美術館を考え続けるプロジェクト「ミュージアム・サロン13/アートと社会と未来について」 ゲスト渡邊太さん(社会学者)#2

県立美術館はサード・プレイスのような場をと語る渡邊さん。事業主体が民間となる運営体制については、公共性の保障は市民が的確なツッコミを入れ続けることの大切さを説きます。聞き手は鳥取県立博物館主任学芸員・赤井あずみさん。


渡邊県立美術館には、サード・プレイスのような場を目指してほしいと思っています。サード・プレイスは、アメリカの社会学者であるレイ・オルデンバーグが提唱した概念で、「家庭」と「職場」のどちらでもない第三の場所を指します。サード・プレイスを日常の中に組み込むことで、いろんな人と議論を交わすような民主主義のトレーニングにもなるし、生活がさらに充実して社会性にも公共性にも貢献する、みたいな話です。
この、サード・プレイスの特徴として、オルデンバーグが「インフォーマルでありながらパブリックな場である」ということを挙げていて、おもしろいと思いました。フォーマルは公的、いわゆる「フォーマルな格好で来てください」という時に使われるような意味で、インフォーマルは「くつろいだ」とか「打ち解けた」という意味。パブリックは「公共的」で、プライベートは「私的」という意味ですよね。ストレートに考えると、インフォーマルがプライベートでフォーマルがパブリックなんだけど、サード・プレイスは「パブリック(公共的)だけどインフォーマル(私的)な場所」。この、意味をずらしたところが大変おもしろいんです。たとえば、飲み屋なんかも微妙な匙加減で、常連客だけで関係性が閉じてしまっているとプライベートな場所になってしまいます。一見さんで誰が来てもワイワイと自然に入れるだけでなく、常連客も居心地が良いみたいな。そういう場所がパブリックで開かれている、ということが大切なんです。「美術館」という場所では難しいところだとは思いますけどね。

- どういうところが難しいと思いますか?

渡邊:たとえば、小さな子どもを連れて博物館に行った時、展示室の中で子どもが衝動的に駆け出したり、展示品に触れようとしたら、監視員の方は注意をしますよね。実際、僕も子どもたちを連れて倉吉博物館や県立博物館にも行きますが、やっぱりちょっと緊張感があります。だから、子どもが参加するのは難しいというか「もう少し気楽に行けるような場であったらいいのに」と思って……託児サービスがあるといいですよね。

渡邊:サード・プレイスでは「風水」が大事になってきます。専門的な意味ではないけど、「なんかこの場所気持ちがいいな」という感覚はいろんな要素に分解できるんです。「大きさ」や「人口密度」だったり、店主や常連みたいな「そこにいる人の存在感」で、場の雰囲気ってかなり変わってくると思います。あまりにも要素が多いので、なんとなく「風水が良い・悪い」みたいな言い方になってしまうんですが、僕らは多分、そういうところで「場の心地よさ」というのを感じていると思うんです。そういう意味で、僕は県立美術館や周辺区域に「風水の良い場所」をつくってほしいと思います。個人的に「せんだいメディアテーク」はおもしろい場所だと思います。ベースに図書館があって、メディア・アートに特化した展示をするスペースがある、という施設なんですが、図書館では高校生が勉強をしているし、メディア・アートとかを展示している他のスペースにも机と椅子があって、そこでも勉強できるようになっているんですよね。あれが「すごくいいな」と思いました。福島県いわき市の「アリオス」というところに行った時も思ったんですけれど、そこも現代美術的なアートを展示することもあるようなスペースなんだけど、あちこちに椅子と机があって、高校生が勉強しているんです。

渡邊:大体の人は図書館とかで勉強するんだけど、図書館だとなんだか落ち着かない、というタイプの人たちは展示スペースの脇で勉強する。だから、別に作品とかを観るわけではないんだと思うけど、視界の端で無意識に見ていることもあると思うんですよね。メインの目的として「勉強をしている」というのがあるんだけど、何気なく展示を見て、もしかしたらその中で、100人に1人ぐらいはアートに興味を持つ子が出てくるかもしれない。そういう「取っ掛かり」をつくるのが大事だと思います。あとは、とにかくその場に人が居ること。「人が居ない場所」は人を遠ざけていくので、別の目的でも誰かがそこに居ることが大事だと思います。人は人に寄せられて、だんだん集まってくるんですよね。だから「風水」と「面倒見の良い主(ぬし)」みたいな人がいればいいと思います。

