本棚帰郷 ―鳥取を離れて #1
喪失の、その外へ『中原中也詩集』

自分にとって大事な場所、しかしそこに自分はもういない、そんな矛盾―
鳥取出身、京都在住のnashinokiさんが1冊の本を通して故郷の鳥取を考える連載コラム。1回目は山口県吉敷出身の詩人、中原中也の詩集です。


15年前、高校を卒業し、浪人することになった。

大阪の予備校へ入り、寮は中津にあった。少しでも大阪の土地勘があればわかるが、中津は大阪駅のある梅田から歩ける距離、つまり大都会である。そこで初めての一人暮らしを経験した。苦しかった。学生という身分から離脱してしまった宙吊りの不安や、知らない人間ばかりで関西弁に包囲され、言葉をしゃべれない孤独感。家族のいない寂しさ。もう無理だと、数週間で寮から実家に逃げ帰った。親になんと言われようが、高校の同級生にどう見られようが構うものか。なりふり構わずとは、ああいう状態をいうのだろう。

そうして郷里で数日を過ごした。当然、実家は居心地が悪い。やはり家族の目が気になり、悶々として仕方なく、家の裏山へ登ってみた。なぜそんなところへ行ったのかはよくわからない。なんとなく行きたくなったのだ。

その頃にはもうやめていたが、そこにはかつて祖母たちが梨を作っていた果樹園があった。山へ登る道を上がっていくと、道を挟んで果樹園の斜面から少し降りた場所に、水を貯めておく堤がある。堤の土手からは、郷里の谷が一望できるようになっていて、この辺り、鳥取市街から車で三十分ほどの、河原町西郷地区の穏やかな里山の風景を見ることができる(太平洋ベルトの開発から取り残された鳥取には、このような風景が多く残っていると思う)。

土手の中心まで歩いて行き、村の谷を見晴らした。堤の土手に立ち、池を背にして、しばらくそこから前を見ていた。風が吹き、木々が揺れる。

自分はここから出ていかなければならない。

そのことが、なぜかこの時、理解された。少なくともそうしなければ、今のこの状態から解放されることはない。そうして、僕は大阪へ戻った。

「帰郷」

柱も庭も乾いている
今日は好い天気だ
縁の下では蜘蛛の巣が
心細さうに揺れている

山では枯木も息を吐く
あゝ 今日は好い天気だ
路傍の草影が
あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる
心置きなく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う

不思議なことに、長い間、この詩を読んだのは浪人時代だったと思っていた。しかし僕が自分で詩を読むようになったのは大学に入った後だから、辻褄が合わない。あの時、堤から谷を眺めた時の気持ちがあまりにこの詩に表れている気がして、知らないうちに過去の時間を歪めていたのだ。あの場所で、風がこの詩を囁いたのでないかとすら思える。

郷里の人々はあたたかく、自然は美しい。けれど自分はそこから何のために離れ、一体何を見、誰に会い、何をやってきたのだろう。その問いは、鳥取に帰るたび、何度も反復することになった。

この詩の作者は中原中也(1907-37)。多くの優れた詩を残し、三十歳の若さで夭折した。その作品は、現在も広く読み継がれている。ランボーやヴェルレーヌなど同時代フランス詩の影響を受けながら、自らの感性を、日本語による近代詩の形式に流し込むことに成功している。その言葉は歌のように流れ、詩の内容はそれほど単純ではないはずだが、読む者に親しみを感じさせる。

かつて酒の席で、哲学を教わった恩師と中也の話をしたことがある。彼は、中也の詩は青春の詩だから、自分がその時期を通過してしまうと読むのが辛いと言った。そうなのだろうか。

引用した「帰郷」になぞらえると、筆者はいま三十代もそろそろ半ばに入ろうとし、中也が生きた年齢を越した。子ども時代を見守ってくれた「年増婦」たちは亡くなるか、老齢となりつつあり、もはやその懐で「心置きなく泣」けるような存在ではない。「おまえはなにをして来たのだ」という問いかけも、未知の希望があるからこそ裏返しに発せられるものだろう。しかしある程度年齢を経ると、自分に何ができ、何ができないかということをつきつけられ、問いかけるよりもただ黙々と、自分にできることを進めるしかなくなる。中也は有名な「汚れつちまつた悲しみに…」など、喪失の悲しさを詠った詩を多く残しているが、ここにはその先で、そのように嘆き悲しむことすらも失った、より深い感情がないとはいえない。恩師が言っていたのは、もしかするとそういうことかもしれない。

