坂本和也(画家)#2
水草はテーマではなく、別にテーマがあるような気はずっとしています
1985年鳥取県米子市生まれで、新進気鋭の画家として注目を集める坂本和也さん。2017年3月には郷里にある米子市美術館にて若手作家支援展「坂本和也 -Landscape gardening-」を開き大盛況となりました。また、2017年9月からは文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として、台湾の台北市での滞在をスタートさせています。インタビュー2回目は、水草というモチーフを通して坂本さんが制作に向かう姿勢について伺いました。
― 文化庁新進芸術家海外研修制度を利用して、台湾の台北に1年間滞在することが決まっています。なぜ台湾を選んだのですか?
坂本:なぜ台湾にって、よく聞かれます。同時期の海外研修員でアジアを選んでいる人ってほとんどいないんですよ。
僕は水草の絵を描いていますが、日本で売られている水草って台湾から輸入されていることが多いんです。台湾って南北に細長い地形で、中央部の北回帰線で熱帯地域と亜熱帯地域に分かれているんですが、湿潤で温かく植物にとっては天国みたいなところ。台湾にずっと行きたいと思っていたら、一昨年に台湾のアートフェアに出す機会があって、はじめて台北に行ってみたんです。そしたら凄い良くて。自然がたくさんあるのはもちろんなんだけど、自然だけじゃなくて人間もエネルギッシュで都会なのがとても良い。共存している感じがすごく気に入ってしまいました。
所属しているギャラリーの支店が2015年に台北に出来たこともあって、台湾に住みながら作品制作してみたいなと思い、文化庁の海外研修制度に応募しました。
― 水草を描かれていると話をされますが、水草そのものというよりは、水草をフィルターとして自分の中から出てくるものを形に落とし込んでいるように見受けます。
坂本:毎日水草の世話をして、毎日水草を描いていて、また水草がきっかけで台湾に行くんですけど…水草はテーマではなく、別にテーマがあるような気はずっとしています。それをキャンバスにアウトプットするときに、水草をきっかけにして出している。水草というモチーフがあると、導きやすいというのかな。
絵に向かう姿勢とか、何で絵を描いているのかという根本的なことは変わらないと思う。でも、モチーフは変わっていくと思う。
何かを表現したいと思っていて、でも出し方がずっと分からなかった。水草にありつくまでは、がむしゃらに毎日いろんな絵を描いていたんだけど。がむしゃらにつくっていればその先に何かがあるだろうと。
― 最初の水草は具象的に描いていましたよね。それが、少しずつ形に変化が現れるようになっていきました。
坂本:前回のインタビューでも少し話したのですが、絵を描くことに行き詰ってしまったことがあって。それで作品を描こうということよりも、完全に自己満足のために、ずっと育てていた水草を、自分が見たままに4、5点描いてみたんです。最後のつもりで。
そうしてやってみたら、すごく開けた気がして。描いていくうちに欲が出てきて、もっとこういう絵を描きたい、もっとこういう絵が好きだったはずだよなっていう方向を出していくことができた。
水草の何に興味があったかというと、それはそのすごい生命力なんですよね。ほっといたらものすごい増殖するんです。そのありさまがすごいなって。毎日見ていて、本当にぐんぐん成長するんですよね。そのエネルギーの凄さと、僕がキャンバスの上で表現したい何かが自分の中でたまたまクロスした。そういう印象をもっています。
それが2012年の話で、そこからは、何枚描いたんだろう。怒涛の4年間でした。
- 坂本さんの中にあったものを外に出すときに、水草のありようを描くということがものすごく合っていたという感じでしょうか。その感じは今もずっと続いていますか。
坂本:合ってるといえばそうなんだけど、別にそれが枯れることへの恐怖はなくて。そういうのって、やろうと思ってできるものではないし、今はごく自然に手を動かしているので。トークでもよく「あきないの?」とか聞かれる。(笑)
