原点であり、最前線での活動を体感する時間
「エクアドルのアーティストに学ぶ、南米のフェミニズム・アート・アクティビズム」レポート

鳥取藝住実行委員会では「鳥取クリエイティブ・プラットフォーム構築事業」の一環としてアートの現場での「労働」にまつわるリサーチを実施しています。11月には南米の事例に学ぶオープンな場を開きました。女性の生き方に興味を持つ山崎郁さんが、18日のトーク・イベントについてレポートします。


南米・エクアドルから、フェミニスト・アーティスト、フェミニスト・アクティビスト3名が、東京での展覧会開催を機に鳥取まで足を運んでくれた。鳥取藝住実行委員会主催による「エクアドルのアーティストに学ぶ、南米のフェミニズム・アート・アクティビズム」と題した鳥取での日程は2日間。11月18日にトークイベント(湯梨浜町)、翌19日がワークショップ(米子市)という構成で、私はトークイベントに参加した。ここでは翌日のワークショップ時の写真も交えて紹介する。

フェミニズム、アクティビスト、しかも南米!となると、何も知らない私にとってはとても刺激的なテーマである。すごいな、わざわざ鳥取に来てくれるんだ、というのが正直な感想だったが、参加できてよかったと心から思う。参加者は12名。小さな会場での小さなイベントだったが、参加者として共有できたものは大きく、それぞれに大きな満足感と宿題を持ち帰ったのではないだろうか。緊張感のある、抑制の効いた親密感が会場を満たしていた。あたたかい雰囲気づくりは、会場となった「たみ」(1)の個性によるところも大きいのかもしれない。イベント中も言及された言葉だが、フェミニズムの原点ともいえる「個人的なことは社会的なことである/個人的なことは政治的なことである」を何度もかみしめるイベントだった。

鳥取コナン空港にて。左からアンドレア・サンブラノ=ロハス氏、岩間香純氏親子、ディアナ・ガルデネイラ氏

講師・アーティストは、岩間香純氏、ディアナ・ガルデネイラ氏、アンドレア・サンブラノ=ロハス氏。岩間氏が、概要説明や通訳を含め全体の進行を担当し、エクアドルってどこ?アクティビズムって何? という入り口から、講師陣の紹介、そして今回、日本に展示された作品などを豊富な写真を交えて説明した。岩間氏には「南米といえばフェミニズム」という興味深い連載がある。

アートとは何か。古今のアーティストが世代を超えて繰り返しているであろう大きな問いで、明確な答えがあろうはずもない。しかしその問いの中からしか、新しいアートは生まれないだろうし、革新的なアート運動も起こらないだろう。岩間氏が指摘されていた、作品を美術館の中に安置し、神殿にある神像のように祭り上げて終わりでいいのか、という疑問は、現在、多くの美術館も含めて自問自答され、美術館自身が再生の機を得ている。この問いは、アートは誰のものか、という問いでもある。それは、社会は誰のものか、政治は、という問いにもつながるし、アートと社会の結節点をつくる。というか、もともとアートと社会は別のものではないのだということを認識させてくれる。社会がアートを生み出し、生み出されたアートが社会に問いかけ、人に何かを訴える。その人のバックボーンによって受け取るメッセージはそれぞれだろう。その連関が変化を生んでいく。そのダイナミズムを、作品を紹介されながら実感した。

今回、紹介された作品は2つ。2人のアーティストの問題意識と、現在の社会状況、エクアドルの多くの女性のおかれている状況から生まれた作品であり、エクアドルの今を切り取った作品といえる。

ジェンダーのステレオタイプについて話すガルデネイラ氏。翌日のワークショップにも12名が参加(ちいさいおうち/米子、11月19日)

ガルデネイラ氏の作品の出発点は、ジェンダー暴力に関する統計だったという。国勢調査の項目「ジェンダー暴力に遭ったことがある」に女性の60.6%が「ある」と回答していたという。ただ、このままだと数字がそれぞれ1人の人間だと実感できず、数字のまま受け止められて、そのままだ。ガルデネイラ氏は、この数字を可視化したいと考えた。氏の地元グアイヤキルは首都キトよりも大きな町で、その人口の60.6%は772,722人。その数を作品としてどう表現するか。氏は250×40センチの大きな布に、2センチ角の小さな布を772,722枚、安全ピンでとめていくことで数字を表現することにした。はじめは家族や友人に協力を依頼、さらには文化施設や女子少年院などを訪問して作業をするように。この創作過程自体がアートであり、アクティビズムとなっている。この作業の間、この数字について考え、自分自身の経験してきた暴力被害を考える。「Yo sí te hago todo」と名づけられたこのプロジェクト、2019年のアルゼンチンでのスール・ビエンナーレには、25枚もの布が展示されたという。

