岡野大嗣さん(歌人)
メモリ1の小さな感情で歌が生まれるとき
2024年5月30日から6月30日まで、鳥取県若桜町のギャラリーカフェふくで企画展 「うれしい近況」言葉が歌になるとき が開催されています。作者 短歌の歌人 岡野大嗣さんにとっては、第4歌集となる本作。ギャラリーカフェふく店主のひやまちさとさんが尋ねました。
梅雨入りもしていないのに、夏が始まったかのような暑さ。商業施設と駅が一体となった大きな建物の地下鉄へ続く階段から、仕事へ向かう人や学校へ行く若者がどんどんと生まれてくる。大きな交差点をそれぞれの目的地に合わせてたくさんの人が横断するその光景を7歳の息子はどう思ったのだろうか。青信号のメモリが減っていく。急ぐよ、と伝え手を取ろうとすると、彼はひとり走って、横断歩道を渡りきった。いつものように、片手をあげて。普段は鳥取県の山奥、人口が約2700人の若桜町で暮らしている私たちは、短歌の歌人 岡野大嗣さんを訪ねて大阪へやってきた。
ここへ私の子どもと来るのは、何回目だろうか。「ジュースどっち飲む?」と岡野さんに聞かれて、息子はオレンジジュースを選んだ。それから、宝石みたいなムチムチしたゼリーのお菓子や「アイスもあるよ」と言いながら、この場に彼が馴染んでいくよう、心地を整えようとしてくれる。あっという間に、岡野さんの事務所の一角に、絵本やお菓子、ぬいぐるみに囲まれたスペースが出来上がった。いつもは小さい袋でしか食べれないじゃがりこが、箱のまま食べていいよと言われ、もうすでに息子は機嫌よくその場所に収まっている。
その様子を横に、最近の近況などを交わしながら、準備体操をしつつ、おもむろにインタビューは始まった。
「うれしい」の温度感
- ギャラリーカフェふくで開催中の企画展「うれしい近況」に日々囲まれていると、色んな人に「最近うれしいこと、ありましたか?」って聞くようになりました。
岡野:パッと聞かれて思い出す「うれしい近況」ってちっちゃいことの方が多いですよね。あんまりでっかいことって近況でパッと思い出さなくて。子どもが生まれましたとか、本がでますとか、そういうのは気持ち重たくて。UFOキャッチャーででかいの取れましたとか。今日あった1日以内のこととか、距離感でいうと手の届く範囲のこと。そういうのを思い浮かべることが多いですよね。
- うれしいって、幸せとか幸福とか、それともちょっと違うなって思ったりしました。いいことやよかったこととも、近いけどちょっと違うような。誰かにちょっとお知らせしたくなるようなこと、なのかなあ。
岡野:もともとこの「うれしい近況」っていうタイトルは、この本に収録されている短歌があって。「ボーカルの話すうれしい近況のうれしいピークでなるハイハット」ていう。ライブとか行って、ボーカルの人とかがギターのチューニングとかしながら、今日あったことでうれしかったこととか話されるんですよね。ほんとちっちゃいことですけど。ま、大阪に来たバンドだとしたら「大阪と言えばたこ焼きじゃないっすか。普通に東京とかだと銀ダコとかしかないっすけど、大阪って普通にまち歩いてたらあるんすね。」(今これ、空想で言いそうなこと作ってますけど)「すごいうれしくて、それ自体もうれしくて。たこ焼き1個おまけするとか、そんな文化あるんすね。」って盛り上がる。そこがうれしいピークでそこにドラムも反応してちょっとなんか鳴らす、みたいなシーンがすごく好きなんです。力の抜けた感じで話されるその感じ。普通に今日あったことを適当に話してるだけなんだけど「ああ、うれしかったんだなあ」ということは伝わるし。
- その温度感はすごく腑に落ちますね。私も最近ずっと「うれしい近況」と向き合ってるんだけど、私のうれしい近況って何かなあと考えてて。子どもが帽子を忘れずに学校へ行ったこととか。。。それって帽子を忘れなかったことに対して、うれしい、っていうのじゃなく、いつも何か忘れる子が、そうじゃなかった日に違和感みたいなのがあって。その過程にハッとするというか。成長に気がつくというところかもしれませんが、ささやかな。
岡野:うれしいって言いながら、色分けしたときに喜怒哀楽で表現するとして、そのどれでもない気がするんですよね。うれしいって、一番小さな感情の波みたいな気がしますね。今の帽子の話も、喜ばしいっていうほどのことでもない。でもちょっと心が動いて、その動きに色をつけるとして、少なくともネガティブな色じゃないときが「うれしい」って言ってもいいのかな。まあ、そのくらいの感じで。
