レポート:
《令和3年度 鳥取県立美術館整備推進事業 ファシリテーター養成講座》
「対話型鑑賞による学びの可能性ー本当に役に立つの?」#1

2025年春(令和6年度中)に開館が迫る鳥取県立美術館。開館時に来館する小学生に対して作品鑑賞のファシリテーション(案内役)を行うボランティアスタッフを養成するために、「対話型鑑賞」のファシリテーションスキルを学ぶ場づくりや実践が進められています。2021年9月より「対話型鑑賞」を実践しているトットライター蔵多が2回に渡りその様子をお届けします。

会場となった鳥取県立博物館の講堂には筆者を含めた約20名が集まり、講師の三ツ木 紀英さん(NPO法人 芸術資源開発機構[ARDA(アルダ)] 代表理事・アートエデュケーター・アートプランナー/以下、三ツ木さん)によるレクチャーと対話型鑑賞を受講しました。

開催当日である2022年3月26日は、鳥取県内で暴風警報が発令され、交通規制も出ており、参加を断念した方も多くいるかと思います。そのような方や、鳥取県立美術館のラーニング機能が気になっている方、「対話型鑑賞(1)」に興味のある方々へ届くようにレポートをまとめていきたいと思います。

はじめに~NPO ARDAと「対話型鑑賞」

まず初めに、三ツ木さんが代表理事を勤めるNPO法人 芸術資源開発機構[ARDA(アルダ)] が「対話型鑑賞」の活動を始めたきっかけは2011年の東日本大震災だったとのこと。

「原発問題をはじめ、答えのないものに対してどう向き合っていくのかが大きな課題となって見えていた。アートを通した対話は、新しい見方を得たり、”違い”がもたらす豊かさを知れる。異なる意見の人たちが共に地域で暮らし認め合う社会をつくっていくことが、「対話型鑑賞」でできるのではないかと考えたんです。」

そういった思いからアートコミュニケーションを生み出せる人(「対話型鑑賞」のファシリテーションができる人)を育成する活動を2011年から始められ、美術館のない地域の文化政策を担うセクションの人々や教育委員会と協働し地元小学校で活動をするような地域連携の仕組みをつくったり、東京都美術館や佐倉市立美術館などの施設と協働しラーニングの担い手となる市民ボランティア育成などを行う事業を展開されています。

現在、日本で普及している「対話型鑑賞」の主な源流は、1980年代にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開発された「VTS (Visual Thinking Strategies)」です。VTSとは鑑賞者主体の美術鑑賞法で、認知心理学者のアビゲイル・ハウゼンが開発に関わり、論理的思考力や批判的思考力が育まれていることが明らかになっています。そのため、アメリカの美術館や学校で広く普及し、最近では医学教育や看護教育にも取り入れられています。この数年、日本でも注目を集めており、企業研修にも導入されているとのお話がありました。

三ツ木さんのお話を頷きながら聞き入る会場の参加者たち。「対話型鑑賞」という言葉を知っている人も知らない人も、それぞれの中で関心が高まったように感じました。筆者自身は「対話型鑑賞」や「VTS」のことを別の機会でのレクチャーや実践を経て、自分の中にある程度の理解のカタチが出来上がりつつある状況です。今回、三ツ木さんご自身やARDAでの活動を聴くことにより、「ここはこういう考えでも良いのか。次回から取り入れてみよう。」と自分の中のカタチを改めて見直す時間となりました。

会場で実践された「対話型鑑賞」〜鳥取県立博物館所蔵3作品をみて

次に、三ツ木さんによるファシリテーションを体験しながら「見る」「話す」「聞く」「考える」の4つを意識して参加者全員で「対話型鑑賞」を実践していきました。今回鑑賞した作品は、鳥取県立博物館に所蔵されている絵画3点。画像をスクリーンいっぱいに映し出し、1時間たっぷりと「対話型鑑賞」をしていきました。

1,2分程度の鑑賞時間を経て、三ツ木さんから「この作品の中で何が起こっているのか、一体どんな感じがするのか。どんな小さなことでもいいので、何か考えたこと、感じたことがあればぜひ教えてください」と会場内に声がかけられます。場内の参加者は手を挙げて、思い思いに発言をしていきます。

2作目として鑑賞した浜田宜伴《戦災孤児》1943年では、このような対話が繰り広げられました。

三ツ木 みなさんにはこの作品はどんな風に見えますか?どんなことが表現されていると感じますか?

鑑賞者A 真ん中にいるのは男の子かなと思うのですが、彼が手に持っているものが何なんだろうと近づいて見たんですがよく分からなくて。連想するのは、銃のような武器や、ギターのような楽器とか。武器だったら戦いや苦しみを、楽器だったらその状況下で絶対に手放したくないものに感じられます。

三ツ木 この手に持っているものが何なのか。それが銃のようにも楽器のようにも見える。で、それによってこの少年が持つ感情とか、周りの状況が変わってくるのではないかなと。これが何なのか、そしてこの人物はどんな気持ちでこれを持っているのかなと考えたんですね。

鑑賞者B 私もこの人物はなんとなく少年なんだろうなと思って、男の子が持っているものと考えて、汽車かなと。どうしても後ろに壊れた建物があるので、戦禍を逃れて、それを抱えて逃げている姿に見えます。実のところ最初は、おじいさんだと思ったんです。ただ、どうしても持っているものが汽車のおもちゃに見えたので、そこから、4歳、5歳くらいの子だと思うようになりました。

 三ツ木 小さい子にもみえるし、年寄りにも見える。最初の方も子どもに見えるとおっしゃっていたのですが、作品のどこから年寄りにみえたのでしょうか?

