〈耕さない文化論〉内田樹氏講演会

2023年7月23日、内田樹さんの講演会が湯梨浜町松崎 jig theater で開催されました。コロナ禍の2021年1月に汽水空港で参加者およそ20人でゲリラ的に行われた前回の講演会から2年たち、私たちも世の中もさまざまな変化があり、多くの人の関心が高まったこの講演会。
内田樹さんの著書を長年愛読する講演会の主催者、黒田章吾さんによる〈耕さない文化論〉のレポートです。


〇あらまし
内田樹さんを湯梨浜町に迎えて講演会を行うのは今回で2回目。前回は2021年に1月に内田さんを招聘し、同じく松崎にある書店・汽水空港で開催した。観客数は約20名の小さな会であった。内田さんとコンタクトを取ったきっかけは、私が20年近く前から内田さんの著書を多数愛読していて中でも自伝である『そのうちなんとかなるだろう』という著書の内容にいたく感動し、内田さんのブログ上にあるアドレスに感想文を送ったこと。感想のあとに添えて、「鳥取県には汽水空港という個性的な書店があり、叶うことならいつか内田さんにそこで講演をおこなっていただきたい」という主旨のことを綴った。するとほどなくして内田さんから返信が来て「講演会、企画していただければスケジュールを調整して行きます」と記されていた。驚きと嬉しさでいっぱいになり、ではということで汽水空港の店主・森哲也君と話し合い、内田さんとメールのやりとりを重ねて実現させた。ただし、世間はコロナ禍の真っ最中ということもあり、大っぴらに告知はせず、少人数でゲリラ的に開催することに。講演会では主にコモン(共有財産)についての構造的な成り立たせ方を中心に講じられ、後半のパネルディスカッションとともに熱のこもった講演会となり、盛況に閉じた。内田さんからも、「コロナが明けたらまたやりましょう」とのお言葉をいただいていた。
あれから2年経過し、コロナ禍もおさまりかけてきて、2023年の3月頃、久しぶりに内田さんにメールを送り、講演会開催の打診をした。ちょうどそのころ内田さんは腰痛に悩まされていて4月に手術を受け入院生活に入るので、退院したころにもう一度連絡ください、との返信が来た。Twitterで内田さんの動向を把握しながら落ち着いたと考えられた5月ごろに再びコンタクトを取り、同意を得てスケジュールを調整し、7月開催となった。多くの来場希望者が見込めることもあり、会場は汽水空港より広いjig theaterの視聴覚室で行うこととなった。
講演会は前回同様、内田さんの講演とパネルディスカッションとの2部構成にすることに決め、パネルディスカッションに参加いただく方の人選を進めた。鳥取県で独自の活動を行っている方に絞り、前回にも参加いただいた汽水空港の森君、ミニシアターであるjig theaterの柴田修兵君、数々のアートその他のプロジェクトを手掛ける野口明生君の3人にお願いすることとなった。
パネラーの3人と講演会のテーマについて協議し、鳥取県や日本をとりまく「いま」の文化について掘り下げるのが相応しいという意見にまとまり、cultureの語源であるcultivate「耕す」→環境を整える、といった従来の文化への解釈とは違ったアプローチについて論じることとした。

〇講演会当日
内田さんは前回同様、日帰りでの来鳥となる。10時43分倉吉着のスーパーはくとに乗って倉吉に到着、到着後松崎にあるとんかつ店「とん吉」にて、今回の講演会でディスカッションにてパネラーを務めてくれる3人を交えて事前打ち合わせを行った。この時、内田さんは講演会のテーマと講演で話す内容の方向性については、3人のパネラーの意見を汲み取ったうえで検討された。
12時すぎに会場入りし、汽水空港の森君が会場にて内田さんの著書の即売会を実施しそれに立ち会い来場者との歓談・サイン会を行った。