うれしい近況ってタイトルの歌集にしてますけど、ハッピーです!って感じじゃなくて、本当にささやかなことで。
短歌の作り方
岡野:僕の中で短歌はずっと作り続けてきて、負の感情とかに目を向けた方が歌としては、味が濃くなって引っ掛かりができるし、生きるとか死ぬに関わる強い言葉をいれると手っ取り早く味の濃いものが作れるので、最初の頃はそういう風に作ってきてたんですけど。でもそのパターンでずっとやってきたら、飽きてきて。感情ってそんな動くことばっかりじゃないじゃないですか。むしろ動かない日の方が多い。そんな動き続けてたらしんどくて、やってられないんで。あんまり動かない中でも歌にできることを見つけていくことにしてるんです。
例えばメモリがあって、10のメモリに達していないと短歌が作れないとする。でもそこを繊細にしていって、メモリが1の状態でも反応して歌にできるようなことがあるようになってきて。表現する価値がないと思っていたメモリ1で作っていくことも、短歌を続けていく秘訣だと思います。小さいメモリでも作れるようにしていった。そういう小さな感情が動く時って「うれしい」な時が多い気がして。そうして生れる歌は「やだな」というものにしたくなくて、そういう感情の動きはUFOキャッチャーしたり、ゲームしたり、他の出口を与えておいたりしますね。
2014年に福岡の出版社 書肆侃侃房より発表された新鋭短歌シリーズ「サイレンと犀」で歌人として第一歌集を発表してから10年。現代短歌の盛り上がりは、SNSという発表の場を得て、より大きくなっている。メディアではブームと扱われることも多い中、より自身の短歌を深め、歌集を重ねる歌人はそう多くない。この夏には5冊目の歌集の発表を控えている岡野大嗣さん。表に見えている表情からは読み取れない、苦悩やスランプがあったかもしれないことは、これまでの4冊を読みながら感じていたものがある。短歌を続ける秘訣、と岡野さんは言ったが、それは作品を作るアーティストにも通ずるものがあるのではと私は思っていた。短歌が生れるきっかけを「心が動くこと」と表す岡野さんのその言葉は、私の新しいお守りとなって、手帳に書き留められた。
インタビューの全体は、ギャラリーカフェふくのPodcast「ふくみみラジオ」にて音声配信されます。また本の中から飛び出して空間に短歌を展示することで生れた感覚をぜひギャラリーで体験してみませんか。
Photo by 青木幸太
岡野大嗣 / Taiji Okano
歌人。2014年に第1歌集『サイレンと犀』、19年に第2歌集『たやすみなさい』(ともに書肆侃侃房)を刊行。18年、木下龍也との共著歌集『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』、19年に谷川俊太郎と木下龍也との詩と短歌の連詩による共著『今日は誰にも愛されたかった』、21年に第3歌集『音楽』(ともにナナロク社)を刊行。21年、がん経験者による歌集『黒い雲と白い雲との境目にグレーではない光が見える』(左右社)を監修した。関西の月刊誌「MeetsRegional」で「レッツ短歌!」 連載中。 反転フラップ式案内表示機と航空障害灯をこよなく愛する。
ギャラリーカフェふく 企画展
岡野大嗣 「うれしい近況」展 言葉が歌になるとき
歌人 岡野大嗣の歌集「うれしい近況」の短歌を展示します。額装した短歌を中心に、手書きの短歌、歌集の中に登場するモチーフ、朗読を吹き込んだカセットデッキなど、作者の体温や息づかいを感じられる空間です。さらに、この展示のために、新作短歌の創作ノートを特別公開。言葉が歌になる過程をひそかにご覧に入れます。ここで過ごすひとときが、あなたのうれしい近況のひとつになりますように。[来場特典]直筆サイン入りポストカード
会期|2024年5月30日(木)-6月30日(日)
営業時間|木金土 12:00-17:00 日 12:00-16:00
会場|ギャラリーカフェふく(鳥取県八頭郡若桜町若桜396)
アクセス|若桜鉄道 若桜駅より徒歩1分
https://fuku-wakasa.com/
ギャラリーカフェふくのPodcast 「ふくみみラジオ」
https://podcasters.spotify.com/pod/show/q0eu8vuruco