こどものわたしがいたところ
「日常記憶地図」で見る場所の記憶 ♯3
シンノスケ/鳥取市美保地区吉成
日常音と共にある、心のサンクチュアリな場所
自宅や近所の風景、何度も訪れた秘密基地、学校からの帰り道、初めての一人暮らしのまち。何気なく繰り返される私たちの生活の記憶の数々は、少しずつ集積されることで、その土地の新たな姿をかたちづくるのではないでしょうか。
言語化やコミュニケーションをテーマに表現活動をされてきたサトウアヤコさんのメソッド「日常記憶地図」(1)の手法を用い、鳥取にゆかりのある方々がそれぞれにかつて暮らした場所の記憶を文字と写真で綴ります。
今回の“わたし”
名前|シンノスケ
エリア|鳥取市美保地区吉成(よしなり)2丁目周辺。鳥取駅から新袋川を挟んで徒歩で20分ほどの住宅街。美保小学校や、美保球場、美保公園、鳥取市民体育館等の公共施設が多いところ。1989年には「’89鳥取・世界おもちゃ博覧会」(2)が美保公園一帯で開催され、国内外から約60万人が訪れたそう。
当時の年齢|0歳-8歳(小学校3年生)
時期|1982(昭和57)年-1990(平成2)年
その土地に住むようになった経緯|母方祖母が鳥取出身で、祖父との結婚で兵庫県香住町(現:香美町)に移住。それからまた祖母が鳥取に戻りたくなり、昭和45年に家を新築し、母が高校生の時に香住町より移住。14年後にわたしが産まれる。
よく行った場所
美保公園
自宅から徒歩3分程で行ける、様々な種の木々に囲まれた広めの公園。近所に住む友人達が集う場所だったので、幼いころから毎日のように出かけていた。当時は中程にツバメの巣をモチーフにしたと思われる、コンクリート製の大型滑り台遊具があり、遊び疲れるとその巣の部分で休んだり、持っているカードやシールを交換したりしていた。また、虫取りやかくれんぼ、横を流れる川でザリガニ獲りを楽しんだ。今も当時の自分と同じ年代の息子や娘を連れて、たまに遊びに行くのだけど、とても心が安らいで過ごせる場所。
美保小学校
自宅から徒歩30秒の距離にあり、忘れ物をしてもすぐに取りに帰れていた。5年生の3学期まで過ごす。現在も当時と同じ校舎が残る。校舎と校舎の中庭には百葉箱やひょうたん型の池がありよくそこで遊んでいた。図書室も好きな場所で、少し不気味な挿絵が魅力的な江戸川乱歩の作品を好んで読んでいた。給食や掃除・休憩の時間になるとシューベルト等のクラシック音楽が流れた。いまでもその音楽を耳にすると、それらの時間の情景が思い浮かぶ。
美保保育園
こちらも自宅から徒歩30秒の距離にあった。なので年中ぐらいになると送り迎えなく自分一人で登園したり帰宅していた。玄関の事務室前には黒い九官鳥がいて、園児に人気だった。ウサギの餌当番で包丁を使って野菜を切れるのが嬉しかった。園庭のアスレチックや、藤棚のある砂場で遊んだり、新聞紙でチャンバラごっこをしたのを覚えている。夏には「夕涼み大会」というイベントがあり、その中のお化け屋敷が怖かったけど楽しかった。園舎は2018年に建て替わっている。
児童図書館美保第2グラウンド
美保小学校横、美保保育園裏の位置にあり、遊具等はない広い砂のグラウンド。夕方にバットとグローブを持って父と姉でよく野球等のボール遊びを楽しんだ。グラウンドに行く道中には保育園横の細い川沿いの道を通るのだけど、大きなセントバーナードを飼っている家があり、フェンスごしに吠えられるのにいつもドキドキしていた。他には運動会が行われたり、「’89鳥取・世界おもちゃ博覧会」の会場の一部にもなっていた。連日たくさんの人が来ていて、賑やかだった。写真には旧美保保育園の園舎が写っている。
美保公園近くのお店
当時は店名を知らなかったが、この機会で松栄堂という名のお店だったと知る。駄菓子を買うためによく訪れたが、店内はおまんじゅうを蒸す匂いでいつも満ちていたので、まんじゅう製造が主のお店だったのかもしれない。その匂いは今も思い出せる。現在は閉店している。
美保球場
当時、中に入ることはなかったが、周りの道を小学校の長距離走で走ったり、自転車で走ったりと何かと印象に残っているランドマーク的存在。建設時期を調べたところ、自分が産まれた年、1982年に完成していたことを知る。その他にも、美保公園や、美保小学校の校舎等、その年に完成した建物が多く、自分と同じ人生の時を刻んでいたことに少し感慨深いものを感じた。建設前の土地は田んぼが広がっていたそう。
宮崎歯科医院
半年に1回ほど母に連れられて通っていた。歯の治療は好きではなかったが、待合に置いてある絵本で、せなけいこさんの「おばけのてんぷら」や、「しずくのぼうけん」という絵本が大好きで繰り返し読んでいた。
旧トスク吉成店
鳥取のローカルスーパー。よく母の買い物の付き添いで連れられて行っていた。店前に置いてある、ガンダムのカードダスが好きだった。100円を入れて、レバーをガチャガチャっと回すと、5枚1セットになったカードが出てくるもの。キラッとしたホログラムのカードが出るのが嬉しくて、集めてコレクションしていた。現在は移転営業し、別の企業が入っている。
百先(ももさき)神社横の駄菓子屋
