野田邦弘
鳥取藝住 —クリエイティブな生き方を求めて
#2 アーティストが地域にイノベーションを巻き起こす

2014年から2年間、鳥取県全域で行われた広域アートプロジェクト「鳥取藝住祭」。暮らしとアートが一体となった“藝住”という概念は、プロジェクトが一旦終了した今も、地域と人々の中に静かに息づいているように見えます。一方、県全体を見ると県外からの移住は増加。とりわけ若い世代の移住者が多く、地域の中でそれまでにはなかった新しい取り組みをスタートさせています。
はたして今、鳥取では何が起きているのか。鳥大の特命教授で鳥取藝住祭の実行委員長もつとめた野田邦弘が、“藝住”という観点から紐解いていきます。


わが国で移住促進政策がいまのように強力に取り組まれるようになったのは最近のことです。以前移住といえば、定年退職を迎えた高齢者が主力だと考えられていたため、若者を増やしたい各地の自治体は、移住に消極的だったようです(平井伸治著『小さくても勝てる-「砂丘の国」のポジティブ戦略』中公新書ラクレ、2016年)。しかし近年移住を希望する世代は若者が中心となっています。2014年に内閣府が行った「東京在住者の今後の移住に関する意向調査」でも、男女とも30代以下の若年層の移住希望が一番多くなっています。この連載では、若者のなかでも特にクリエイティブな志向を持つ人々の移住を考えていきます。クリエイティブ人材の集住は、地域に変化をもたらすからです。ひとつの良い変化をもたらしている地域の例として、今回は、アーティストが多く移住してきた神奈川県旧藤野町(現相模原市緑区)を紹介します。

高橋政行〈緑のラブレター〉1989年。旧藤野町の山すそにつくられた屋外作品。写真提供:藤野観光協会

旧藤野町は、30年以上にわたりアーティスト村を目指した地域づくりを行ってきました。その結果、現在では9千人の人口のうちアーティストが300人を越す地域となっています。アーティストがアーティストを呼ぶ連鎖が起こり、そこに人間の感性を重視した教育手法で著名なシュタイナー学園の日本第一号も開校し、毎年地域外から入学生を迎えています。アーティストたちが作り出す地域のクリエイティブな雰囲気は、様々な新しい活動を誘発しました。

旧藤野町に移住した芸術家リスト(出典:一般社団法人藤野エリアマネジメント、2016年)。現在はさらに300人を超えている。

​例えば、永続可能な農業を提唱するデザイン手法を教える「パーマカルチャーセンタージャパン」の日本初の拠点ができたり(1996年)、「市民の創意と工夫、および地域の資源を最大限に活用しながら脱石油型社会へ移行していくための草の根運動」トランジションタウン藤野の設立(2011年)などです。アーティスト集住が地域に与える影響は必ずしも芸術文化の振興にとどまりません。エネルギー、食、教育、医療、福祉、など人の暮らしに関わるあらゆる分野にまたがるイノベーションが生まれるのです。

こうした望ましい変化が生まれたのは、元々の住民との良好な交わりの中で、アーティストたちが地域固有の資源や環境を生かす活動が展開できているからだと考えられます。鳥取においても若い世代を中心に、クリエイティブな人材の集住が増えていることを前回のコラムで書きました。彼らが鳥取にもたらしている様々な動きは、この地域の大きなイノベーションとなる可能性を秘めているのです。

ライター

野田邦弘

横浜市職員として「クリエイティブシティ・ヨコハマ」の策定や横浜トリエンナーレ2005など文化政策に関わる。文化経済学会理事(元理事長)、日本文化政策学会理事、元文化庁長官表彰(創造都市部門)選考委員、鳥取県文化芸術振興審議会長。鳥取市でアートプロジェクト「ホスピテイル」に取り組む。主な著書は、『アートがひらく地域のこれから』『文化政策の展開』『創造農村』『創造都市横浜の戦略』