〇講演内容
講演会前半の1時間15分ほど、内田さんの講演。
話の糸口は、文化の背景にある世界の大きな枠組みの話・資本主義社会の今後について。資本主義は右肩上がり、人口増で資源を収奪しながら伸びていく仕組みであるので、今世紀それが限界を迎えるという見方が広がっている。資本主義そのものに自浄作用があるという見方もあるが、資本主義がイデオロギー・システムであるので擬人化することはできないという見解。最終的に人間社会が終焉を迎えても資本主義は死なず、株主の収益を追求するために暴走していくだけである。資本論中のフレーズ「洪水よ、わが後に来たれ」が象徴しているように資本主義が崩壊するまでは、欲望のまま突き進んでいく、今もってまだリアリティをもって真剣に議論されていない現状。加えて人口減問題。隣の韓国の合計出生率は0.78(日本は1.02)、人口の50%がソウル周辺に集中、他の都市はおしなべて過疎化している。韓国の現実は日本の将来を指し示している。日本の将来は2100年ごろには約5000万人になるという見通しを厚労省は立てている。中国も含めて、日本の近隣諸国は人口減問題に直面していく。ただ、韓国は北朝鮮との統合、中国はアフリカへの進出といった先を見据えた展望を描いている。人口減に対する方策は①資本主義社会を継続→都市圏へ全資源を集中させる、地方を切り捨てる。②資本主義に逆行→地方に資源を分散させ、日本各地で生業が成り立たせる の2点である。鳥取県での生活を継続していく方向性は大きな枠で見ると、“反資本主義”であるが、その抵抗を辞めたら後がない状況である。個人のレベルで変わっていけば何とかなるのでは、という戦いを続けていく必要がある。アメリカの地方都市の例では、行政機関、大学、病院がその土地の主要な雇用を支えている。それらは市場や経済の変化には影響を受けにくい。環境負荷が少なく、安定している社会共通資本でもって、地方は自立した単位をかちえることが可能だし、そこが文化的な発信拠点となる。それが一局集中に対峙していくイメージである。

講演会後半はパネラー3名との対話形式。

①森哲也さんより
>森さん
自分は資本主義に適応して生きていくことができない、という思いから千葉→鳥取県へ移住した。生きていくためには食べ物と詩が必要と考え本屋経営を目指した。本屋の経営の中でも資本主義の一部であると感じ、思い悩むことになる。「耕さない農業」というのはその土地の微生物との共存を考えることと捉えている。それはお互いが「芸」を披露しあっている関係で、資本主義とも通じる。本屋を商売とだけ捉えるのではなく生態系を維持していく、という仕組みの中で考えたい。本の情報に関するリサーチしながら図書館や人の家の書棚に本を供給していく。
>内田さんより
森君の考えている経済システムは江戸時代以前の前近代的な経済に近い。社会のシステムには価値あるものを生産する者(農民など)、とそうでない者(有閑階級→聖職者、戦士、支配層など)が存在する。ナラティブ=集団をつなぐ物語が必要。今は超富裕層が存在したりして富の偏在が度を越している。森君がいう自分が食べていけるだけの利益、節度、抑制、等身大など、が説得力をもって立ち上がってくる。
>森さん
自分の悩みは、すべて自分ひとりで背負いこんでいることに起因している。自分には生きていく指針となりうる「神話」が必要であると自覚。
>内田さん
文化的な共同体が存続する条件は、先行する世代から贈与されたものを次世代にパスしていく、という物語が必要。森君は、誰かから後継者指名された、という実感がほしいという状況。森君が鳥取県に来たのは、ここはノイズが少なく天からの啓示が聴ける場所では、という直感があったから。天職という言葉はcalling、呼ばれるという意味を有する。誰かから手助けを請われてそれが天職となるというパターン。森君は自分のミッションが聞こえるのを待っていればいい。その姿勢は周りに対して感化力がある。
>森さん
自分はそういうスピリチュアリティに惹かれる部分が強いが周りへの影響を抑制している。それをもう少し開放してもいいのでは、という思いがしました。

