坂本和也(画家)#1
がむしゃらにつくっていれば、その先に何かはあるだろうと

1985年鳥取県米子市生まれで、新進気鋭の画家として注目を集める坂本和也さん。2017年3月には郷里にある米子市美術館にて若手作家支援展「坂本和也 -Landscape gardening-」を開き大盛況となりました。また、同年9月からは文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として、台湾の台北市での滞在をスタートさせています。インタビュー1回目は、米子市にある実家にて2017年5月に行い、これまでの制作の歩みや幼少期について伺いました。


― いまの活動拠点は北名古屋市とのことですが、実家に戻って来られる機会はよくあるのですか?

坂本:あまりこの日に帰ろうとは考えてなくて、いつも気が向いたらという感じで。たまたま今回米子に帰る前に大阪まで来てて。魔がさして、西に向かうバスに乗っちゃった。色々と忙しいんですが…どうしても実家でバーベキューがしたくなったので。大阪から米子行きのバスに乗っていたら、この取材依頼のメールをいただいたので、ちょうど良かったです。帰省の理由ができました。(笑)

― 作品発表の場が立て続けに予定されていらっしゃいますね。

坂本:展覧会が6月半ばからのものが決まっているので、今はそれに向かって描いているのと、海外のお客さんからのコミッションワーク(※1)もやっています。8月にインドネシアのアートフェアにも出展するので、それに向けて描いているのと。5つぐらい予定があるので同時並行で毎日描いています。
今は「日動コンテンポラリーアート」という画廊に所属していて、絵を描くことだけに集中することが許されているので本当にありがたいです。作家活動全般についてのことをギャラリーがお世話してくれるので、感謝しかない。
昼ぐらいから夜中まで毎日のように愛知のアトリエで制作しています。北名古屋市に2010年に共同アトリエを立ち上げて、そこでずっと制作しています。

幼いころの作品を一枚一枚眺める坂本さん

― 幼いころに描かれた作品も今日はご用意いただきました。ここまでしっかり形を捉えたり強い筆致で描いたりするのは、この年齢ではなかなかできないと思います。

坂本:年少だから4歳くらいの時の絵です。これは、この前の米子市美術館でのトーク(※2)のために掘り起こした幼い時の作品です。結局トークには出しませんでしたが、我ながらがんばって描いてますね。まあ、今も続けているから昔からずっと描くのが好きだったのかなと思います。ちゃんと捨てずにとっておいてくれた親に感謝です。

幼稚園での芋ほりの絵

― トークの際、中学生の頃にはじめて描いた油絵を久しぶりに目にして、いま制作している作品と同じような色調に驚いたと話されていました。

坂本:この作品ですね。これが初めて描いた油絵。紙に描いていて、この頃はまだキャンバスには描かなかった。キャンバスは恐れ多いと思っていた時期です。

中学生時代に初めて油絵で描いた作品

これを描いた当時、僕は米子市の祇園町に住んでいた画家の田中重利さんに教わっていました。家がすぐ近くだったこともあって、中学校2年生の頃から毎週通っていたんです。高校2年生の時に亡くなるまでずっと習っていました。
一番初めに身近に接することのできた画家として、田中先生からの影響は大きいと思います。ブナ林とか自然の風景を多く描かれていた先生で、今取り組んでいる作品をいかに良いものにしていこうか、と真摯に取り組まれていた姿勢は間近で見ていてとても印象に残っています。僕が作品に向かう姿勢に少なからぬ影響を与えていると思いますね。

― グリーンやブルーを主に用いて描かれる坂本さんの作品は、落ち着いた色調でありながら生命力を感じさせます。

美術大学に入って、一時期、黒い抽象画を制作していたりもしていました。でもどうしようもなく行き詰って、描くことをやめてもいいやと思う段階までいったことがあって。もうどうなってもいいやって吹っ切れた。それで最後に自分の好きなものを描いて終わろうとして、それで水草をモチーフにしたんです。そしたら、水草を描くことで原点に立ち返ったというか、自分の力が最大限生かされる結果になって、いまに至っている。それが凄いおもしろいなと。