- 先日、金沢市の21世紀美術館に行ってきたんですが、ミュージアムショップが2つに増えていたんです。片方はいわ ゆる「ミュージアムグッズ」が売られているけど、もう一方では金沢の若手の工芸作家やクラフト作家の作品がセレクトされていて、ちょっとした展覧会というか、個展のようになっていて、おもしろいな、と思いました。

渡邊:ショップだけを目当てに来る人もいる、みたいな。

- はい。無料ゾーンもすごく広くて、作品もなんとなく観れるというか。空間が上手く使われているし、広く利用されているな、という印象がありました。
「美術館におけるコミュニケーション」というところで、渡邊先生にお聞きしたいのですが、「鑑賞」は、一人で作品と対峙して考えを巡らせるような、割と個人的な空間だと思うんですけれども、一方で、作品を観て「ああだった」「こうだった」と話すのも、私はすごく好きなんです。自分がわからなかった、知らなかったことだったりとか、「ここ観てなかった!」ということに気付いたりだとか。「あれすごくおもしろかったよね」「良かったよね」と互いに盛り上がったり共感したりすることもすごくおもしろいと思うんです。そういう「孤独に向き合う」みたいな経験と、作品を通じてコミュニケーションすることを両立させるためには、どんな仕掛けが必要だと思われますか?

渡邊:それは作品に依ると思います。「公共彫刻」であれば、子どもが乗って遊んでいたりすると「それだけ親しまれている良い作品だ」「人が座る作品は良いかもしれない」みたいな考え方がありますよね。そういったコミュニケーション誘発系的な作品と、孤独に向き合う作品とを「共存させることができる場」というのが、美術館の良いところではないでしょうか。なので「交流的な仕掛けの場」と「孤独な場」、いろいろな組み合わせ方で「在る」というふうになっていてもいいのかな、と思います。

- 今はまだ現物が無いから頭の中でいろいろ悩んでいるんですが、渡邊先生のお話を伺って、「完成してから変えることができる」ということも大事なのかな、と思いました。デザインや計画は進んでいるけれど、いざ完成した後で、実際の使用感がうまく反映できるような仕組みだったりとか、柔軟に変更できる余地みたいなもの。みんなで一緒に空間をつくる上で、そういうことをやったらいいのかも、と思いました。

渡邊:「どんどん変えていく」というのは良いですね。文字通り「遊びをつくる」というところで、最初からガチッと決めてしまわず、いろんな使い方ができる余地を残す。「一通りの使い方しかできないものにはしないほうがいい」ということですね。

- この場を「ミュージアムサロン」と名付けたのも、お茶やお酒を飲みながらゆるい感じでしゃべりたい、というイメージがあるからなんです。だから一応、「サロン」と名付ける。「サロン」という名目でテーブルがあって、椅子がある、というだけで「何か始まるかもね!」とワクワクする。
そういう意味で、一種の実験的なことをやっていると思っているんですが、良いコミュニケーションが美術館で生まれるために、どんなヒントがあると思われますか?

渡邊:以前、沖縄県の若狭公民館を見学した際に、卓球台の置かれた部屋がとても印象的でした。小学校の区画内にあるので、子どもたちが学童代わりに卓球をしていて、すごく活気があるんです。だから「卓球台は人を呼ぶ」という意味で「パブリック・卓球台」なんてどうでしょう。
今は空港に「パブリック・ピアノ」がありますが、「パブリック・卓球台」は無いと思います。誰かが打ち始めると一緒にやりだす、みたいなね。他人同士でも一緒に遊べるような空間があるとおもしろいと思います。