 鑑賞者B なんか脚がたくましい気がして。顔は本当におじいさんみたい。肌の色合いが、年季が入っている感じがあって。いろいろ経験したような。

 三ツ木 うんうん、しわではないんだけれども、ちょっと緑がかったところもあって、汚れていたり、年季を感じるような。何かいろいろな経験をしてきたような人物に見える。足の筋肉もぽちゃぽちゃした4、5歳の子どもの脚というよりは、いろいろなところを歩いてきた脚のようなんですね。先ほど、楽器とか、銃のように見えるという話があったんですが、子どもが遊ぶ汽車のおもちゃのようにも見える。先ほども、この抱え方がもしかするとすごく大事なものを過酷な状況の中で守ってきた、持ち続けているという話もありましたが、持っているものから、どんな風に感じられるでしょうか。

鑑賞者C 私は弦楽器を引くような手つきなのかなって。なんかこう、悲しい歌を歌っていそうな状況で。

 三ツ木 悲しそうな感じは作品のどのようなところから感じたんでしょう?

 鑑賞者C 目がすごく焦点が合っていないうつろな感じ。口も半開きで。歌っていないにしても悲しい曲が聞こえてきそうな、そういう雰囲気があるなって。

 鑑賞者D 私は手に持っているものは蒸気機関車の模型と思ったんですが、最初の方が武器って言われたことを受けて、この周りがどこかなと考えたときに、崩れかけた建物があって座っているものがレンガのがれきみたいで、連日テレビで見ているウクライナの様子を思い浮かべました。

 三ツ木 現実の世界に重なって見えるんですね。

鑑賞者D そういったところから、破壊された街の中で、生き延びた姿なのかなと。ただ、がれきにすがって両足で立ってはいないんだけれども、右足には力が入っていて、これから立ち上がろうとする力強さも感じる。悲しい出来事に打ちひしがれているだけだったら、例えば、座り込んだ姿でも良さそうですが、この作品は非常に足が力強くて。寄りかかりながらも頑張って立っている。

三ツ木 座り込んでいるというよりも、少し体重を預けているように見える。先ほどこの表情から悲しい曲が聞こえてきそうという話がありましたが、ここから次に、生きていくという力も、この脚のたくましさから感じるという話でした。

鑑賞者F 周りには何もなくて、この人物も下着しか着ていない。本当に何もなくなってしまった、元々あったけど失われてしまった様子がとても感じられます。でも持っているものは確かにあって、たくさん失われたけど、それでも大事にするもの、奪われないものみたいな感じがしました。

三ツ木 先ほどもウクライナに重なるというお話がありましたね。何もない、荒涼とした破壊されたかのような状況の中で、手に持っているものがしっかりと実態があるように描かれてる。これは、この人物にとっての最後まで残されている大事なもの、奪えないものを象徴しているのではないかというお話しでした。ありがとうございます。(以後略)

このようにファシリテーターである三ツ木さんは、鑑賞者である会場の参加者たちの言葉をよく聞き、伝えたい内容をより共有しやすい言葉に言い換えたり、他の鑑賞者の言葉と繋げたりするなど、対話の交通整理を行っておられました。三ツ木さんが交通整理をしてくださることにより、作品の見方がどんどん整理されていきます。

他には、山本恵三《一隅(海の近くⅠ)》1995年/笹鹿彪《修道女》1959年の二作品を鑑賞しました。三作品ともに画面に描かれたものを切り口に、描かれたものの状態や色・かたち、時代背景などに思いをめぐらせ、作品から受けた印象を鑑賞者それぞれが語ります。対話でも取り上げたように、時には前の人の発言を受けて自分はこう考えている、といったような意見もありました。会場内でいろんな視点からの意見があがり、対話が盛り上がることで、一人では辿りつけない深いところまで作品をみることができたように思います。

《つづく》

構成・編集:水田美世
写真:藤田和俊

(1)「対話型鑑賞」については、以前に著者が執筆したレポート「あなたもファシリテーターに!」鳥取県立美術館開館に向けた対話型鑑賞実践 #1」もご参照ください。

ライター

蔵多優美

1989年鳥取市生まれ。京都精華大学デザイン学部卒業。IT・Web企業数社、鳥取大学地域学部附属芸術文化センター勤務を経て、デザイン制作やイベント企画運営、アートマネージメントなどを修得。「ことばの再発明」共同企画者。2021年5月より屋号「ノカヌチ」として活動開始。「デザインを軸とした解決屋」を掲げ、企画運営PMやビジュアルデザイン制作を得意領域とし、教育や福祉、アート分野の様々なチームと関わり活動中。学校法人鶏鳴学園非常勤講師。現在は「鑑賞教育」と「対話」について考えるのが主な日々。吉田璋也プロデュースの民藝品を制作していた鍛冶屋の末裔。