時間を知ることの意味:
「私はおぼえている」を見て #1

鳥取に暮らす人のオーラルヒストリーを記録する現時点プロジェクトの映像シリーズ、「私はおぼえている」の最新2作品が、4月29日(木・祝)-5月9日(日)の期間限定でオンライン配信上映されています。それに併せてトット・ライターのnashinokiが、映像を見て考えたことを綴った文章を寄せています。


「私はおぼえている」は現時点プロジェクトにより2017年ごろから制作、公開されている映像作品で、これまで10人の方の語りを撮影した10本の映像が制作され、県内を中心に上映されてきた[1]

近年鳥取でも、サトウアヤコによる「日常記憶地図」[2]やAHA!との協働によりホスピテイルプロジェクトが行う「すみおれアーカイヴス」[3]など、記憶や記録に焦点を当てたプロジェクトがいくつか行われている。日常記憶地図は、過去の一時期に過ごした場所の地図を基点として、参加者それぞれの日常で繰り返された記憶を想起し反芻することで、参加者自身の現在の立ち位置を捉え直したり、複数の日常記憶地図の事例を重ねることで、地域や時代の記憶を浮かび上がらせる働きをもっている。鳥取では参加者の子どもの頃の記憶に焦点を当て実施され、その成果はウェブ上で公開されている[4]。すみおれアーカイヴスは、戦後の一時期に家庭などで使用された8mmフィルムの存在に注目することで、その記録を保存・活用していく試みとして始まり、活動の一環で行われた展示「声をそえる」では、フィルム映像に撮影した本人や家族などの声が重ねられ、記録から想起される記憶が合わせて紹介されていた。

今回2本の最新作が配信される「私はおぼえている」は、地域の記憶を主題とする点でこのような試みと共通しているが、何の媒介物も経ることなく直接人々の記憶にカメラを向ける点で、他のプロジェクトより、正面から記憶そのものへ向かっているという印象を抱く。

「私はおぼえている」は基本的に20分前後の、鳥取県中部で生きてきた80代後半から90代の方の一人の語りを中心に成り立っている。そこに過去の写真や、語りの中に登場する風景が音とともに映し出され、映像化されている[5]

登場する人物には、街で、あるいは農村や人里離れた山中の集落、また海辺で暮らす人がおり、同じ海の近くでも、漁師や海女のように海に出て生活してきた人もいれば、砂地で農業を営んできた人もいる。鳥取県中部のこの地域で生きてきた人の生業のイメージが、映像を見ていると浮かんでくるようだ。

話される内容は、生まれ育った家、両親のこと、嫁ぎ先の家族や仕事、伴侶についてなど個人の生活に関わることが主だが、この世代に共通する戦争の体験が、そこに大きな比重を占めて現れる。とはいえ第4話の藤原さんや第8話の長田さんのように、農村や海の生活を中心に話が終わる人もおり、すべての語りの中で戦争について言及されるわけではない。戦争以外にも鳥取地震や戦後の高度成長といった社会の大きな動きが個人の生活と交わる様子が垣間見え、見る側は強い興味を惹かれる[6]

語り手たちの個性は様々で、聞いていると自身の祖父母や親戚など身近な人たちの影が浮かびもするが、やはり映像に映るのは別の人たちで、けれど話を聞いていると、それぞれの人物に親しみを抱いてもいく。語りを聞いていると、筆者は自身の祖父母や親、親戚から昔の話を聞いているときと、似た感覚を抱く。何かぼんやりとした、自分の知らなかった世界を見せてもらっている感じ、といったらよいだろうか。ただ語られている内容は、「近しい」という感覚とは少しちがっている。相手はこちら(カメラ)に向かって喋っているのだが、同時に自身の内側にある世界、もう現実には存在しない世界を見ていて、聞く側は、そこへかかわることができない。

とはいえ語りの中に見えているのは、ただ聞く者と無関係に、中立的に浮かんでいる世界ではない。そこには手触りがあり、何か温かみのようなものを感じる。他者の語りに惹かれてその記憶を聞くとき、聞く側は一体何をしているのだろう。そのとき聞き手は、自分の「生まれる前の世界」を見ているのではないだろうか。自分の親族や今回のような高齢の方から話を聞く場合、それは実際に自分がこの世に生を享ける前の時間であり、さらに言えば、目の前の相手と自分が出会う前の時間、相手との関係が「生まれる前」の時間なのではないだろうか。それを知り、僕たちは相手と出会った現在が、どのような場所に続いているかを知ることができる。

ではそれを知ることで、何が起こるのだろう、あるいはそれは何の役に立つのだろう。そう考えたくもなるが、そしてその答えが出そうな気もするのだが、そうすることがためらわれる気持ちもある。なぜなら、他者の記憶を聞くことは、いつも結果として起こることだからだ。僕たちはまず出会い、その人との関係の中で、相手の記憶を知っていく。他者の記憶を聞くことは、相手と関係することと、ほとんど等しい行為のように思える。

「私はおぼえている」は、いわばそれとは逆のプロセスを辿っている。他者に出会う前に、あるいは出会うと同時に記憶を聞くこのプロジェクトのあり方に、筆者は少し気詰まりな感じを覚えながらも、同時にそこに収められた人々の語りに、たしかに強く惹かれてもいる。「私はおぼえている」を見る者は、その記憶に対する赤裸なあり方ゆえに、記憶を聞くことの意味を、そしてカメラのこちら側から語り手に出会っている自分自身を、正面から問わざるを得なくなる。

〈#2へつづく〉

写真:河原朝子


[1] 現在8作目まではYouTubeで公開され、視聴可能となっている。https://www.youtube.com/playlist?list=PLxf5aDEaFZ-Pw1CQ5CMwkUT5bQAkRRD2G

[2] 「連続講座 サトウアヤコ『日常記憶地図』子どもの頃の場所と風景を思い出す 8/24(土)スタート」(https://totto-ri.net/news_mylifemap2019/

[3] ホスピテイル・プロジェクトHP「すみおれアーカイヴス始動開始!」(http://hospitale-tottori.org/program/すみおれアーカイヴス始動開始!/

[4] 「こどものわたしがいたところ 『日常記憶地図』で見る場所の記憶 #2 キヨコ」(https://totto-ri.net/column_myselfmap_kiyoko/

[5] この年代の方をインタビューの対象とする理由について、「今生きている中でもっとも遠い過去まで届く人だから」と、現時点プロジェクトの中心メンバーで、「私はおぼえている」を撮影した波田野州平は言う。語り手たちのほとんどと撮影以前に面識はなかったようだ。

[6] 波田野によれば、特定の主題のために話を聞いているわけではなく、話を聞く人の最初に覚えている記憶からこれまでを、ただただ聞いていくという。


 現時点プロジェクト「私はおぼえている」期間限定配信上映

日時
2021年4月29日(木・祝)0:00ー5月9日( 日)23:59

配信ページ|
https://vimeo.com/ondemand/wataobo01

料金
¥1,000(購入後、すべての動画が購入日から1週間何度でも視聴可能)

配信作品
『仲倉壽子さんと商店の記憶』
『竹部輝夫さんと中津の記憶』
映像みんぞく採集『ウランマウンテン報告』(未発表作品)

ライター
nashinoki

nashinoki

1983年、鳥取市河原町出身。鳥取、京都、水俣といった複数の土地を行き来しながら、他者や風景とのかかわりの中で、時にその表面の奥にのぞく哲学的なモチーフに惹かれ、言葉にすることで考えている。