〈対談終了後は、参加者を交えた質疑応答タイムもありました〉

参加者:「民営化」は「私物化」とも言い換えられるのではないか、という指摘がありました。県立美術館だから、使う人のためのものでもあってほしいと思いますが、目的とは違う部分で利益が吸いとられていくんじゃないか、みたいな心配があります。渡邊先生は「市民が的確なツッコミを入れ続けないといけない」とおっしゃっていましたが、私たち市民もまだまだ勉強不足なので、「ツッコミの入れ方」を教えていただきたいです。

渡邊:やはり、事あるごとに「パブリック・コメント」を出すことが大切だと思います。何か言う機会があれば、一言でも良いから声をあげる。美術館に行ったら毎回ちゃんとアンケートを書くとか。あれ、結構見られますよね。

- はい。全員見ています。アンケートの中でご指摘があれば、何が原因だったか都度話し合いが行われます。

渡邊:ああいうのって意外とちゃんと読まれていて、そのおかげで問題が整理されたりする。「市民の声」というのは小さいようでいて、声を上げていれば届いていくものなんです。だから、事あるごとに一言・二言でも言い続けることが大事だと思います。「そういう関心があるんだな」というムードがあるだけで、釘を刺すことになりますから。


参加者:年間の入館者数(数字)を目標にするのも良いけれど、そこのところを忘れずに、数字だけをめがけて走っていかないようにしてほしいです。金沢の21世紀美術館のすぐ隣には、立派な県立美術館があります。隣にちゃんとしたもの(正統派のもの)があるから、とがったタイプ(現代美術寄り、前衛的)の美術館でも全国的に認められるような活動ができるんだと思います。鳥取県立美術館は、両方の機能(伝統と前衛)を兼ね備えた美術館として、今まで蓄えてきたオーソドックスな美術作品も大切にしてほしいです。運営のみなさんは当然わかっていると思いますが、「盛り上がる人々」と「そうじゃない人々」との温度差も併せて、そういった部分はつい忘れがちな部分だと思います。

渡邊:市民から求められるものは、なるべくつくっていかなくてはいけないと思います。美術館の傾向を通じて「こういう新たな出来事が起こった」みたいなことだったり、数値的には見えないけれど「ある特定の方の人生が変わった」みたいなことは、ものすごく大きな影響を持っているんです。実用性だけでなく最終的な評価をどのように表現していくかは後付けになったりして、最初から明確化できないこともありますが、エピソード評価的なものは重要になってくると思います。

- 何か、大学と連携してできないですかね。AIRや現代美術の企画で、県外からアーティストが訪れる時に、美術館だけに滞在するのはすごくもったいないな、と思うんです。だから、ゲストとして県内の各大学(教育機関)に来てもらえたら、学生のためになるというか。

渡邊:ええ。すごくありがたいですね。学生との関わり方にしても、たくさんの人数に向けて話をするだけでなく、少人数で対話をするような場があってもいいんじゃないかと思います。「大人数に評価された」というのもいいけれど、それに対して「少人数だけどたくさん発見があった」というところで「自前の評価」というのが大切になってくると思います。

〈おわり〉


渡邊 太 / Futoshi Watanabe
鳥取短期大学国際文化交流学科教授。専門は社会学。地域文化、民俗宗教、社会運動に関心をもつ。著書に『愛とユーモアの社会運動論』(北大路書房)、『既成概念をぶち壊せ!』(共著、晃洋書房)、『芸術と労働』(共著、水声社)、『聖地再訪生駒の神々』(共著、創元社)など。

ライター

木谷あかり

米子市生まれ、米子市在住のフリーライター。米子高専機械工学科卒。 「コミュニケーション」「情報保障」「ものづくり」に興味があり、聴覚のサポートとして要約筆記に取り組む傍ら、リモート組織のシステム構築をおこなったり、コピーライティングや記事作成をおこなったり、理系と文系のはざまで様々なアウトプットを試みている。「読めば都」な本の虫。育ての親はMicrosoft。座右の銘は「言行一致」。特技は「焼肉のレバーを上手に焼くこと」。好きな言葉は「コンセプト」。