時間を知ることの意味:
「私はおぼえている」を見て #2

鳥取に暮らす人のオーラルヒストリーを記録する現時点プロジェクトの映像シリーズ、「私はおぼえている」の最新2作品が、4月29日(木・祝)-5月9日(日)の期間限定でオンライン配信上映されています。それに併せてトット・ライターのnashinokiが、映像を見て考えたことを綴った文章を寄せています。その続編です。


「私はおぼえている」の中で個人的に特に印象深く残っているのは、北栄町に暮らす、濱根良太郎さんの語りだ(「第三話 濱根良太郎さんと砂地の記憶」)。映像の中では、海辺の砂地を開墾し、作物を栽培して暮らす様子やその土地の歴史が語られ、同時に鳥取へも影響のあった広島原爆の被害について語られている。原爆からの直接的な影響について筆者はこれまで知らず、その事実を知って驚いたのだが、同時に北栄町で暮らす濱根さんの人生に入り込んできた戦争と原爆の話を聞くことで、同じ鳥取で生まれ育った自身と、戦争や原爆投下という出来事が、実感をもって結びつけられた気がした。そこには聞き手の側のもっている記憶ということが、関係していたのかもしれない。濱根さんとは対照的に、藤原喜代江さんの語り(「第四話 藤原喜代江さんと生活の記憶)は、同じ県内でもこれまで筆者がほとんど訪れたことのない関金町の話だったが、戦争など大きな出来事への言及はないものの、前回述べたような語られた記憶に特有の、ある種の手触りや温かみ、あるいは「懐かしさ」とも言えるような感覚を抱いた。

それぞれの語りを聞いていて、語られる内容が徐々に現在に近づいてくるにつれ、そのヴェールに包まれたような雰囲気は薄れていった(例えば第4話の後半で、喜代江さんが植えた杉林の手入れについて語っている場面)。しかしそうではない過去の記憶について語るとき、語り手は、自分自身の在り処について語っていたのではないだろうか。もちろん自分といっても、そこには家族など他者や土地の風景などが含まれるのだが、それらを含んで語り手自身の中に形成された世界、自己の成り立ちをめぐるある種の物語のような世界が、語り出されていたのではないだろうか。そしてそれが懐かしく感じられたのは、語り手自身がそこに帰っていく世界、語り手の心あるいは魂が、住む世界だったからなのかもしれない。

それぞれの語りは、最後にはその人の現在に至り着く。それぞれの現在は、生まれてからこれまでを経てきた上での、現在の習慣や個人的取り決め、日常の中での気の持ち様など、その人の現在への向き合い方へ収斂していく。そのことに、記憶の世界に感じていた広がりや奥行きが消えてしまうようで、また記憶の世界から急に目覚めさせられるようで、筆者は一瞬拍子抜けするような感覚を抱くが、同時にとても安心するような気持ちになる。

それは、話が現在まで及んだとき、相手がかかわりうる他者として、目の前に現れたように感じたからかもしれない。

「私はおぼえている」の中で、語り手の現在が印象的に映されているのは、最新作の「第九話 仲倉壽子さんと商店の記憶」ではないだろうか。この映像では、生まれ育った東郷から壽子さんが倉吉の商店に嫁ぎ、店を切り盛りしながら生活した日々について語られている。それは個人の生活史であるとともに、現在のスーパーマーケットやコンビニエンスストアへと至る、戦後日本の経済社会史といった相貌もそなえており、倉吉の街の歴史を伝える意味でも貴重な証言といえる。

仲倉壽子さんの語りでも、過去の記憶から現在に移っていくとき、語りの様相の変化はあるのだが、印象深いのは、彼女が今でも現役で仲倉商店を切り盛りしていて、前日から惣菜の準備をし毎朝6時には起きて店を開け、またそのように仕事を続ける上での現在の心境が語られる点だ。映像にも実際に店で働く壽子さんの姿が映されていて、惣菜のトレイに丁寧にラップをかけ、色とりどりに並んだトレイにカチカチとラベルを貼っていく音は、小気味よい。そして語られる現在が、過去の記憶に感じる奥行きとは別の意味で、広いという印象を与えている。

そのような印象をもたらしているのは、記憶の中で語られた仲倉商店が、現在もまだそこに続いているからではないだろうか。時代は変わり、おそらく個人商店にかつてのような賑わいはないと思われ、店に立っている姿もかつてと異なり壽子さん一人だ。あと1、2年も店を続けられるだろうかと壽子さんも語っている。けれど、それでも店は開かれている。彼女の記憶の多くを占めた商店の空間は、同じように今もそこにあり、そして何より、店には人が訪れる。開かれた店は、記憶の中にあったのとは少しずつ姿を変えながら、それでも新たに人を受け入れ、そこから開かれる未来の姿を感じさせる。そこに筆者は、記憶の奥行きとは別の意味で、現在の広さを感じたような気がする。

語り手の過去の記憶だけでなく、その人の現在までが映され収められている点が、「私はおぼえている」の、重要な一つの特徴となっているように思われる。

〈#3へつづく〉

写真:河原朝子


 現時点プロジェクト「私はおぼえている」期間限定配信上映

日時
2021年4月29日(木・祝)0:00ー5月9日( 日)23:59

配信ページ|
https://vimeo.com/ondemand/wataobo01

料金
¥1,000(購入後、すべての動画が購入日から1週間何度でも視聴可能)

配信作品
『仲倉壽子さんと商店の記憶』
『竹部輝夫さんと中津の記憶』
映像みんぞく採集『ウランマウンテン報告』(未発表作品)

ライター

nashinoki

1983年、鳥取市河原町出身。鳥取、京都、水俣といった複数の土地を行き来しながら、他者や風景とのかかわりの中で、時にその表面の奥にのぞく哲学的なモチーフに惹かれ、言葉にすることで考えている。