川口淳平(鞄製造販売)#3
ルーツをたどり、綺麗を残し、次代に伝える

皮革の製品も籐細工も川口さんは自身の試行錯誤の体験を通じて技を体得してきました。社会との折り合いのつかなさがものづくりに最適な環境を用意し、感性を育てたようにも見えます。最終回は移ろう時代とデザインについて伺いました。


ーもともとは皮革という素材やカバン作りにこだわりはなかったとお話しでした。それでも今の仕事を持続できたのはなぜでしょう?

結局、アルバイト生活の時に人に会えなくなった体験が一番大きいのだと思います。人と話ができない。他の人と会わなくて済むためには自分で作るしかなかった。それしかできなかったと言えます。
今でも山に篭って作れるならそれが一番だと思っています。だから持続できたというより、いつの間にか時間が経っていたという感じです。

皮革のパーツ一つ一つの縫い合わせ部分に、専用の道具を当てて厚みを抑えていく

ーそれしかできない。そうした自分を成り立たせるための独自のやり方は、制作においても反映されていますか。求めに応じて作ってはみたものの、自分の中で感覚的にそぐわない場合もあるのでは?

例えば、展示されているカバンを見た人が「これは小さいから大きいのが欲しい」とオーダーをしたとします。でも、これをそのまま大きくしても変なんです。ただ大きくしたら持ち手が食い込んでしまいます。だから、サイズは大きくして持ち手の形を変えるという対応の仕方をしています。

ー要望を聞くけれど、全てを実行するわけではないのですね。

そう思うと周りのみなさんが許してくれたから、いまの自分があるのだなと思います。

細部にこだわりつくられる鞄たち

ーものづくりの上で鳥取という立地について伺います。鳥取を含む山陰地方は他所から来にくい反面、それが他の情報からの影響の受けにくさとなり、民藝を始め古いものが残りやすい。そういう独特の環境になっている印象を持っています。

どうでしょう。技術が伝承される場は鳥取に限らずあると思います。ただ、師匠の家は特殊だと思います。伝統工芸は公的に支援されたり、ある程度の大口の注文があって成り立っているところが多いです。
しかし、長崎家はたくさんものを作らないし、支援を受けるような評価もされていない。たまたま残っているだけと言えます。
世に出ることをそれぞれの代では考えたようですが、人に見てもらったり、認めてもらうにもいろんな才能が必要ですよね。そういうことができなかった家系だったのかもしれません。

作業中の川口さんを待つ猫

ーだからこその良さというのはありますか?

伝統工芸と言うと、一般的には「うちはこうでないといけない」と押し付けられることも多いようです。けれども長崎家ではそうではありません。かろうじて共通しているのは炭斗(1)の形です。あとは歴代の作品を見ればわかる通り、誰ひとり同じものを作っていません。「こうしなさい」と言わない。代々そういう気質があるみたいで、むしろ「花結びは教えるけれど、作る作らないはあなたの自由」という感じです。

ー代を継いだ人は、あえて自分らしさを唱えることなく個性を発揮しているのですね。

「結局そうなるだろう」と師匠は言っておられました。最初に「花結び」を作ったとき「君の花はぎゅっと縮こまっている。今からはずっとそうだと思う。だから江戸小紋みたいな小さなものが並んだのを作るといいよ」と言われました。特に自分と同じことをしなさいとは言いません。

製作途中の花結びの籠。手を止める際には水に浸しておく

ー「山に篭って作りたい」と話されていましたが、そうしたもともとの気質も技に映るのでしょうか。継がれた技が脚光を浴びたり、こうして取材を受けるなどして世に出ることについてはどう思っていますか。

本当は出たくないんです。説明しないといけないからしているんですけど、説明しないでわかってもらうのが理想だと思っています。それに実際にものを示しているのだから、説明なしにわかるはずで、そうじゃないことが本当は変だと思っています。
でも今の世の中はわかりにくいことが起こっているし、品質も種類も色々だから説明しないとわからないとは思います。

ー作られたものの用途や技に関しても説明が必要な時代だと思います。籐細工の炭斗はとても美しい。しかし、今の暮らしでは炭は必需品ではありません。本来の用途がない中で魅力を訴えるには、ある程度の言葉が欠かせません。

炭斗が作られたのは明治ですから、確かにその用途は今はもうありません。だから炭斗の作り方を教えてもらったとしても、これしか作れなければ世の変化に対応できないということです。だからと言って「こういうものが求められているから、それを作ろう」というのは危険です。

花結びの考案者である2代目 長崎福太朗 作(1870年代)の炭斗

ー変化に対応はしても流されない。皮革製品についても同様の見極めをされていますか?

