本棚帰郷 ―鳥取を離れて #3
intermission:語りが生まれるところ『鳥取の民話  新版日本の民話61』

自分にとって大事な場所、しかしそこに自分はもういない、そんな矛盾―
鳥取出身、京都在住のnashinokiさんが1冊の本を通して故郷の鳥取を考える連載コラム。全国の民話を集めたシリーズから『鳥取の民話  新版日本の民話61』を紹介する中編です。


ところで、民話は読まれるものだけれど、それよりも前に語り、聞かれるものであったはずだ。

前回から民話について書こうとして、しかし誰かによって語られる民話を、僕はほとんど聞いたことがなかった。語られる民話を聞かずに、そしてそれを語る人たちの言葉を聞かずに民話について書くことは、大切な部分を欠落させることになるのではないか。そう思い、鳥取で語りの活動をしている人がいないか調べてみて、とっとり・民話を語る会の代表の小林龍雄さんに連絡を取った (1) 。そうするとありがたいことに、まあ会いませんかといってくださって、翌日鳥取市内の小林さんの事務所にうかがった。小林さんは80歳を超える高齢にもかかわらず現役で仕事をされ、同時に鳥取の民話の会のまとめ役もされている。初対面の人間にも、親切にいろいろ教えてくださる気さくな方だった。

近々どこかで民話を語られる機会はありませんかと尋ねたところ、鳥取市での会は夏になるが、その前の6月に中国五県の民話グループが集まる会が松江であるから、そこへ来ませんかと誘われた。ずいぶん本格的な場のような気がしてためらわれたが、それだけいろいろな県の民話の会の人たちと出会う機会はないかもしれない。帰り際、外まで見送りに出てくれた小林さんに、どうしてこういう活動をするようになったんですか尋ねると、好奇心旺盛で民話の活動にもかかわるようになったんですと、空の下で答えられた。その「好奇心で」という言葉にも背中を押され、松江の会に参加することに決めた。

松江の玉造温泉には、駅から温泉街まで小川が流れ、穏やかな風景が続いている。神社も近い木造の家並のそばでは子どもたちの遊ぶ声が聞こえ、まさに民話の世界に入り込んだような場所。会はそこで日曜の昼に始まった。最初は各県で活動する人たちの講演や活動報告などが行われ、夕食後は小さな部屋に分かれて、参加者がそれぞれ民話を語る時間がもたれた。僕自身はもちろん民話を語ることはできないので、隅でその語りを聞かせてもらった。

驚いたのは、輪になってその場に集まる人たちがほとんど全員、民話を語ったことだ。もちろん普段から民話グループの活動をしている方がほとんどなので、語れること自体は不思議ではないが、彼女たち(女性が多かった)は、別に誰に指示されることもなく、自ら進んで語りを始めた。大勢の前で喋るというのはそれだけで勇気がいることだし、しかもきちっと形のある物語を語るのだから、なおさらと思う。特に自己主張の強い人がいるとも感じなかったが、一人一人はごく自然に、語りのスポットライトを浴びる場に進んでいった。

そういう何か、一人一人が自然に自主性を発揮する場が、日本では見ることが少ないので、珍しく感じられたのかもしれない。静かな語りもあれば、がっはがっはと笑いの起こる語りもあり、輪の中で聞く者は、語る人の顔を見て、それから同じように聞いている他の人たちの顔を見る。みんながみんなの顔を見ながら、話を聴く。こういうところで民話は生まれ、伝えられてきたのだな。なんとなく、そんな風に感じた。そしてこれだけの人が進んで語ろうとするのだから、語るのは、とても楽しいことなのだろう。

温泉に入って翌日の朝には、民話の会の今後について話し合いが行われた。多くの会が語りの後継者不足という問題を抱えているということだ。

それがどういう形になるのか、まだ答えは出ていないけれど、それぞれが何らかの形でこの文化を受け取り、伝えていけたらよい。そう思う。

(続く)


1. 鳥取県には他に、さじ民話会(鳥取市)、いわみ民話を語る会(岩美町)、倉吉民話の会(倉吉市)、みささ語り部の会(三朝町)、ほうき民話の会(米子市)、おはなしのまど(日南町)などがある。


 今回の1冊『鳥取の民話 新版日本の民話61』
編者:稲田和子
出版社:未來社
発行日:1976/7/30
ISBN : 9784624935610

ライター

nashinoki

1983年、鳥取市河原町出身。鳥取、京都、水俣といった複数の土地を行き来しながら、他者や風景とのかかわりの中で、時にその表面の奥にのぞく哲学的なモチーフに惹かれ、言葉にすることで考えている。