- 画材メーカーが出している最も細いゼロ号の筆だけで5.5×2.3メートルの作品を描くって、ものすごい地道な戦いですよね。
坂本:何と戦っているんだろう、僕は一人で。誰に頼まれたわけでもなく。たまに何やってるんだろうと思うんだけど。でもやるしかないから。僕はマゾかもしれない。(笑)
でも、「この絵を観ているとなぜか知らないけど涙が出る」という感想をいただいた時は本当に嬉しかったです。エネルギーという言葉は感想でよく使われる。言語化しちゃうと簡単な感じだけど、本当はもっと複雑なことだと思っていて。
見る人は何かしら感想を持ってくれていて、見ている人が受け取ってくれているうちは僕の中にも何かがあるんだろうと感じています。そういった感想が見ている人から消えたときは、僕の中からも無くなっちゃっている、消えたんだろうなって時かも。
僕はゴッホ(※1)の絵を見るとどんなにクタクタでも復活する。描かれているひまわりに感動しているわけではなくて、その絵から感じるゴッホの姿に感動しているのだと思う。海外なんかで4つも5つも美術館回って、クタクタになるけど、ゴッホの絵の前に行くと復活しちゃうんだよな。ゴッホの絵の向こうにゴッホの姿や意思や営みが見えると、すごく感動する。そういう絵を自分も描きたいと思っているし、とにかく誠実であること、絵に対するときはとにかく誠実にと、心掛けています。
- ずっと気を張って描くのは大変ですよね。画家としては当たり前なのかもしれないけど、なかなか真似できないですね。
坂本:やっぱり、マゾなのかな(笑)でも、ぬくぬくしていてはいけないという気持ちがあるのかもしれないですね。誰しも安易な道を選びたい思いはあるとは思いますけれど。
逆に台湾に行ってしまうと、台湾は町全体が緑にあふれていて水槽の中みたいな町だから、自分が水槽の中に入ってしまうという状況になった時に、何を感じて、何をアウトプットするのか、自分のことながらすごく興味があります。
もしかしたら、居心地が良すぎて、緑に囲まれすぎて、絵を描かなくなるかもしれないけど。
- 台湾という環境の変化は、作品への影響がかなりありそうです。
坂本:楽しみなんだよなぁ。環境が変わって絵が変わらないってことはないから、ゴッホだってアルルに行って見違えるように作風が変わったし。だから台湾を選んだんです。
絵画史とか、絵画論とか、美術のコンテクスト的には、ヨーロッパなんだろうけど、でもわざわざ違う都市に行って、毎日美術館で過去の画家の名画をインプットしてというよりも、実際に、その土地にしかない環境で自分のアンテナに入ってきたものだけを咀嚼してアウトプットした方が絶対に良いと思ったんです。
- 自分の体を台湾という別の環境にもっていって、自分の内面から溢れるものとどう向き合うか、ということが大事な気がしますね。
坂本:そもそも画材も現地で買うから、画材も変わってしまうし、今と同じということにはならないだろうなと。制作することに関しては、ほぼ準備をしないで、身一つで行こうと思っています。なんだろうなぁ、楽しみだな、だから。
写真:Kei Okano
全て米子市美術館若手作家支援展「坂本和也 -Landscape gardening-」(2017年2月26日‐3月12日)にて撮影。
※1:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。1853年生まれのオランダ出身の画家。豊かで大胆な色彩や精緻な筆遣いが特徴。1890年没。
〈#3へ続く〉
坂本和也/Kazuya Sakamoto
1985年鳥取県米子市生まれ。2014年名古屋芸術大学大学院美術研究科美術専攻同時代表現研究領域 修了。主な個展に、「Landscape gardening」(米子市美術館、2017年)、「Between Breaths」(nca | nichido contemporary art、東京、2016年)「ALA Project No9 Kazuya Sakamoto」(ART LAB AICHI、愛知、2012年)など。2017年9月から1年間、文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として台湾の台北市に滞在。