それは最初から思っています。iPhoneが発売された当初、それ用のケースを作りました。見本を作っても製品化しなかったのは、結局は形が毎回変わるからです。元々の用途に見合って長く使ってもらうケースを作ったら、その時の形のものしか使えません。

ー新製品が発売されても新しいわけではなく、デザインや機能が冗長化、陳腐化しているだけの場合も多いです。それに合わせることが果たしていいのかといえば疑問です。

そうですね。形やサイズが変われば、ケースを作ってもスマートフォンが入らないか緩々になります。それでは用途のない無駄なものになります。

川口さんがつくった冊子「たん たん たたたっ」第1号は、長崎家の籐細工を紹介する内容

ー炭斗も現代の生活様式では果物を入れたりインテリアとして使われるのも用途としてはあり得ます。世が移ろう中でも変えたくない、伝えていきたいところはどこでしょうか?

形が崩れない。あるいは綺麗であるか。そういうのを含めて伝えたいです。籠をカバンにして売っていますが、最初は悩みました。花結びを習う前は「カバンもありだ」と思っていました。でも、実際に学んでからは、簡単にそういう試みをしてもいいのかなと思うようになったのです。
と言うのは、まず長崎家では籠信玄(2)といった手持ちのものを作りはしても、これまでカバンを作ってはいなかったからです。僕は籠信玄がとても好きです。ただ、これは着物の時は似合うけれど、洋服の現代人には向かない。だから持ち手をつけたいと思って、いろんなデザインを考えました。でも、どうにも合わない。何とか合うものを見つけてようやく作ることができました。

ーどういう発想で考案したのですか?

持ち手と巾着を取れば籠に戻すことができる。それがベースでした。籠信玄の形なら女性しか使えないけれど、籠なら家でリモコンを入れてもいい。子や孫に譲ったとしても、受け取る人みんなが女性でもない。みんなが同じカバンの好みでもない。そうなったときに持ち手や巾着が取れるようになっていればいいですよね。
長崎家の籠は銘が入っていないから捨てられることもあります。けれども籠に戻せば男の人やカバンに興味のない人でも手元に置いて置こうかなと思えるはずです。

籠信玄(奥)と川口さんの祖母の自宅から譲り受けた熊の置物

ー時代に合わせたデザインを施しても、ルーツに戻れるわけですね。

それにはベースが良くないといけない。これが難しいのは、カバンも籠信玄も籠もそれぞれがひとつのものとして成立していないといけないからです。しかもそれぞれが合わさったデザインの調和も取れていないといけない。
結局はシルエットの問題です。籠も一個一個違うからシルエットが綺麗でないとよくないし、それに合わせた巾着の長さもそれぞれ異なります。
この持ち手を付けたカバンを作っているとき、祖母の家を壊したのです。家には山ほどものがあって、おばあちゃんの思い出のものを持って帰りたいと思いました。
けれども、あまり好みのものはなく、持って帰って来たのは北海道の熊の木彫りだけでした。「こういうものってこういうものだよな」という意味において、熊の木彫りは普遍ですよね。
熊の木彫りは置いておきたいものであり、その用途は観るためのもの。初めから何も変わっていないけれど、用途があるなら長く持てる。カバンもそういうものになればいいなと思っています。

写真:水本俊也

#1へ戻る

1:火鉢や炉につかう炭を小出しにしておくための入れ物。
2:長方形の籠を底にして胴をつくり、口紐で絞めた女性用の小型の下げ袋。明治年間に流行した。


川口淳平/Junpei Kawaguchi
1998年、広島県三原市で鞄の製造を始める。2006年、鳥取県米子市でミントチュチュレザーを開店し現在に至る。

ミントチュチュレザー
米子市米子市上福原3丁目8−7 Nハウス102
0859-32-8650
営業時間:13:00-19:00
定休日:水曜日 その他展示会などでお休みすることもあるので確認の上お出掛けください。
http://www.mint-chu-chu.com/
mail@mint-chu-chu.com

ライター

尹雄大(ゆん・うんで)

1970年神戸生まれ。関西学院大学文学部卒。テレビ制作会社を経てライターに。政財界、アスリート、ミュージシャンなど1000人超に取材し、『AERA』『婦人公論』『Number』『新潮45』などで執筆。著書に『モヤモヤの正体 迷惑とワガママの呪いを解く』(ミシマ社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『FLOW 韓氏意拳の哲学』(晶文社)など。『脇道にそれる:〈正しさ〉を手放すということ』(春秋社)では、最終章で鳥取のことに触れている。