答えのなさに向き合うために、自分のカードをたくさん持つ
トットローグvol.11 レポート
2023年3月6日、認定NPO法人「国境なき子どもたち」職員で、ヨルダン/シリア難民支援の現地事業統括として活躍する松永晴子さんをゲストに迎え、トットローグvol.11 アートと教育 〜子どもの成長に必要なものは?〜 を開催しました。このレポートは企画立案者である村田周祐さんが、対談からご自身が学んだことをアーカイブし、皆のコモンズ(共有物)とすることを目的に掲載します。
ことの始まりは、筆者の個人的関心から
今回のトットローグは、新型コロナ感染症拡大防止を考慮し、完全オンラインでの開催となりました。ですが、参加者の皆さまに対談の臨場感を楽しんでいただくために、ゲストの松永晴子さんと聞き手の水田美世さんには鳥取駅周辺の一室で顔と顔をあわせて語っていただくことにしました。延べ参加者数は県内外から約20名近くでした。
さて、本企画のはじまりは、松永晴子さんと水田美世さんの対談を実現させたいという村田の個人的な関心でした。お二人は、同じ大学で芸術学を学んだ先輩・後輩という旧知の仲ですが、大学卒業後は関わる機会なく、それぞれの人生を歩でこられたそうです。ところが、紆余曲折の人生を重ねるなかで結果的にたどり着いたのは、お二人とも「アートと子どもの成長」の世界だったのです。これは偶然でもあり必然でもある、当日の対談はそう思わせる内容となりました。
現在、松永晴子さんは、ヨルダンで難民支援の事業統括として、シリア内戦によって十分に教育を受けることの出来なくなった子どもたちに、音楽・演劇・美術などの情操教育を通じた心のケアと教育を行っておられます。一方で、水田美世さんは、家庭や学校や職場とは異なる居場所「ちいさいおうち」を子どもや地域に開いていく活動をしておられます。
お二人の対談を実現させ、通底する志に触れてみたい。そして、そこから多くを学びたい。そのような願望から、私は本企画を持ち込んだわけです。
子どもにとっての芸術・アートはどのような意味や可能性があるのか?
保護者(血縁)ではない人が人を育てることの意味とは?
以上の経緯から、私は対談の冒頭に、ふたつの問いを投げかけてみました。ひとつは、「子どもにとっての芸術・アートはどのような意味や可能性があるのか」という問い。もうひとつは、「保護者(血縁)ではない人が、人を育てることの意味とは」という問いでした。どちらも、お二人の活動に共通する特徴だと、私が感じていたからです。このふたつは、「生存」を軸に考えれば不要な問いです。しかし、現実に私たちが生きなければならない「生活」を軸にすると大切な問いになってきます。なぜなら、私たちはそこに意味を見出さなければならないからです。お二人は、この難題に、どのように応えてくれるのだろうか、私はワクワクしながら対談に聞き入っていました。
実際の対談の様子は、疎遠となってしまった二人の時間を取り戻すかのごとく、テーマや話題をどんどんと変えながら笑顔いっぱいのハイテンションに進んでいきました。
モノゴトの背景を知ることと、アートをめぐる成績評価の難しさ
対談冒頭の中心の話題は、ゲストの松永さんが現在の活動に辿り着くまでの経緯でした。大学時代、他人がつくったものに意見するだけの芸術学に違和感を持つようになり、インド旅行を経て彫刻に専門を変更。その後、JICAの海外青年協力隊員(美術教育)としてヨルダンに赴任。当初は、いわゆる「美術授業」を実直に行っていたそうです。ところが、授業のなかで、ある事実に気づくようになったといいます。それは、ヨルダンの子供たち(ヨルダン全体の文化的にも)は、写実的な感性の感度はあまり高くはないけれど、幾何学的模様に対する感性の感度は非常に高いという事実だったそうです。その気づきは、日常のなかで身体に馴染んだモノゴトの強靭さを思い知らされることでもあったといいます。そして徐々に、外国人が外から悪いところを指摘して改善するだけじゃなくて、ヨルダンのいいところ/変われないところを活かした教育について模索をはじめるようになっていったそうです。