額に飾られた幼少の頃の絵

気付いたら絵でご飯を食べれるようになっていて、描くことを続けられている感じです。まだ絵を描いています、という感じで、生活の中で描くことがすごくあたり前のことになっていますね。
鳥取から名古屋に移った当初、身の回りに自然があまりに無くてそれが嫌で、本当に嫌で。それで自室で水草を育てはじめた。すぐ身近に自然がたくさんあった鳥取に生まれ育ってなかったら名古屋で水草を育てていなかったので、水草の絵は描いてないと思う。そういう意味で、鳥取と僕の表現の繋がりはめちゃくちゃあると感じています。

― 幼いころからずっと画家になりたいと思い続けて、ぶれずに今まで活動されて来ていることが、純粋にすごいなと思います。

坂本:本当に僕は幸運で、人との出会いに恵まれていて、ものすごく応援して下さる人が何人も現れてきて、いまに至ります。僕一人でポツンと絵を描いていただけではこうは成り得なかったと思います。
例えば、現代アートコレクターの宮津大輔さん(※3)。最初に僕の作品をコレクションしていただいたのが、宮津さんです。出会いはまだ僕が大学生のころで、7年前くらい。はじめは、水草ではなく黒い絵を描いている時期だったんです。その時は良いとも悪いとも言われず、なんか頑張っているんだねという感じで。でもずっと声をかけていただいていました。今所属しているギャラリー「日動コンテンポラリーアート」に僕を紹介してくれたのも宮津さんでした。今でも海外の展覧会を一緒に観て廻ったりと懇意にさせてもらってます。

後方の椅子には、坂本さんの作品を生地にプリントしたクッションが

愛知県美術館企画業務課長の拝戸雅彦さんとの出会いも大きいです。大学院の時に、あいちトリエンナーレの関連プロジェクトの一つだった「ALA Project」という展覧会に誘っていただいたのがきっかけでした。卒業してからも、「豊穣なるもの 現代美術in豊川」という豊川市桜ケ丘ミュージアムの展覧会にも声を掛けてもらって出品しました。その時の展覧会のカタログが、今年(2017年)3月の米子市美術館での展覧会のきっかけになっています。2015年くらいに、米子市美術館副館長兼統括学芸員の今香さんにそのカタログを手紙入りで送らせていただいて、見て下さった。その次の年の2016年3月に連絡をいただき、1年後に米子市美術館での展覧会をやりませんかと言われて、それがこの前の展覧会です。たくさんの方に観に来ていただけて、本当に嬉しかったですね。

※1:クライアントがアーティストに新作の制作を委嘱すること、またその作品。
※2:米子市美術館「若手作家支援展 坂本和也 -Landscape gardening」(2017年2月26日(日)‐3月12日(日))のイベントとして実施されたアーティスト・トーク。
※3:アート・コレクター、横浜美術大学教授、京都造形芸術大学客員教授。

#1へ続く


坂本和也/Kazuya Sakamoto
1985年鳥取県米子市生まれ。2014年名古屋芸術大学大学院美術研究科美術専攻同時代表現研究領域 修了。主な個展に、「Landscape gardening」(米子市美術館、2017年)、「Between Breaths」(nca | nichido contemporary art、東京、2016年)「ALA Project No9 Kazuya Sakamoto」(ART LAB AICHI、愛知、2012年)など。2017年9月から1年間、文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として台湾の台北市に滞在。

ライター

水田美世

千葉県我孫子市生まれ、鳥取県米子市育ち。東京の出版社勤務を経て2008年から8年間川口市立アートギャラリー・アトリア(埼玉県)の学芸員として勤務。主な担当企画展は〈建畠覚造展〉(2012年)、〈フィールド・リフレクション〉(2014年)など。在職中は、聞こえない人と聞こえる人、見えない人と見える人との作品鑑賞にも力を入れた。出産を機に家族を伴い帰郷。2016年夏から、子どもや子どもに目を向ける人たちのためのスペース「ちいさいおうち」を自宅となりに開く。