美保小学校に向いにある大橋商店(現在の営業状況不明)というお店。家からも近いこともあり、よく駄菓子を買っていた。中でも当時大流行したビックリマンチョコを何度も買いに通っていた。当時の価格は1個30円。横の百先神社の境内もたまに遊び場にしていた。百先神社は地域での行事等はなく、静かな印象がある場所。
愛着のある場所
当時の自宅
生まれてから育った場所なので、思い出がたくさんある。祖父母は「門脇仕出し店」という名で自宅内で仕出し業を営んでいた。祖母はいつも大鍋で煮物を仕込んだり、揚げ物、だし巻き卵を作っていた。祖父は刺身や焼き物を担当。祖母の姉妹も頻繁に手伝いに来ており、何かと賑やかだった。自分も姉と盛り付けをしたり、祖父の配達にも同行して配膳を手伝っていた。母は洋間でピアノ教室を開いており、夕方ごろには生徒さんとのピアノの音が聞こえていた。父は勤めていたデザイン会社を辞めた後は、一時2Fの部屋を改装し、デザイン事務所としていた。そんな感じだったので、自営業一家であり、家に帰ると誰かしら居るという状況は安心だった。自分は家の前の道で姉や近所の子と遊んだり、2Fの祖父の部屋が主な居場所だった。祖父は多趣味でその部屋で釣り道具の手入れをしたり、三味線や太鼓の稽古をしていた。その側で遊んでる際に、特に会話はなくても不思議な連帯感ある時間を過ごしていた。冬の石油ストーブにかけたやかんの、ジンジンとお湯が静かに沸く音が耳に残っている。
夏は駐車場隅でバーベキュー、冬は餅つきもし季節ごとの行事を楽しんだ。小学校4年生頃から段階的に家族4人のアパート暮らしに移行して、5年生の時に、現:実家の地に新築移転することになり、一家6人で引っ越すこととなった。ここで転校を経験する。正直、新しい家は嬉しい反面、愛着ある家や場所を離れることは辛かった。その後、旧家はグループホーム等の利用を経た後取り壊され、現在は新しい家と家族が住んでいる。
振り返って
改めてこどもの頃住んでいた場所は、公共施設の多い場所だと思った。上記には登場しないが、漫画「タッチ」の名場面で登場することで有名な鳥取市民体育館(現在解体・建替え中)も近くにある。そして、様々な音が記憶に残る場所だった。美保球場から聞こえる野球の音、開幕のサイレンや選手紹介のナレーション音、早朝に聞こえる鳩の鳴き声、今は埋め立てられ住宅地となっているが、家の裏には田んぼがあり、夏は蛙の大合唱。その先にあった橋本鉄工所(現:更地)からはゴーンゴーンと鉄を打つ音が響いていた。美保小学校の横にあった今川紙器(現:駐車場)からは、ゴウンゴウンと機械音が漏れていたし、小学校からは吹奏楽部の練習音が聞こえていた。それらの音が思い出の中の映像に重なっている。あと、近所に同年代の子が多く住み、自分の家の延長のようにお互いの家を出入りして遊んでいた。寝たきり生活を送る近所のおばあさんの家にも、話し相手としてよく通っていたりした。中山間地ほどの地域としてのまとまりがあるわけではないが、エリアとしての空気感はおおらかでコンパクトな範囲で密度高く過ごしていた気がする。
この「日常記憶地図」というメソッドを通して、ずっと心の中に散らばっていた、幼少期のキラキラと眩しい記憶の欠片を、1箇所に集めることができた。調査のために久々に歩いてみて、変わっていくところ、変わってない場所を確認しながら、この場所に”帰ってきた”という安心感を得ることができた。
※トップ画像は当時の家の前にて姉との写真。背景に美保小学校と今川紙器の建物が見える。
1.日常記憶地図は、「よく行く場所」「よく歩く道」を地図にマッピングすることで、個人の日常や記憶、愛着を取り出し、アーカイブすると同時に、その土地の特性や歴史を垣間見ることができる手法です。この連載は、2019年8月から12月に掛けて実施した連続講座「日常記憶地図ー子どもの頃の場所と風景を思い出すー」で参加者が綴ったテキストを順次紹介します。(参考:https://totto-ri.net/news_mylifemap2019/)
2.「’89鳥取・世界おもちゃ博覧会」 鳥取市政100周年記念事業のメーンイベントとして、平成元年7月29日から23日間開催された博覧会。期間中入場者数は目標の30万人を大幅に上回る60万人に達した。当時の公式記録誌を見ると鳥取市民体育館・美保公園一帯を会場とし、鳥取駅や離れた中学校等の校庭からシャトルバスを運行し、多彩なパビリオンや遊園地のようなアトラクション等もあり、鳥取市としてはかなりの規模だったことが分かる。LIVEイベントにも当時トップアイドルだった酒井法子氏が登場している。その後、おもちゃ博の成功を顕彰することを目的として、平成7年7月7日に開館した「童謡・唱歌とおもちゃのミュージアム わらべ館」が建設され、公式キャラクターのロビットも、引き続きわらべ館のマスコットキャラクターとして、今でも愛されている。
参考資料:「鳥取市政100周年記念事業 ‘89鳥取・世界おもちゃ博覧会 公式記録」「鳥取・世界おもちゃ博 公式ガイドブック」※鳥取県立図書館蔵
※公式記録誌&ガイドブックの写真画像は鳥取市 企画推進部 文化交流課&わらべ館に転載許可済