白谷工房 日南の山奥で紡ぐ ‟ストーリー”

寄木細工のプロダクトを数多く手掛けてきたことで知られる白谷工房。その洗練されたデザインに魅せられたトットライター永見陽平さんが、鳥取県西部の日南町にある旧保育所を改修した工房にて代表の中村建治さんを訪ねました。


これまでトットライターとして取材の募集があっても、なかなか応募することができなかった。スケジュールが合わなかったり別の仕事が忙しかったりというのもあるが、それよりも、記事を書くことができるだろうかという不安の方が大きく、どうしても躊躇してしまっていた。

それでも、今回、私がこの取材に行ってみたいと思ったのにはいくつか理由がある。

一つは、鳥取県立美術館ができるまでを伝えるフリーペーパー『Pass me!』の撮影やデザイン、編集チームの方が以前から知っている尊敬するメンバーであったこと(※)。こんな方々とご一緒出来るチャンスはそうあるわけでない。

もう一つは、白谷工房(しろいたにこうぼう)さんのピンバッジを、何年かずっと愛用していたのだが、あるときから、なくしてしまっていた。何となく、またあのピンバッジを身に着けたいなと思っていたので、ちょうどよいタイミングだった。しかも、今回はそれが作られている工房を見ることができる。

そして、これは自分でもすっかり忘れており、後になって思い出したのだが、かつて私は家具職人に憧れていたことがあった。当時していた仕事をやめ、福知山の職業訓練校に通おうかと真剣に悩み、相談のために倉吉にある家具工房の作家さんを訪ねてお話を伺ったこともある。ノミやカンナといった昔ながらの道具をはじめ、ドリルやサンダーのような電動工具も使い、木を削り、組み合わせ、オイルを塗って仕上げる過程や、できあがったイスやテーブルの滑らかな手触りやにおいが好きだった。

そんないくつかの理由により、ちょうどよい機会を得たと、何か忘れ物でも取りに行くような心持ちで今回の取材に向かった。


山あいの白い谷

米子市内から車で1時間、南部町を経由して日南町に入ると、目に映る風景が明らかに変わる。

山頂からところどころ紅葉を迎え始めた、見渡す限りの山々。迎えてくれたのは、優しい笑顔が印象的な寄せ木細工職人の中村建治さん。

工房があるのは日南町の白谷(しろいたに)集落と呼ばれる場所。以前は保育園だったその場所を、もともと大工だった中村さん自ら改装し、『白谷工房』と名付けた。

「商品を販売するにあたって、何か屋号があった方がいいなと思って。それで単純に白谷工房ってつけたんですけど。あとは白谷工房ってなかなか読めない。普通にいうと『しろたに』さんとかって言われるんで。その‟読めない感じ“がいいなと思って。逆になんか読みにくい方が記憶に残るのかなと思って。」

自分の工房につけた名前の由来を、そんな風に教えてくれた。


幼少期から大工の修業時代、そして独立

幼少期は、図工よりも体育が好きな男の子だった。それでも卒業文集には将来は父親と同じ大工になると綴り、高校を卒業するとしばらくして建築会社で修業を始めた。その後約6年の修行を経て、24歳の時に独立。小さい頃からの夢を叶え、棟梁として自ら現場を仕切るように。残念ながらその頃には父親はすでに他界し、一緒に現場に立つことはできなかった。

建築の現場には、自分より20歳、30歳以上年の離れたベテランの職人も多い。苦労はなかったのだろうか。

「親子のように年の離れた方もおられました。そういう方に、年の若い自分が棟梁として気持ちよく仕事していただくのにね、お互いに敬意を払ってっていうのは、必要だと思うんですけど。中には、年下なんでうまくいかないこともありました。」

そんな中、現場内でタバコを吸う職人を目にする。中村さんはその方に対して厳しい態度で向き合い、その後の付き合いもやめたという。自分が大工だけやっていた頃と違い、建築過程を含む仕事のすべてが分かるまでには時間がかかったと振り返る。

「大工さんは、家を建てる時にいろんな業者さんと関わるんですよね。10以上の。その業者さんの仕事もすべて理解した上で、家を完成させるんで。今まではね、その大工さんの仕事だけっていうところでやってたんですけど、そこまできっちり先を読んで仕事するのには10年くらいはかかるなと思いました。」

現在、4人の従業員と仕事をする中村さん。仕事への厳しさを求める一方、人を育てたり、イベントを企画したり、一歩引いて周りを見たりできるのは、若くして棟梁になったこの時の経験が活きているのかもしれない。


