末次一茂(めがねのスエツグplus 店主) #2
Uターン、生まれ育った町との向き合い方

引き続き、米子のメガネセレクトショップ「めがねのスエツグ plus」店主、末次一茂さんのお話。
2回目は、大学進学のため上京して家業を継ぐために米子に戻ってきた、いわゆる“Uターン”にまつわる、ちょっとほろ苦く複雑な想いについて。


― 末次さんは米子の出身ですよね。それで大学は東京。大学では何を?

末次 社会学です。といってもぜんぜん真面目な学生じゃなかったです。映画行ったり、ライブ見たり、美術館行ったり、そんなことばっかりしてました。

― もともとそういう文化的なものが好きだった。

末次 そうですね。高校生の時は「BRUTUS」とか「STUDIO VOICE」とか読んでました。でも書いてあるライブや映画が米子で見れるわけじゃないから、欠乏感みたいなものは強く感じていましたね。東京の大学に行ったのもそれが大きな理由です。具体的に何かをやりたいとかいうことじゃなく、とにかく東京で暮らしてみたかった。

― 将来的に米子に戻ってくるイメージはありました?

末次 どうでしょうね。自分が店を継ぐ可能性があることは分かってましたけど、その辺は全部保留って感じだったと思います。

― 米子に戻られたのは、大学を卒業してすぐ?

末次 いや、卒業後は高円寺のメガネ屋で2年ほど働いてました。その頃はメガネ業界的にもいろいろ変化が起きていて、デザインを切り口にメガネを売る店が出てきたり、そういう店を通じてヨーロッパのメガネブランドが日本でも紹介され始めた時期でした。僕が働いてたのもそんな感じの店したね。
こんなふうに言うとまるで今の店を見据えてたように誤解されるかもしれませんが、全然そういうことじゃなくて、実はそのまま東京にいようと考えてました。メガネ屋に入ったのは、興味がなかったわけでもないですが、それ以上に親の手前でしたね。含みをもたせるというか。

― 帰って店を継ぐためもうちょっと東京で修行していきますと。

末次 でも、しばらくして父親と爺さんがダブルで病気になって、母親からすぐに米子帰ってきて店を継げと言われたんです。そうなるともう逃げられないですよね。今だから言えますけど、正直すごくいやでした。実際かなり抵抗もしました。とりあえず一旦帰るけど、また東京戻りますからみたいな感じで。

― どうしてそんなにいやだったか、覚えてます?

末次 地方で小売店をやるっていうことがこれからはますます厳しくなっていくだろうということですね。景気も特に悪い時期だったし、世の中を見てそう思ってました。米子に帰ることはそれほど嫌でもなかったんですけど、とにかく店を継ぐのだけは勘弁してくださいと。

― 結構ネガティブな気持ちでのスタートだったんですね。気持ちが変わったのはどのタイミングだったんですか。

末次 2007年に結婚した時ですね。今の奥さんとは東京にいた頃からの付き合いで、4年くらい遠距離だったんですけど、結婚してこっちに来てくれることになって。それまでは気持ちが半分東京にあるような状態だったんです。でも奥さんがこっちに来てくれることになって、ようやくいろんなもののベースが米子にできたような気がしました。それで自分自身も動きやすくなったし、町の見え方も変わっていったような気がします。

末次 大学で東京に出る時、もちろん東京に行きたくて行ったわけですけど、かといって米子が嫌いで出ていったわけでもない。それでも実際に離れてしまうと気持ちも含めいろいろと移ってしまう部分もあって、自分が生まれ育った町とどう向き合っていくかという問題はずっと頭の片隅にありましたね。
実は大学の卒論で、Uターンした人の心の有り様みたいなことをテーマにしたんです。論文というよりルポルタージュみたいな内容だったんですけど、実際にいろんな人にインタビューをして、どういう経緯で都会に出てまた戻ってきたのかとか、その上で心の葛藤であるとかを書きました。やっぱり自分と重なる部分を探してたんだと思います。

#3へ続く


末次一茂
1977年米子市生まれ。米子市中心部で眼鏡のセレクトショップを運営。東京での大学生活&ちょっとの眼鏡店修行を経て帰郷。国内外の品質とデザインが優れた眼鏡を「楽しんで選び、楽しんでかける」ことをあちこち飛び回りながらも布教中。同時に「せっかく箱を持っているので」と眼鏡と無関係な商材を販売したり、WS、トークイベントなどを企画。何事も「浅く広く」が心情。本人はほぼ毎日違う眼鏡をかけている。

めがねのスエツグplus
米子市角盤町1-27-14
0859-33-4544
営業時間:10:00-19:00
定休日:水曜日、および毎月第3日曜
http://suetsugu-taiyodo.jp/

ライター

岩淵拓郎

1973年兵庫県宝塚市生まれ/在住。雑誌編集者を経て、2002年から2010年まで美術家として活動。現在はフリーの編集者として、主に文化・芸術などに関する書籍やプロジェクト、イベントなどの企画と編集を手掛ける。編著に『内子座~地域が支える町の劇場の100年』(学芸出版社、2016)ほか。2001~2015年、京都造形芸術大学教員。2012~2014年、宝塚映画祭総合ディレクター。一般批評学会主宰。「トット」ではスタートアップのお手伝いを少々。趣味は料理(キリッ