白井明大『ヘリヤ記』展
小石をひとつ拾うこと
ギャラリートーク 定有堂 奈良敏行さんとの対話

詩人の白井明大さんが記したファンタジー『ヘリヤ記』の展覧会が、鳥取市にあるベーグル喫茶「森の生活者」で開かれました。2024年11月10日に行われた、定有堂の奈良敏行さんを迎えてのギャラリートークの模様をレポートします。


「森の生活者」への階段を上ると、目に飛び込んでくるのは物語の冒頭に記されている一節。ガラスの扉を開けるだけで、ヘリヤ記の世界が現実に広がるだろう感覚がわきあがります。
ギャラリーでは、装画と地図の原画、自筆の原稿、言葉の添えられた写真が並び、カフェスペースに目を向けると、舞台となった土地をイメージさせるポスター、活版印刷した詩篇、壁や窓に散りばめられた言葉の断片が。ファンタジーを体感できる空間が広がっています。
トークには、白井さんを憲法の講演会で知ったという方や、定有堂教室主催の読書会のメンバー、鳥取大学の学生など、立ち見が出るほどの方が集まり、熱心に耳を傾け、語り合いました。

生きようと生きるほうへ

冒頭は、白井さんの詩についてのお話です。はじめての詩集を編んだ時「こんなものは詩じゃない」と評価されたこともあったといいます。白井さんは「特権的な一行がある構造に抵抗感があり、観念的なフレーズがビシッと決まるようなスタイルをとらなかった。すべての行が等価であることを大切にしたかった」と話しました。その考えは、現在までの作品にも貫かれているように感じます。

東日本大震災をきっかけに沖縄へと暮らしの場所を移した白井さんは、そこで大きな転機となる詩集『生きようと生きるほうへ』や、『日本の七十二候を楽しむ』を出版しています。その後2021年に鳥取へ。詩集『着雪する小葉となって』、憲法を詩に訳した『日本の憲法 最初の話』、今回展示している物語『ヘリヤ記』を発表し、予期せぬものが生まれる流れの中にあると話します。

奈良さんは、「生きようと生きるほうへ」という言葉について、「私が生きようとする。そのような形で生きる方へ」という意味だと解釈しているといいます。「書こうと思って、詩を書く人はたくさんいる。でも白井さんは詩を書こうという気持ちで、書き始めたのではなかった。生きようとしたら詩になったのだと思う」と考察し、「生きること」がキーワードになっていると語りました。

奈良さん:震災の体験、苦労が襲いかかり消化できない思いを抱えて、沖縄で生きようとしていたら、歳時記ができた。鳥取で生きようとしたら、詩や物語が生まれた。「生きよう」という言葉の駆動する力が、白井さんを歩ませているのではないかと感じます。

ここで、伊民公恵さんによる朗読で『生きようと生きるほうへ』から、「生きる」を参加者全員で味わう時間も持ちました。

複雑な時代に未来への補助線を描く。ヘリヤ記が生まれるまで

白井さんは、「今の複雑な世の中から、未来へ補助線を引こうとした時、ファンタジーが有効なのではないか」と構想し、ヘリヤ記の制作に着手しました。「頭で描いただけではなく、空想の受け皿になる人間が地に足をつけて暮らす場所として、鳥取がカチッと噛み合った」と話します。

鳥取の夏は暑く、冬は雪がどっさり積もり、時の流れが鮮やかなことや、人工的にデザインされていない自然があることを挙げ「春夏秋冬を繰り返しているうちに、物語の土台ができたのかな」と振り返りました。

白井さんのパートナーの當麻妙さんも、2023年12月に「森の生活者」で写真展を開催した経験があります。「山や川が近くにある暮らしと出会って、創作意欲が掻き立てられることはある思う。このタイミングで書きたくなったのは腑に落ちる」と話しました。

ヘリヤ記の地図は鳥取市のあたりが舞台になっているそう。登場人物の日常を描写することの大事さに気が付かせてくれたのも、季節によって移り変わり、毎年それを繰り返す田んぼの風景だったといいます。

参加者の一人が、「鳥からインスパイアされることはありますか?」と尋ねると、鳥取に来てバードウォッチングが好きになったと白井さん。この日も、窓の外を流れる川には、マガモがやってきていました。

鳥取に移り住んだ白井さんは、「渡り鳥が今この瞬間にここにいる、この季節は必ずこの川にいるんだという思いが心に生まれると、自分もここにいると感じる」と打ち明け、川沿いをサイクリングして夕焼けを眺めながら、因幡の地が神話の舞台ともなっていることに思いを馳せつつ、自分はどこから来たんだろう」と、答えのない感情に満たされることも、創作の栄養分になっていると話しました。

