。まだ2カ月半ですからね。
ただ、闇雲に描くという感じにはならないように意識しています。日本にいる時はあまり手を止めるということはしなかったんですよね。ずっと毎日毎日、休みなく手を動かしていたので。台湾に来た今は、闇雲に描くというよりは思考しながら、落ち着いて日々を過ごしているという感じです。

部屋から徒歩数分のところに借りた作品制作のためのスタジオ。

― 台湾で完成させた作品がすでにあるとのことですが、もう一度、手を入れなおそうと感じているそうですね。

坂本:一旦は完成させたんですけど、もう一回、リサーチというか、インプットに時間を掛けた方が良いのではないかなと思い直しているところです。
日本を離れてここにきた僕が、何を感じて何を描くべきかを、ずっと考えています。自分の意思で海外での活動を決めて、いざ本当に来て、何をインプットして何をアウトプットするべきか。

台湾で制作しはじめた作品(部分)。

-ペースにゆとりがあるというか、ゆったりと構えて次の段階へ進んでいこうとする感じが清々しいです。

坂本:焦ることは何もないので、地に足を付けてやっていくしかないかなと思っています。なかなか言語の壁は乗り越えられないですけどね(笑)
昨日、一人でプロ野球(台湾代表対千葉ロッテマリーンズ)を見に行ったんですが、応援している言葉が何を言っているかが分からないんですよ。応援席で見ているのに、応援できないっていう。言葉が分かったら、もっと面白いのにな!っていう思いはありました。あおりとか、分からないし。周囲は盛り上がっているんだけど僕だけ取り残される(笑)。「ジャーヨー(頑張れ)」くらいしか分からなかった。
全体的に言えば、制作、生活ともにかなり楽しんでいますし充実しています。大変な事もあるけど全力で楽しんでいます。1年間ってあっという間なので。これからの変化については、自分でも楽しみです。絵のことだけではなくて、海外での生活を通して僕の中で何かが絶対に変わってきていると思うので。この海外での経験が必ず今後に活きてくる事と思います。帰国後にその成果を発表できればいいなと思ってます。頑張ります。

街中にも緑が溢れている台北。

写真提供:坂本和也

※1:中国の宋・元・明・清四朝の宮廷の收蔵文物を継承した博物館。2017年12月末における故宮博物院所蔵品総点数の総計は697,487点。国立故宮博物院ホームページ

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坂本和也/Kazuya Sakamoto
1985年鳥取県米子市生まれ。2014年名古屋芸術大学大学院美術研究科美術専攻同時代表現研究領域 修了。主な個展に、「Landscape gardening」(米子市美術館、2017年)、「Between Breaths」(nca | nichido contemporary art、東京、2016年)「ALA Project No9 Kazuya Sakamoto」(ART LAB AICHI、愛知、2012年)など。2017年9月から1年間、文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として台湾の台北市に滞在。

ライター

水田美世

千葉県我孫子市生まれ、鳥取県米子市育ち。東京の出版社勤務を経て2008年から8年間川口市立アートギャラリー・アトリア(埼玉県)の学芸員として勤務。主な担当企画展は〈建畠覚造展〉(2012年)、〈フィールド・リフレクション〉(2014年)など。在職中は、聞こえない人と聞こえる人、見えない人と見える人との作品鑑賞にも力を入れた。出産を機に家族を伴い帰郷。2016年夏から、子どもや子どもに目を向ける人たちのためのスペース「ちいさいおうち」を自宅となりに開く。