レポート:トット・ツアーvol.2
「西郷工芸の郷めぐり」(前半)

普段なかなか一人では行くことができない場所にみんなで出かけ、あれこれと話も聞いてみようというトットのツアー。昨年7月15日、鳥取市河原町西郷地区で第2回のツアーを行いました。当日は参加者が西郷工芸の郷の作家の元を巡り、作品の生まれてくる土地に触れ、作家の方からお話をうかがいました。その様子をレポートします。


鳥取市河原町西郷地区は鳥取市南部、千代川の支流にあたる曳田川を遡った場所に位置する小さな村。千代川流域の開けた場所から少し奥へ入った谷あいにあり、智頭や若桜ほど山深くなく、のどかな里山の風景が広がっている。

西郷谷には、以前から三つの窯元があった。第1回目のツアーで紹介した民藝運動家の吉田璋也の指導により、四代目のもとで1931年に新作民芸の制作を始めた牛ノ戸焼、同じく吉田の指導を受けながら終戦の1945年に開窯した因州中井窯、そして民芸とは異なった作風で、1977年から西郷の地で白磁を作り続けてきたやなせ窯。この地域では10年ほど前から、陶芸以外にもガラス作家の”atelier ukiroosh”や、木工作家の藤本かおりさんらが工房を構え、作品を制作するようになった。このような動きを受け、他の地域と同じように少子高齢化の進む西郷地区で(1)、作家の多いこの村に他の工芸作家も呼ぶなどして、ものづくりに携わる人たちの活動を中心に社会の未来を見据えられるような地域にしようと、2016年秋「いなば西郷工芸の郷・あまんじゃく」が立ち上げられた。

いなば西郷工芸の郷・あまんじゃく代表の北村恭一さん

今回案内してもらったのは、一般社団法人「いなば西郷工芸の郷・あまんじゃく」の代表を務める北村恭一さん。北村さんは鳥取市出身で、関西で長く建築の仕事に携わり、2006年に西郷地区に移住した。この日は上記の工房に加え、工芸の郷の入郷者第一号として移住した花井健太さんの工房も見学させていただいた。

手間に写っている鉢が花井さんの作品

まずは花井さんの工房へ。花井さんは千葉県出身で東京藝術大学大学院では彫刻を専攻したが呻吟の末陶芸の道へ、創作の地を求めて2017年に西郷地区に移住した。花井さんの暮らすのは、曳田川沿いに谷を少し奥へ入った湯谷集落。工房の手前には小さな社、すぐ裏に山が迫っていて、庭には鳥のための餌箱もあり、この地の暮らしを楽しんでいる様子が感じられた。展示スペースも兼ねたご自宅では完成した作品を、隣に建てられた工房では創作の様子を見せていただいた。花井さんは鉄釉を使った黒と、深い緑色を基調とした作品を中心に制作を行なっている。

花井さんの工房の様子
花輪窯の作品展示室

次にうかがったのは、隣の牛ノ戸集落にある牛ノ戸焼。六代目の小林孝男さんが、作品制作の工程を、素材を見せながら詳しく説明してくださった。

工房の前に立つ小林さん。川を挟んで左奥に見えているのは、現在の西郷小学校

工房は西郷谷の北側斜面、ちょうど日当たりの良い小高い場所にあり、かつてはすぐそばに西郷小学校の校舎があった。小林さんはまず、かつて小学校の相撲場のやぐらがあった場所に山のように置いてある、陶器に使う粘土を見せてくれた。その山には全体に草が生えていて、まわりは水が流れる用水路と田畑に囲まれているので、50年前にここに積まれたという粘土は、一見それ以外の場所と区別がつかない。

作品を作るときには、まずここから粘土を掘ってくる。掘ったばかりの粗土は水分が多いので、コンクリートの地面に敷いて乾かし、乾いたものを砕いて小石や草の根を分け、それを水に入れる水簸(すいひ)作業をする。比重の重いものは沈み、軽いものは浮き上がるのでそれを別のタンクに移し、さらに石や砂を取り分ける。まっさらの粘土だけでなく、ろくろで削った土もここで再生して使い、手間暇かけたものを捨てることはない。