小石をひとつ拾うこと

当初、ヘリヤ記は膨大な量の物語だったといいます。「全部説明しなくても伝わるんじゃないか、手を伸ばしたら触れることができる断片が書かれていたら、その世界を味わうことができ、ファンタジーとして成り立つんじゃないか」と考え、カットを重ね完成に至りました。

「ファンタジーは必ずしも現実に紐づかないといいものではないが、それを裏切るのが白井さんの才能」だと奈良さんは評します。法律を勉強していたこと、詩人であること、歳時記の作家であることの3つが影響し、内省し日常の中に広がっていく方向性と、憲法の詩訳といった社会性に開かれた方向性が作品に表れていることに言及しました。

白井さん:何度か読んでいると、こういうことなのかなと、そこはかとなくわかるものがあるかもしれない。離れた場所にいる人や、格差によって隔てられた別の階層の人のことは、意識しないと見えません。けれど、いないわけじゃなくて声を発しているはずです。

奈良さんは、「答えはいらない、ミスリードは読者の特権」と何度か口にし、一人一人の思いを引き出しました。

<会場からの「声たち」>
・音や色、意識しないと見えないものをとらえていると感じながら読みました。地に足をつけて歩いているような、丁寧な感じがしました。
・福島のことを考えました。
・旧約聖書のタイトルを思い浮かべました。
・失われた言葉が織り交ぜられていることに気づきました。
・登場する乗り物が丸っこい印象を抱きました。
・知らない町においていかれたような気持ちがしました。

奈良さんご自身は、主人公たちが拾う小石について「ただの石ではなく重層性がある」、「この世の中を再生しようと小石を集めていて、いつか願いが叶うのでは。でもその人が考えてもみなかった願いが叶うのかもしれないと思うとワクワクする」と話しました。

小石や物語に込めたエッセンスを、白井さんはこう語りかけました。

白井さん:一人ができることは限られているけど、できる一つをすることは、軽んじていいことではないんじゃないかな。小石の分だけ、何かが変わる。小さいことを小さくやることが、世界にとってポジティブな小さな前進になりえると思う。絶望的な状況の中でも無邪気にできることをやることが、この先の未来に補助線を引くことにならないかな。

展示の打ち合わせを繰り返すごとに、白井さんの人柄を知り、興味を持って本を読み進めるようになったという「森の生活者」の森木陽子さん。物語に出てくる希望の植物「ノル」を使って、鳥の形をしたヘリヤ記展の特製クッキーを作りました。トークの終わりに、クッキーを手にした奈良さんの「すごい」の一言が、ギャラリーに響きました。

数日後、桜並木とマガモが秋の光に染まるのを眺めました。ギャラリートークに集った人たちはあのとき「小石をひとつ拾った」のだろう、そこからはじまるかすかな線は遠いどこかまでつながっているのだろうことに思いを馳せながら。


白井明大(しらい・あけひろ)
詩人。1970年生まれ。2004年、第1詩集『心を縫う』(詩学社)を上梓。『生きようと生きるほうへ』(思潮社)で第25回丸山豊記念現代詩賞。『日本の七十二候を楽しむ』(増補新装版、絵・有賀一広、KADOKAWA)が静かな旧暦ブームを呼んでベストセラーに。『えほん七十二候 はるなつあきふゆ めぐるぐる』(絵・くぼあやこ、講談社)、『旧暦と暮らす沖縄』(写真・當麻妙、講談社)、『歌声は贈りもの』(絵・辻恵子、歌・村松稔之、福音館書店)など著書多数。近著に『日本の憲法 最初の話』(KADOKAWA)、『わたしは きめた 日本の憲法 最初の話』(絵・阿部海太、ほるぷ出版、全国学校図書館協議会選定図書)。趣味はバードウォッチング。鳥取市在住。


白井明大『ヘリヤ記』展 小石をひとつ拾うこと
2024年11月6日(水)-2024年11月24日(日)

場所ベーグル喫茶 森の生活者(鳥取市弥生町103 柏木ビル2F)
営業時間10:00-16:00(月・火休)

1枚目写真提供|定有堂

ライター

彩戸えりか

「ちいさいおうち」での白井明大さんのお話をきっかけに詩の世界に。詩が隣にあることで寂しさが少し和らいだ気がします。トットの記事が誰かにとってささやかな光になることを願いながら。