プロジェクトタイトル「Yo sí te hago todo」とは、「ストリートハラスメントなどで言われたことで一番酷かったことは?」への回答から名付けられた。これは「なんでもしてあげる」という意味で、性的な嫌がらせ(セクハラ)になるフレーズ

一方のサンブラノ=ロハス氏は、首都キトで活動を行っている。今回の作品は、首都郊外の洗濯場を舞台にしたプロジェクト「Calzones Parlantes」だった。洗濯場に集う女性たちとワークショップを重ね、まずは関係づくりを丁寧に行う。その後、「暴力」をテーマにおのおのがパンツを素材に創作を行う。「私の仕事を評価して」「怒鳴らないで」などのメッセージが書かれたおびただしいパンツをそこに展示する。なぜパンツかというと、個人的なものの象徴であり、いつも隠されているものだから。隠されているものを明らかにする、すなわち、個人的なことを政治的/社会的なものにする、という試みだ。パンツが作品になる、というインパクトの強さも作品の強さにつながっているように感じた。個人的には、いつも洗濯場を使う、顔が見える関係性の中でのプロジェクトということで、さまざまな葛藤が生じるのではないか、「怒鳴らないで」と書いた人はその後、もっとひどく怒鳴られてはいないか、などと不安になった。質疑応答でその旨質問されたサンブラノ=ロハス氏は、「このメッセージを掲げることが『知っているんだぞ、見ているんだぞ』という牽制にもなる」と答えていて、実際の関係性に影響を与えるプロジェクトなのだと実感した。

プロジェクト「Calzones Parlantes」について話すサンブラノ=ロハス氏(ちいさいおうち/米子、11月19日)

一人ひとりが抱え、そして経験していることはあくまでも個人的なことではあるのだが、それでも似通った経験・同じような経験がいかに多いことか。私自身は、文字通り地球の裏側でも一緒なのだな、と痛感したが、エクアドルの女性たちは、「私だけじゃないんだ」「こんなにたくさんの人がそうなんだ」「そうか、嫌なことは『嫌だ』と言っていいんだ」と励まされたと思う。なぜなら、地球の裏側の私自身が励まされたから。今回のプロジェクトは、それを言挙げできる場を設けたということが出発点であり、大きなポイントといえる。場を設けることで、作品の完成の前にすでにプロジェクトが成立しているように私には感じられた。

Quiero que valoren mi trabajo「私の仕事を評価してほしい」と刺繍されたパンツ。今回のイベントでもこのフレーズは深い共感を得た

アートの力、個人のナラティブのメッセージとしての強さ、場を共有できることの意味……。では、私はどうしようか。場をつくれるだろうか、個人的な語りに耳を傾ける場を…?私にとってはそれが宿題となった。参加者1人ひとり、それぞれの場に持ち帰った宿題が確かにあるはずで、時間はかかるかもしれないが、それぞれの持ち帰った種が、きっといつか芽吹くだろう。そういう予感を抱いて帰路につけたことも、自分を励ます一助となっている。

19日のワークショップでは、軽いストレッチで体をほぐすことからスタート。最後には「暴力からどうやって自分を守るか、ケアするか」という問いに対する各々のこたえを布に書き記した

1:会場となった湯梨浜町のゲストハウス「たみ」は、オープン当初から館内の写真撮影を禁止している。そこでの出会いや出来事を身体で記録してほしいという想いから。


エクアドルのアーティストに学ぶ、南米のフェミニズム・アート・アクティビズム

[トークイベント / 湯梨浜]
日時|2023年11月18日(土)
場所|たみ(689-0712 鳥取県東伯郡湯梨浜町中興寺340−1)

[ワークショップ / 米子]
日時|2023年11月19日(日)
場所|ちいさいおうち (683-0001 鳥取県米子市皆生温泉2丁目9−36)

ゲスト|岩間香純 / Iwama Kasumi、ディアナ・ガルデネイラ / Diana Gardeneira、アンドレア・サンブラノ=ロハス / Andrea Zambrano Rojas

コーディネート|岡田有美子 / Yumiko Okada

主催・問合せ|鳥取藝住実行委員会 geiju@totto-ri.net
助成|中国5県休眠預金等活用事業2021

ライター

山崎郁

関西出身。就職氷河期のはしりの世代。正社員就職が叶わず、トリプルジョブのフリーターからスタート。塾講師や図書館司書を経て、出版社勤務や新聞社勤務などを経験、編集や校閲などに携わる。2020年代に入り鳥取に移住、現在は鳥取市内に暮らす。ライターとしては駆け出し。介護・福祉などの社会保障分野、女性の生き方や在日外国人のおかれている状況などの人権分野などに特に関心がある。アートについては鋭意、勉強中。