転機

そして10年ほどたった30代半ば頃、テレビで目にした寄せ木細工に惹かれ、見よう見まねでつくりはじめる。はじめは趣味の延長で、つくっては人にあげていたという。ある時、リフォームの仕事で知り合ったお客さんから、ギャラリーで展示販売してみてはという話が舞い込む。そうすると、出品した作品はほぼ完売した。

「何点くらいあったのかな?たぶん5、60種類くらいはあって、で売り切れた商品も一応後ほど作ってお送りすることにして、オーダーもいただきました。」

これを機に、大工仕事の傍ら、すこしずつ寄せ木で製作販売を開始。3年目の40歳の頃、転機が訪れる。テレビドラマの撮影で、主人公を演じる木村文乃さんがヘアゴムをつけて出演すると、注文数がそれまでの10倍に増えた。

「試行錯誤で展示会をきっかけに販売を始めたんですけど、まだその間はちょっと大工もしながらしてて。テレビドラマで使われてからだったかな?もう完全に大工仕事を辞めたのが。実際はもう寄せ木が忙しくて大工仕事ができなかったってことね。」

大きな決断のように見えるが、中村さんにとっては自然な流れだったようだ。

「多分、『あ、こっちの方が合ってるな』と思って。それでもう大工を辞めて。一番嬉しいのは、自分の思い通りにできた時ですかね?あとは今だとアクセサリーを作ってデザインもね。今私がデザインして作ってるんですけど。顔は見えないんですけど、どなたかがお買い上げいただいたっていうことがすごく嬉しかったりとか、そういうことですかね。」


きっかけは、友人の言葉

「プロダクトからの印象なのか、『女性が作っていると思っていた』とよく言われるんです。こんなおじさんが作ってます(笑)。」

アクセサリーを作るきっかけは、友人の言葉だった。

「最初はキーホルダーみたいなのを作ったんですよ。それを見た女性の友達が、そのモチーフをヘアゴムにしたら可愛いんじゃない? って言うので。それで作って。」

「特にね、ピアスとかイヤリングって、サイズ感がすごく絶妙なところがあって難しいですよね。なので女性のスタッフに相談しながら作っています。」

今はスタッフも増え、色々な工程を任せられるようになってきている中村さんには、大事にしている考え方がある。

「『作家物にしたくない』っていう思いがあります。なので、発信とかホームページも含めてなるべく私が前に出ないようにしています。」

「理由ですか? うちで作ってる商品は私だけじゃなくスタッフも作ってる。そうすると私が作家で前に出ると、売り方としてそれは正解じゃないなと思っています。あとは作家ものって1点ものというイメージが私にはあって、同じものはできないと言ってしまえる。だけど、『同じものはできない』というのは私にとっては『逃げ』なんですよね。同じものを正確に作るというのがすごく難しい中で、たくさん同じものを作っていろんな人の手に届けたいんですね。」

中村さんはさらに続ける。

「あとはプロダクトとしてヨーロッパとかではきっちり、そのブランドのものとして発信してるじゃないですか。皆さんもご存知のルイ・ヴィトンとかエルメスとかシャネルとかは、作家物じゃないんですよね。僕の夢みたいなもんですけど、プロダクトとしてのブランドを目指したいんですよね。」


デザインについて

世界をも見据える中村さん。こうなると、その繊細なデザインはいったいどこから生まれてくるのかが気になってくる。

「参考にしているものはね、あんまりテレビは見ないんですけど、たまに見るときは、ほぼほぼ女性の耳とか、ピアスとかね。あとはネックレスとか。」

普段の日常生活や町の中でもそちらに目が行ってしまうらしい。

「なんかトレンドってあんまり意識はしたくないんですけど。どうしても販売をしようと思ったら出てくるので、YouTubeでファッション系の動画はよく見ますね。」

「そうですね、デザインのきっかけは、例えばオーダーとかで何かのものを作ってくださいってお願いされた時に、それがずっと頭の中に…あるんですよね。そうすると車で走っている時とか、あとお風呂の中ですかね?そういう、なんかね頭の中でちょっと意識してない時に逆に、デザインが浮かぶことが多いですね。」

新しいデザインを要求されるときも、あんまり苦しいと感じる事はないという。きっとデザインを考えているときが楽しくて仕方がないのだろう。


イメージとのギャップ

何を聞いても、ひょうひょうと、あっけらかんとして語る中村さん。どうして廃材や古材を使うかについても、ただ単純に大工の時にでる廃材がもったいないなと思っていただけで、SDGsといった事を意識したつもりはないそうだ。