けれど、中也の詩は、まだ僕の心に響く。どうしてだろう。

「帰郷」という詩は、郷里から離れた人間の喪失やさみしさを感じさせなくもないが、それをどこか突き抜けた、乾いた開放感、風通しの良さがある。それは語り手の視点が、郷里に包まれる一人の人間である一方で、それを包み込む、故郷や自然そのものであると感じられるからかもしれない。ではその視点が開放的なのは、なぜだろう。それは故郷や自然といった風景が、人間とは別に、流れ、進んでいくものだからではないだろうか。それが、その人を喪失の場所から動かす可能性を、かろうじて担保している。

その視点は、喪失を引き受け社会の中で限られた「役割」を果たす「大人の視点」と同じではないし、それが読む者を具体的にどこへ導くかといわれれば、わからない。けれど喪失にとどまる個人を超えていく開放性が、そこにはあり、それは「大人」を救うこともあると思うのだ。

中也は亡くなる少し前、郷里の山口への帰郷を望むが叶わず、鎌倉の病院で亡くなっている。「帰郷」の「おまへはなにをして来たのだ」には、いつかは故郷に帰る前提が織り込まれていたようにも思えるが、若くして出郷し長く東京で暮らした中也が、故郷に縛られていたとも思えない。彼はどこへ帰っていくつもりだったのだろう。

いま僕は、帰郷と離郷を繰り返し、結局また鳥取から出て京都に住み始めた。以前はいずれ鳥取に住むのだという半ば無意識の前提があったけれど、そこからはやや離れた気がする。

この先一体どこに行き着くのだろう。ただ以前とはちがい、必ずしもそこに住み続けることだけが、「その場所を生きる」ことではないと思っている。どこかで誰かが、「ある場所について書く者は、その場所の継承者である」というようなことを言っていた。その意味をまだ理解できているとは思わないけれど、この言葉をしばらく抱えて生きたい。

最後にもう一つ、中也の詩を紹介して、この文を終わりたいと思います。

「はるかぜ」

あゝ、家が建つ家が建つ
僕の家ではないけれど。
空は曇つてはなぐもり、
風のすこしく荒い日に。

あゝ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。
部屋にゐるのは憂鬱で、
出掛けるあてもみつからぬ。

あゝ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。
鉋(かんな)の音は春風に、
散つて名残はとめませぬ。

風吹く今日の春の日に、
あゝ、家が建つ家が建つ。


連載を始めるにあたって
鳥取出身、京都在住。時々いくつかの形で、書いた文を他の人に読んでもらっています。自分にとって鳥取はとても大事な場所で、でも今は住んでいません。それはどこか矛盾していて、自分はこれからどう「鳥取」とかかわっていけるのだろう。そんなことをよく考えます。ここでは、これまで出会った本のなかから、それを読むことで鳥取という場所について考えられるものを紹介します。鳥取と縁のある著者や、鳥取のことを書いた本はもちろん、必ずしも鳥取と直接関係がなくても、何か結びつきを感じられるものであれば取り上げていきます。いわゆる「本」でないこともあるかもしれません。でもそうすることで、様々な角度から「鳥取」を照らし出すことができたら、そしてそれがいろいろな人の、鳥取との関係を考える手がかりになったらと思います。(nashinoki)


 今回の1冊『中原中也詩集』
著者:中原中也
編者:大岡昇平
出版社:岩波書店
発行日:1981/6/16
ISBN : 9784003109717

ライター

nashinoki

1983年、鳥取市河原町出身。鳥取、京都、水俣といった複数の土地を行き来しながら、他者や風景とのかかわりの中で、時にその表面の奥にのぞく哲学的なモチーフに惹かれ、言葉にすることで考えている。