このように、モノゴトの背景に関心を持ち、受け入れるようになってくると、「なんでこうなるの?」と疑問や怒りに感じていたモノゴトが、「なんでこう考えるんだろう?」と面白がれるようになったり、美しいと感じられるようになったりしていったといいます。しかし一方で、情操教育に関わるプロジェクトマネージャーとして、こどもの成績評価に難しさを覚えるようにもなったそうです。
このアートをめぐる成績評価が話題となると、水田さんは身を乗り出し、「成績評価って必要なのかな?測れるものなのかな?測ることが子どものためになるのかな?」と疑問を常に抱えながら学校の美術教育に関わっている日々と葛藤について語り始めました。水田さんは、その葛藤への対処として「美術を好きじゃないと思わせないようにすること」を目標に授業や学生と向き合うようになったといいます。
自分の表現するカードをたくさん持つこと
対談中盤の話題の中心は、アートをめぐる成績評価への不満をエネルギーに、規格化・単純化できないアートや教育について移っていきました。
松永さんは、「自分の表現するカードをたくさん持っておくことが、彼らにとって重要だと思って授業をしていた」と言い切ります。それは、別の方法をやってみたら、意外と合っていたり、おもしろかったりした自身の実体験に基づいているそうです。ある方法を極めることは大切だけれども、それだけでは実は上手くいかないことが多い。この事実は、アートを超えて、人生や日々の暮らしに置き換えてみても同じなのではないかといいます。特に、自分の思うように人生が成立しない難民キャンプの子どもたちには、可能な限り選択肢を増やす柔軟性を養ってほしい。その時に大切なことは、身体性を伴った実体験(腑に落ちる)にあると考えているそうです。その身体性を伴った実体験の場こそが、松永さんが実践する音楽・演劇・美術などの情操教育なのだそうです。
異質なものとの出会いと、答えがないことにどう向き合うか
この話に同感した水田は大きくうなずき、「そうですよね、だから私は現代美術が好きなんだと思う」と話題を、アートをめぐる価値観の世界に押し広げていきます。現代アートとの出会いは、言い換えれば、自分のあたりまえが覆されることとの出会いだというのです。固定化した正しい/正しくないという価値観が破壊される。幼い頃から、自分や通念とは異なる多くの価値観に出会う体験させてあげたい、答えがない世界に触れさせてあげたい。そんな出会いの世界が「アートと教育」にはあるのではないか/あるよねと、まるで「ちいさいおうち」の活動の意味を再確認するかのように、松永さんに問いかけます。
松永さんは、その問いかけにインスパイア―され、対談後半の話題の中心となる、答えがないことに耐えられる「葛藤レジリエンス」に言及していきます。しかし、耐えることを美徳とする「葛藤レジリエンス」の大切さを認めつつも、耐えるだけじゃ辛い、楽しめればもっといいよねと、二人の対話は終わりに向かって盛り上がりをみせていきます。
そうだよね、私たちが子どもたちに伝えたいことは、「答えがないことを楽しんでいいんだよ」ってことなのかもしれないね。そう語り合う二人の言葉の裏には、「実際には耐えるしかないことは多いけれど、できれば楽しみたいよね」という、現実の「生活」を生きるしかない私たちの姿、そう自分に納得させるしかない姿が、確かにあった。
「どんな状況になっても、それを楽しんだり、耐えられたりする力は大切だし、それを育てていきたいよね。」
ひとりはヨルダンで、ひとりは鳥取で、子どもたちと、そして自分と向き合う日々のなかで、目の前のひとりひとりと心を通わせようと試行錯誤を繰り返してきた旧知の二人の再会だったからこそ、等身大のこの言葉で対談は終わったのだと、私には感じられた。
※文字数の都合上、質疑応答の内容について本レポートは言及していません。
トットローグ vol.11
アートと教育 〜子どもの成長に必要なものは?〜
日時|2023年3月6日(月)19:00-21:00
場所|オンライン会議システムzoom
ゲスト|松永晴子(認定NPO法人「国境なき子どもたち」職員)
聞き手|水田美世(トット編集長/ちいさいおうち管理人)
主催|トット編集部
助成|ごうぎん文化振興財団助成事業