西野達(現代アーティスト)#2
この2・3年で鳥取ブームが来る!

鳥取県立博物館のシリーズ企画展〈ミュージアムとの創造的対話01 Monument / Document 誰が記憶を所有するのか?〉(※)が2017年2月25日~3月20日に行われました。参加アーティストのひとり西野達さんは、今回、県立博物館の建つ鳥取市から100キロ近く離れた県西部のまち米子市にて、大規模な作品を複数点制作されました。どの作品も、見る人々をあっと驚かせる魅力が詰まっています。「アーティストたちの鳥取ブームが来る!」と語るその真相は…?(※会期は終了しました。)


〈達仏〉(2017年、米子)糀町の児童公園に面した空き地の生木に彫刻。制作には島根大学藤田英樹研究室が参加。

― レジデンスがはじまる前の25日のトークで、「この2・3年で鳥取ブームが来る!」とおっしゃっていたのは、まさにこの寂れ感から?

西野:そうだね。俺はドイツに1987年に渡ったけど、当時のドイツは、1989年の東西統一を機に投資目的で首都のベルリンに建築ラッシュが起こっていたんだ。でも建物を建てても仕事がないから人はあまり集まらなかった。
結局、アパートやオフェィスはたくさん空いているものの、使う人がいないという状況が2009年ごろまで続いていた。荒れ放題になって放置しておくよりも「タダでも良いから部屋を使って欲しい」というオーナーさえいたような状態になっていて、それを知った金のないアーティストたちが世界中から集まって来るようになったんだ。ビジュアルアーティストはもちろん、ダンサー、カメラマン、役者、音楽家などすべてのジャンルのアーティストたち。ある展覧会企画者が、「ベルリンへ行けば半分ぐらいの展覧会参加アーティストと打ち合わせができる」って言っていたぐらい。それに伴い、統一前はケルンやその隣のデュッセルドルフがドイツのビジュアルアートの中心地だったけど、ギャラリーもごっそりとベルリンに移ってきた。
今回、担当キュレーターの赤井あずみさんに県内のいろんな場所を見せてもらったけれど、鳥取には空き家が多い。日本で一番人口が少ない県なんだから家賃も高いはずはなく、広いスペースが欲しいアーティストにはたまらない魅力的になるんじゃないかな。当時のベルリンと同じように、仕事はないかもしれないけど安いスペースがある。就職するつもりがないアーティストにとっては魅力的な土地だね。

〈残るのはいい思い出ばかり〉(2017年、米子)こちらも児童公園に面した2階建ての長屋。左に大きく傾いている。
〈残るのはいい思い出ばかり〉(2017年、米子)商店街の街灯が室内灯とトレード。
米子市の旧市街地にある四日市商店街。休日でも人通りは少ない。
〈残るのはいい思い出ばかり〉(2017年、米子)四日市商店街のアーケードに、小さな室内灯がひっそりと下がる。

― 米子で展開する3つの作品について教えて頂けますか?

西野:俺が制作している麹町には小さな児童公園があるのだけれど、この公園を発見した時衝撃を受けた。膝ぐらいの雑草が生えまくってる敷地に、シーソー板がないシーソーの土台だけ、崩壊した水飲み場、錆だらけの遊具など、人類が滅亡した後の公園っていうぐらい今の時代から外れていた。いい意味で米子の一つの象徴として、そこに面した借家や空き地で作品を3点制作することにしたんだ。
それらの借家も戦後すぐに建てられたような古い傾いた長屋で、空き地の奥には江戸時代だったかの廃屋が壊れかけたまままだ建っている。時代に取り残されたようなここにまず足を踏み入れて欲しかった。
つまり、この展覧会のテーマである「ミュージアム」「モニュメント」「ドキュメント」につながるわけなんだ。

〈そこへ行って夢を見な〉(2017年、米子)冷蔵庫のメモ書きや飲みかけの焼酎など一見普通の家。奥の扉を開けると…!?
〈そこへ行って夢を見な〉(2017年、米子)古い長屋の奥に出現した実際に使える豪華トイレ。

#3へ続く


西野 達
1960年愛媛県生まれ。日本とドイツで美術を学び、現在はベルリンと東京に拠点を置きながら、世界各地の舞台を都市を舞台に、公共空間に介入し人々の慣習や常識を打ち破る挑戦的なプロジェクトを数多く手がける。
tatzunishi.net


ライター

水田美世

千葉県我孫子市生まれ、鳥取県米子市育ち。東京の出版社勤務を経て2008年から8年間川口市立アートギャラリー・アトリア(埼玉県)の学芸員として勤務。主な担当企画展は〈建畠覚造展〉(2012年)、〈フィールド・リフレクション〉(2014年)など。在職中は、聞こえない人と聞こえる人、見えない人と見える人との作品鑑賞にも力を入れた。出産を機に家族を伴い帰郷。2016年夏から、子どもや子どもに目を向ける人たちのためのスペース「ちいさいおうち」を自宅となりに開く。