レポート:鳥取夏至祭2022 #1

6月18日と19日、鳥取市の鳥取城跡の久松公園とわらべ館を舞台に、鳥取夏至祭2022が開かれました。コロナ禍の2年間のオンラインを利用した開催を経て、再び県外パフォーマーの来鳥が実現した今年の夏至祭について、初めてパフォーマーとして参加したnashinokiが振り返ります。レポート前編です。


6月18日と19日に行われた鳥取夏至祭(以下、夏至祭)を終えてから数ヶ月が経つ。その間筆者は中心となった関係者の何人かに話を聞かせてもらったり、実行委員会の打ち合わせの記録を読んだり、夏至祭をきっかけにしてつながった、県外から参加したパフォーマーの様子をSNSでのぞいたりした。中には夏至祭の後、機会を見つけて会いに行った県外パフォーマーもいる。そうしていまだに、あの2日間の出来事の意味を考え続けている。こんな状態になっているのは、今年は観客としてではなくパフォーマーとして参加したことも大きいのだが、夏至祭そのものの持つ、音楽とダンスのパフォーマンスイベントでありながらもアートと日常の境界を越え、それを組み替え、日常を変えようとする試みであると感じられることも原因となっていると思う。夏至祭そのものの渦の中に、自らもすっかり巻き込まれていて、昨年までのように、純粋な観覧者として夏至祭の印象を語るだけでは、すまなくなってしまったのだ。そんな中で何を語ればよいのか、まだ模索の途上だが、なんとか語り出してみようと思う。

夏至祭は2017年、県内外からパフォーマーを呼び、交通費のみを支給して「一緒にあそぶ」即興音楽とダンスのお祭りとして始まった。もともと発案者である木野彩子(以下を含め関係者については敬称略)の頭にあったのは、フランスで夏至の時期に行われる音楽と踊りのお祭り、”La fête de la musique”だった。パリでは夏至の夜、街中の路上や公園などあらゆるところで、即興に限らず民族音楽やロック、コーラスなど様々なジャンルに及ぶ演奏やダンスが繰り広げられるお祭りが行われる。そうして翌朝には何事もなかったかのように綺麗に掃除され日常生活に戻るその祭りが木野にとってとても楽しい経験としてあり、そこから夏至祭の発想は生まれた。コロナ禍の一昨年、昨年は県外パフォーマーの来鳥がかなわず、それでも出来ることをと2020年は県内メンバーのみが集合し、オンラインによるワークショップ(以下、WS)及び配信、2021年は県内メンバーはわらべ館でパフォーマンス、県外メンバーはオンラインを介してのセッションという形で開催した。コロナ禍の2回を経て、今年は久しぶりに県外パフォーマーの来鳥が実現し、当初の夏至祭の形が久しぶりに実現された2日間となった。

今年の夏至祭は、プレイベントとしての「わらべ館について知ろう!」のレクチャー(6月5日開催)、「おととからだであそぼう!」のWS(5月22日·6月5日·7月24日開催)に挟まれる形で、当日(6月18日·19日)が位置づけられた。パフォーマーを含む参加者が会場であるわらべ館や、即興セッションに慣れていくためのプロセスであるとともに、お祭りでありながら、日常の営みでもあるというメッセージが、このプログラムには込められていたように思う。当日は18日午前に鳥取城跡即興ツアー、昼食を挟んで午後は希望者による久松山頂への登山、夕方から夜にかけてわらべ館の中で即興パフォーマンス、19日午前は県外パフォーマーも参加する「おととからだであそぼう!即興音楽とダンスのワークショップ」の特別版が行われた。またパフォーマーは、17日の夕方から夜にかけてわらべ館に集まり、顔合わせとリハーサルを行い、19日の終了後には振り返りの会、また7月に入りオンラインで打ち上げを行った。以下、当日の様子を中心に、順に紹介していく。

鳥取城跡即興ツアー(18日午前)

18日午前10時、パフォーマーと観客は久松公園の観光案内所付近に集合し、受け付けを済ませてから周遊型パフォーマンスに参加した。急遽、久松公園観光案内所のガイドである竹内さんが公園を案内してくれることになり、参加者は仁風閣から鳥取城跡を進んだ。この周遊型パフォーマンスは、ツアーで立ち寄るそれぞれの地点でくじ引きによりパフォーマンスを行う参加者を選ぶ手法を用いて行われ(1)、選ばれた6組が各地点で即興パフォーマンスを行う。立ち寄った地点は、仁風閣芝生庭園、宝隆院庭園、太鼓御門跡、天球丸巻石垣、登山口、三階櫓跡の全6箇所で、最後は三階櫓跡で全員が即興で踊り、音楽を奏でた。

木野彩子(中央)、ガイドの竹内さん(右)
仁風閣庭園でのパフォーマンス。クロミツ(岡山)
仁風閣庭園でのパフォーマンス。鈴村恵理子、美月、咲月(滋賀) 