今度は土の脱水作業。とろとろの粘土を農業用のむしろを使った網で漉し、ある程度の硬さになったら盛り鉢に山のように盛って乾かす。乾く日数は天候次第。さらに素焼きの器に入れて水分を蒸発させ、やっと器を作れる陶土ができる。陶土だけでなく、釉薬もこの土地の自然の素材から作っており、白色の釉薬は藁の灰が原料になっている。藁を燃やした灰のあくを抜き、漉して使うと「藁白(わらじろ)」という真っ白な釉薬ができあがる。小林さんのお話からは、普段完成品として見ている器が、実は田畑で獲れる農作物のようにこの西郷の自然から生み出され、その素材に人が何重にも手をかけることで器が形作られていく、その営みの源泉のようなものを感じることができた。

牛ノ戸焼の展示場。奥で作業をしているのは、七代目となる息子の遼司さん
「菊練り」の工程。土を練りながら回していくと、ひだが重なり菊のような模様ができあがる
参加者も菊練りに挑戦。力が必要で、素人がうまく模様を作るのは難しい

牛ノ戸焼の次は、因州中井窯へ。三代目の坂本章さんが窯の歴史と作品制作について、特に中井窯の作品でも有名な染め分けの工程について、詳しくお話を聞かせてくれた。

中央に見えるのが中井窯の登り窯。終戦間際の1945年3月に下の曳田川から石を運んで築かれたと、その作業を手伝った100歳を超える近所のおじいさんが話されていたそうだ
展示場で説明を聞く参加者。中央が坂本章さん

三色の染め分け作品の薬かけは、まず最初に裏に釉薬をかけておき、それを蝋でコーティングしてから表に釉薬をかけていく。驚くのは、それを柄杓だけで全てかけ分けていること。黒、白、緑の順で柄杓で汲んで薬をかけていくが、一つの色が乾かないうちに次の色をかけないといけないので、ある程度のスピード感が必要とされる。調整は柄杓だけで行い、釉薬がかかった部分に揺らぎが出すぎればそこを剥いで修正するが、まっすぐに薬がかかれば美しくなるとも限らない。三つの色が出会うところで自然の揺らぎが起こるような雰囲気と、きっちり色が分けられている正確さの落としどころを探ってかけているという。作家がこれまで培ってきた技術により、その美しさができあがる。坂本さんも若い頃はしばしば釉薬を剥がしながら柄杓でかけていたが、今は躊躇なくかけ分けることができるということだった。また坂本さんは、近年新たに民藝陶器とは異なる青磁作品にも挑戦している。手間のかかる工程を丁寧にこなしながら、常に技術を磨き続ける坂本さんの姿勢に、因州中井窯の美しい作品が生み出されてくる場所を、見ることができた気がした。

染め分けの工程を説明する坂本さん
左は4代目となる息子の宗之さん。帰ってきて1年ほどになる。ここでは成形の作業中

中井窯を出たところでお昼になり、昼食は西郷公民館近くの民家を利用したお店「えばこGOHAN」へ。お店を経営する今家さんご夫婦は、娘さんがまず西郷地区へ就農のため移住したのをきっかけに、以前お店をしていた大阪から移住。2017年に開店したお店は現在西郷地区で唯一の飲食店だが、地域住民の貴重な集いの場となっている。部落によっては、お祭りの打ち上げもここで。この日は美味しいランチをみんなでいただいた。

えばこ・ごはんのランチ
娘さんの櫛谷さんご夫婦が作られた野菜も販売している

〈後半へつづく〉

協力:北村恭一(一般社団法人 いなば西郷工芸の郷・あまんじゃく代表)
写真:田中良子、totto編集部


1.鳥取市と合併した04年(12月末現在)と比べると、19年の人口は1132人と486人減った。高齢化率も04年の31%から19年は45%に上がった。(日経新聞2020年4月25日)


※各工房を訪問される際は、事前に連絡の上お訪ねください。

一般社団法人 いなば西郷工芸の郷・あまんじゃく
http://chiiki.city.tottori.tottori.jp/saigo-1/inaba-saigo/kougeinosato/index.html

花輪窯
https://www.facebook.com/karinkiln/

牛ノ戸焼
場所|鳥取市河原町牛戸185
TEL|0858-85-0655

因州中井窯
場所|鳥取市河原町中井243-5
TEL|0858-85-0239
https://nakaigama.jp

えばこGOHAN
場所|鳥取市河原町牛戸3-2
TEL|0858-71-0073
https://www.facebook.com/えばこgohan-244076362677069/

ライター

nashinoki

1983年、鳥取市河原町出身。鳥取、京都、水俣といった複数の土地を行き来しながら、他者や風景とのかかわりの中で、時にその表面の奥にのぞく哲学的なモチーフに惹かれ、言葉にすることで考えている。