野口明生さんより
>野口さん
街づくりやアートに関するプロジェクトの立ち上げや雑用などをサポートする役割をすることが多い。大学や行政からの依頼の仕事も多く、自分の好きな種類の仕事にかかわらず様々なケースに接している。(伝統芸能の協会など、独自の文化を守っている方など)自分の資質とは違う種類・文化と接していることもしばしば。ここにいる森君や柴田さんとは違ったフィールドで仕事しているという自覚もある。多種多様な文化との接点を持つ中で相手との間に感じる壁のようなものを突破する手法について興味がある。多様な状況を包摂するそれぞれの文化との向き合い方についてお聞きしたい。
>内田さん
東京から関西の神戸女学院に赴任したときに感じた、関西地区の各地域の文化の多様性について、それらは藩の単位での違いであったと気づいた。それらは言語と食文化を維持されていて未だに相譲らない。親の代からの縦の方向で伝わってきたもので、それさえあれば単位=文化共同体の大小や寿命の長短は問わない。それらを区分けして、それぞれに対して違ったアプローチをするということになる。それらの相互に橋渡しをするのは困難であるが一つ上のレベルでの共通言語を設定することで文化の多様性が共存できるという可能性がある。

柴田修兵さんより
>柴田さん
自分自身が特に困りごと=課題というものは無いのかもしれない。前回、内田さんが汽水空港で講演された内容において、森君の口から「戸惑っていたい」というキーワードが出た。自分が運営する jig theater においても「戸惑い」をコンセプトに置いているので、運命的なものを感じた。大阪から湯梨浜町に居をおくこととなった後、何かにつけて自分事として受け止めることができるのが自分にとっては心地よく感じている。そのことが耕す、ということになるのか。自分の疑問としては、移住してきて映画館の運営をゆるくおこなっていきたいという印象があるが、このような力みの無い姿勢で文化をおこす、ということになるのかどうか。
>内田さん
3人に共通している点は公共的な場をつくりあげていく、コモンを作っていく、という動き。
例えば森君の書店には共有財としての書物が並んでいるが本棚の効用とは、自分の無知を自覚させること。自分の家の本棚に自分が読んでいない本があることで、自らがまだ得ていない知識の膨大さを自覚することができる。
三者三様それぞれのやり方で資本主義に抗している、その手法はそれぞれ直感的に感じ取っている。それらの活動が資本主義の歯車をとどめる正統的な手法である。

〇講演会を終えて
講演会参加者から会についての感想や意見を募るアンケートを実施した。概ね、好意的な感想が寄せられたが中には、後半のパネルディスカッションにおいて議論がかみ合わなかった、テーマが消化しきれていなかった、といった批判もあった。しかし、ある参加者からは、「鳥取の人たちを色めき立たせる内田さんも素敵だし、内田さんに色めき立つ鳥取の人たちがこんなにたくさんいることが良い。行政や大きな組織の主催ではなく、ただ内田さんの話を聞きたいという個人の自由な意思の集まりで実現した会であった点も良かった。」という感想をいただき、主催者としては、こうやって喜んでくれる方がいてくれたという手ごたえが感じられて、開催して良かったという思い。
また何年後かに、内田さんに論じていただきたいテーマが見つかり、鳥取の将来を切り開こうと活躍されている魅力的な方とのマッチングができた折には第三回の講演会を行いたいと思う。

 

ライター

黒田章吾

1974年京都府出身。前職の異動により、2004年に米子市に引越し。そこで鳥取県での生活に魅了され定住を決意し、2011年に倉吉市に移住。今まで、東京~名古屋~大阪と都市圏での生活が長かったが、これからは地方の時代だ、という思いで田舎生活をエンジョイすることをライフワークにしている。特技は中国語、弓道。コーヒーを嗜む趣味の延長で、週末限定営業のカフェのマスターもしている。