各地点ではまず1組ずつパフォーマーが即興を行い、その後6組全員が即興で3分間セッションを行う。最初のパフォーマンスはいわば最後にセッションを行うための他のパフォーマーへの自己紹介の意味も含んでおり、セッションに重きが置かれる。各セッションの中から、二地点目の宝隆院庭園の様子を紹介しよう。

宝隆院庭園でのパフォーマンス。ニイユミコ(京都)
宝隆院庭園でのパフォーマンス。田中悦子(鳥取)

ここでは荻野ちよ、辻たくや、田中悦子、ニイユミコらのダンサーと、赤田幸一のリコーダーによるセッションが行われ、ダンサーは庭園にある池の周辺で踊りをおどり、池の中心にある島へ渡る橋を使って、順にそこへ渡っていった。先に島へ渡ったパフォーマーが次にやってくるパフォーマーを眺め、ニイは足の先で水面をかすめるように蹴り、水の音が響く。赤田はそのまわりでリコーダーを吹き、田中は島に渡ったパフォーマーらの周囲をまわるように鉦を鳴らして池を一周した。パフォーマンスを観ることでこの庭園の姿が浮かび上がるように感じられ、パフォーマーと空間とのかかわりを感じた。

藤森このみ(香川)によるばみり。パフォーマンス後には回収された

太鼓御門跡では、鳥取大卒業生で舞台監督として修行中の藤森このみが、舞台で役者の位置をテープで貼って示す「バミる」動作をパフォーマンスとして行った。夏至祭の即興セッションでは通常パフォーマンスを行わない人もパフォーマーとして登場することがあるのが特異な点で、自分の好きな裏方の仕事を他の人に見てもらえる機会は他にないと、藤森は終了後の振り返りで語っていた。ライターの筆者自身も天球丸巻石垣で初めてこのセッションに参加し、自作した詩と藤本徹の詩「青葱を切る」を朗読したのだが、プログラムへの参加をきっかけに久しぶりに創作への刺激をもらった。夏至祭の場は、いわゆるパフォーマーでない人も表現の場へと押し出すような、やってもいいんだと背中を押す力があり、それにはそれぞれが切実な表現を行っていれば必ず誰かに受け止めてもらえるという信頼感と、その表現の形を特定の枠に嵌めようとせず、可能な限り広く捉えようとする夏至祭関係者の姿勢があるからではないかと思った。

天球丸巻石垣でのパフォーマンス
登山口での鳥取大生のパフォーマンス。稲垣良哲(中央)、出井千嵯(右)
登山口でのパフォーマンス。きのさいこ(左・鳥取)、森本みち子(右・鳥取)

鳥取城跡ツアー最後の三階櫓跡は、鳥取の市街地を一望できる見晴らしの良い場所で、「赤丸急上昇」、冨士栄秀也、ヤオシャンドン、上本竜平、Yasusi、イフクキョウコらによるパフォーマンスとセッションが行われ、その後パフォーマー全員が参加しての即興セッションとなった。

三階櫓跡でのパフォーマンス。イフクキョウコ(左・山口)、富士栄秀也(中央・東京)
三階櫓でのパフォーマンス。上本竜平(左・東京)、冨士栄(中央)、丸山陽子(右・愛媛)

昨年のパフォーマー全員によるセッションでは、筆者は観客として参加していたためその様子が一つの風景のように感じられたのだが(「レポート 鳥取夏至祭2021 #2」)、今年はパフォーマーとして参加したことで、自身もそのうねりの中の一つとなっているように感じ、逆に周囲で観客として参加している人の中には、同じ場所にいるのに冷静に眺めている人もいて、中に入ってきてほしいという気持ちを抱いた。久松公園をガイドしてくれた竹内さんは、最後は他のパフォーマーとともに激しく体を動かして踊っていて、パフォーマー/観客といった境界がなくなるような印象を受けた。

昼食と久松山登山(18日正午~午後)

鳥取城跡即興ツアーの後は、スタート地点に戻ってみんなで昼食。今回は鳥取市の「山猫軒」と「tottoriカルマ」に参加者のための昼食を依頼し、琴浦町に住む荻野が「ほうきのジビエ推進協議会」の協力のもとでジビエ肉を用意し、この二軒にパスタやオムライスを作ってもらった。スタート地点の久松公園入り口付近は猪による獣害に悩まされていて、仁風閣裏には捕獲用の檻も仕掛けられているのだという。昼食の準備をお願いした店と交渉したのは実行委員会メンバーの森本みち子で、交渉する過程でお店の人たちととても親しくなったという。

参加者はお堀沿いの東屋近くでそれぞれが昼食を取ったのだが、弁当を食べた人たちの間ではいつの間にかまた即興セッションが始まっていて、クロミツがヴァイオリンでパッヘルベルのカノンを奏で始めると、それに合わせてダンスが始まった。カメラマンでパフォーマーとしても参加した里田晴穂は、ビデオカメラを構えすでにその様子を撮影していた。他にも昼食時には、初めてお会いしたbozzo(カメラマンでパフォーマーとしても参加)夫妻と筆者は話を交わすことができ、夏至祭で出会ったパフォーマー同士が交流する時間ともなっていた。