ただ、商品をつくるときに、意識していることがある。

「作り始めて1、2年くらいの時かな? どうにか販売できないかなと思っていろんなお店回った時に、あるお店で、『これは何か、作る商品に物語はあるの?』って、それを聞かれて、僕は全く意味がわからなくて。『いいものを作れば売れるんだ』と思っていたんですけど、その時、初めて言われたのがずっとあったので、その商工会のセミナーにも行ってみようと思ったんですよね。そこで参考になったのは、その時のセミナーの講師の方が例えば百貨店のバイヤーとか、あとはセレクトショップの方とか、ギャラリーを経営されている方とか。あと旅行会社の人もいたかな?そういったいろんなことを含めて、結局物を売るには知ってもらうことがすごく大事だってことで。あとは差別化ですね。何がこの商品が他と何が違うのか、なぜこれがいいのかっていう。あとは商品の背景にあるストーリーっていうのを、やっぱり皆さん同じことを言われるんで、それは絶対必要なんだなと思って。」

洗練されたデザインのプロダクトの数々。SDGsの理念に沿ったモノづくり。そんなイメージで取材を始めた私にはすこし意外な言葉だった。初めはただ、大工時代に‟もったいない”と廃材を使って趣味の延長で始めた寄せ木細工。それが人の手に渡り、価値を見出される過程では、そこにストーリーが必要になる。意図的にしろ、そうでないにしろ、メディアはときに虚像をつくることがある。

それでも、確かなことがある。それは、私自身が手に取り身に着けた、思わず「作品」と呼びたくなるような製品の緻密さと繊細なデザインの美しさであり、この工房でつくられるプロダクトそのものの魅力である。

中村さん自身はあまり語ることはなかったが、細かな木片を狂いなく組み上げていくには、ミリ単位での高精度の加工技術を必要とするはずである。計算はしていないという色の組み合わせ方にも、人の心を惹きつける何かがあり、中村さん自身が培ってきた大工としての経験、山の紅葉をはじめ、日南町の四季の移ろいの中で目にする風景のなかで育まれる、色に対する感覚もあるのでないかと考えてしまう。

これらもすべて、ストーリーに組み込まれていくのだろう。


今後の展望

そんな中村さんに、今後の展望についても伺った。

「展望は、そうですね。地元の方が働ける場所になれたらいいなぁと。地元の人の就職先の一つとして、ちゃんと大きくなるっていう。『どこで仕事をしてるんですか?』ってね、『白谷工房』です。って言った時に、いいなってね、言われるような。
あとは寄せ木のカバンを作りたいなって思ってます。ずっと思ってるんですけど、なかなか実現できてなくて。うまく皮の職人さんとコラボしたらできるかな?と思ったりしてるんですよね。本体も例えばパーツを革紐でつなぎ合わすような感じにしたら。ある程度ね、形も変わるしとか。そんな事を考えたりしてるんですけど。」

地元への思いとともに、つねに新しい挑戦の事を考えている中村さん。さらにお話は続く。

「今、陶器の破片を入れているのですが、隣町の南部町の松花窯(しょうかがま)さんっていう窯元の方と出会う機会があって。商品にならないものがどうしても出る、割れたりとか、釉薬のかかりが悪かったりとか。そういったのを引き取ってこちらでアクセサリーにして販売しています。」

他業種の作家さんとのコラボにも積極的に取り組み、それが話題となって、いまや県外からも注目される存在に。

実は意外にも、どんなに忙しくても1日15分の読書を欠かさないほどの読書好き。そのジャンルも幅広く、経済、科学、社会、歴史、小説となんでも読むそうだ。

いま構想している案件も含め、次は一体どんな新作が生まれるのか? 山奥にある小さな工房から世界に発信する、新しい“ストーリー”に期待したい。


白谷工房
古い民家を解体した木や建築現場で出た端材を素材とした寄木細工によるアクセサリーや生活雑貨を中心に、家具などの製作も手掛ける。鳥取県日野郡日南町の南に位置する福塚地区で、使われなくなった保育園を工房として使用。https://shiroitani-koubou.com/


※この記事は、令和5年度「県民立美術館」の実現に向けた地域ネットワーク形成支援補助金を活用して作成しました。また、鳥取県立博物館が発行する「鳥取県立美術館ができるまで」を伝えるフリーペーパー『Pass me!』10号(2024年3月発行予定)の取材に併せて2023年11月にインタビューを実施しました。

ライター

永見陽平

平日は若者の就労支援の仕事をしながら、週末は地域に飛びだし、ローカルをジャーナルする日々。学生時代は報道写真家に憧れてアラビア語を学び、写真部とワンダーフォーゲル部を兼部。学生生活の大半を山とチャリ旅に捧ぐ。ケーブルテレビ局にて約20年どっぷりとローカルにハマり、現在は非営利組織でキャリア相談、ファンドレイジングなどに携わる。 主な興味領域はフクシ×まちづくり+アート。