山猫軒(左)とtottoriカルマ(右)の屋台

その後、希望者で久松山へ登山が行われた。筆者は登らなかったのだが、木野、クロミツ、辻たくや、中村友紀、高橋智美、ヒジカタハルミ、マイアミ、村瀬謙介らが山頂に登山した。重い着ぐるみ状の「皮」をまとったヒジカタが山頂まで登っていたことには驚いたが、夜のパフォーマンスの会場であるわらべ館からは、登山したメンバーたちが山頂から手を振る様子が見え、わらべ館の館長がその様子を写真で撮影したという(その画像はわらべ館公式Twitterで見ることができる)。登頂した辻は、頂上からは鳥取市街が一望でき、街が一つに収まる感じがして、愛されている山だと思った。登ってよかったと話し、また辻は夕方のパフォーマンスでは、偶然一緒に登山をしたクロミツとマイアミとのセッションだったため、登山中特にその話をしたわけではなかったが、一緒に登ったことでわらべ館のパフォーマンスでも一段深いコミュニケーションが生まれたと語っていた。

夜のわらべ館(18日夜)

それぞれが午後の時間を過ごした後、夕方からはわらべ館の各所でパフォーマーによる即興パフォーマンスが行われた。観客は4グループに分かれツアー形式で館内を巡り、ガイドは鳥取大学の学生が行い、鳥取敬愛高校の学生もそこに手伝いとして加わった。

昨年は各階のパフォーマンスを全てガイドにより案内してもらう形だったが、今年はより自由度があり、フロアごとの移動はガイドが行い、各フロア内では観客が自由にパフォーマンスを見ることができる形となっていた(ただし3階だけはフロア全体で一つのパフォーマンスとして構成され、ガイドによる案内が行われた)。実行委員によれば本当は館内を自由に見てもらいたいが、そうすると観客が全てのパフォーマンスを見られない可能性があり、折衷案としてこのような形になったという。それぞれのグループがフロアにいて一定時間が経過すると、鳥取大生の稲垣良哲による「ヨーデル」の歌声が聞こえ、グループは別フロアへ移動する。一階の受付から響いてくるヨーデルは、まるでこの夜わらべ館全体を動かす、ねじのようになっていると筆者には感じられた。

わらべ館の案内をする鳥取大院生の白方欣江

筆者が進んだ順で見ていくと、2階ではメインフロアの他に、ライブラリーで先述したマイアミの言葉と辻の踊り、クロミツのヴァイオリンによる演劇的な即興パフォーマンスが行われ、3階では階段を上がったところでのYasusiのダンスからはじまり、展示室の中では3階メンバー全員によるパフォーマンスが行われた。展示室一番奥の「ゆうやけ広場」では「ふるふぃすたぁ☆+SUNNYフルーツ」のダンスが行われ、そこからダンスグループ「赤丸急上昇」の二人が彼女らを導く形で踊りはフロア全体に広がり、全体でのまとまりが生まれていた。

2階ライブラリーでのパフォーマンス。マイアミ(京都)

 

2階ライブラリーでのパフォーマンス。ヒジカタハルミ(中央・京都)他

 

3階で赤丸急上昇(中央・愛媛)とセッションする☆ふるふぃすたぁ☆+サニーフルーツ(鳥取)

これとは対照的に、1階では各部屋でそれぞれ個別のダンスや音楽を観ることができ、次々と世界が変わる楽しさがあった。同時に隣室の様子も感じられ、全体が緩くつながる印象があった。「童謡」の部屋では今回唯一オンライン参加となったトロンボーンの金子泰子の音とともに荻野ちよが踊り、ここでは観客に向けてというより二人のセッションが続いている印象で、ピアノのまわりに独特な静けさと優しさが漂っていた。館内と少し異なる雰囲気の地下駐車場では、ストリートを感じるダンスと音楽によるパフォーマンスが展開され、最後は昨年と同じくパフォーマーと観客全員がからくり時計の前の大階段に集まり、即興パフォーマンスを行なった。終演後もしばらく大階段下のベンチに座ったまま、動かないでいる観客たちの姿が印象的だった。

オンラインでパフォーマンスを行った金子泰子(岡山)

 

「夜のわらべ館」パフォーマンスの最後、からくり時計の前で

 〈続く〉

写真:田中良子(1、5、13枚目)、bozzo(左記以外)
協力:辻たくや


1.この手法は以前夏至祭にも参加した三重の中沢レイ考案によるくじ引き即興システム「オービタル·リンク」と呼ばれるもので、夏至祭ではそれをアレンジして使用している。

鳥取夏至祭2022
https://tottori-geshisai.jimdo.com/

お問い合わせ先
鳥取夏至祭実行委員会
geshisai2022@gmail.com



ライター

nashinoki

1983年、鳥取市河原町出身。鳥取、京都、水俣といった複数の土地を行き来しながら、他者や風景とのかかわりの中で、時にその表面の奥にのぞく哲学的なモチーフに惹かれ、言葉にすることで考えている。