本棚帰郷 ―鳥取を離れて #5
『BOOKSTORE 移住編』(1)

自分にとって大事な場所、しかしそこに自分はもういない、そんな矛盾―
鳥取出身、京都在住のnashinokiさんが1冊の本や作品を通して故郷の鳥取を考える連載コラム。今回はドキュメンタリー映画『BOOKSTORE 移住編』を紹介する1回目。全4回でお届けします。


モリ君との出会い

モリテツヤという人間に会ったのは、2011年のことだ。今はもうなくなってしまった八頭町の「風輪」というスペースで、何かの映画の上映会だったと思う。その時集まった人の中には移住者も多く、その一人がモリ君だった。そのころ僕は3.11の震災と同時に東京から逃れるようにして鳥取に帰郷し、先の見通しも立たないままアルバイト生活を送っていた。モリ君は当時20代半ばで、その頃から自分のことを、本名の漢字ではなくカタカナで名乗っていた。社会に対する見え方を意識しているんだなと思ったが、確かにカタカナで書く「モリテツヤ」は、なんだかしっくりくる。

そのモリ君が、今回紹介する映画『BOOKSTORE 移住編』の主役だ。彼は学生時代、将来の仕事について考えるが、会社員として働く人々がどうしても楽しそうに思えず、東京・下北沢の気流舎というカウンターカルチャー色の強い本屋に出入りし、情報を発信する自分の本屋を開くこと、そしてお金がなくても自由な生活が送れる自給自足の生活を目指すようになる。大学卒業後は埼玉の有機農家や栃木のアジア学院という学校で農業を学び、ちょうどその研修が終了し自分の場所を探して生活を作ろうと考えていた時、3.11が起こった。福島第一原発の爆発により放出された放射性物質から逃れるため、彼は自転車で関東を脱出しようとする。すでに地震と原発事故の影響で信号が止まっていて、放射能への恐れで都内が混乱したら電車が使えなくなると予想したからだ。しかし千葉の実家から出発して、翌日神奈川に入ったあたりでも、予想と違って電車は動いていて、街に大きな混乱もなかった。そこで自転車に乗るのはやめて、京都にたどり着く。京都でゲストハウスのヘルパーをしながら数ヶ月過ごすが、自給自足のための良い場所が見つからず、知り合いに安い家と土地があると聞いてやってきたのが、鳥取だった。

モリ君が居住スペースとして建てた小屋の前で。2017年撮影

ゼロ年代の社会

映画の内容に入る前に、簡単に当時の社会について振り返っておきたい。モリ君やこの映画を撮った中森圭二郎監督、そして筆者も、10代後半から20代という自己形成の時期を、ゼロ年代の空気の中で過ごした。その時代を経済・社会的に見れば、新自由主義政策による所得格差の拡大が明らかになった時代といえる。新自由主義とは、政府による規制や過度な社会保障・福祉を通じた富の再分配は、企業や個人の自由な経済活動を妨げるので、規制を最小化し自由競争を活発化させることで、経済的豊かさがもたらそうとする考え方だ。市場での競争により大企業や資産家などが富裕化することを認め、それらによる投資や消費によって中間層・貧困層の所得も引き上げられ、富が再配分されると考える(ただし実際には、中間層・貧困層にその豊かさはもたらされていないといわれている)。この流れの中、かつて「一億総中流」という社会的自己認識が存在した日本で、格差を作ることを否定しない政治家や学者が登場し、また個人の経済的不遇は、社会ではなく当人の能力と努力の不足が原因であるという「自己責任」の言葉も頻繁に耳にするようになった。いわゆる自己責任論は、個人に対する社会(他者)の援助を否定するので、人々はますます孤立していく。

そんな中で若者たちは、正規雇用を求めて必死で就職活動を行い、それに漏れた人々は非正規雇用で不安定な生活を送るようになった。「勝ち組、負け組」といった言葉も流行し、またその後明らかとなったように、なんとか正規雇用にありつけた人でも、いわゆるブラック企業では超過勤務を強要され、病気になったり自死してしまう人も発生した。既存の社会構造に適応しようとする限り、そのどちらかを選択するしかない。しかしそのどちらにも矛盾があるように思えた。

けれどそもそも、こういう状況を迫られていること自体おかしなことではないか。既存のシステムによって自らの生き方を決められてしまうのではなく、就職しないですべてを自分で作れば、システムに支配されない生き方、おかしいと思う枠組みに自分をはめ込まないで生きることができる。モリ君が自給自足生活、あるいはDIY(Do It Yourself)生活を目指すようになったことには、このような時代背景があったのではないかと想像される(ここでDIYというのは、単に日曜大工などを指すのではなく、それも含まれた「自分でする」行為全体を支える思想を指している)(1)

モリ君が影響を受けた東京・新宿にあるインフョショップ、IRAのポスター

すべてを自分で作り行うことは、システムからの解放を意味するだけでなく、それ自体が喜びでもある。20世紀初頭から発展を続けた消費社会は、ありとあらゆる商品を貨幣と交換に提供する一方、一人一人が生活において自ら創造する喜びを奪った。しかし自給自足生活は、システムからの解放だけでなく、本来人間が持っている作る喜びを取り戻させてもくれる。

東京は家賃が高すぎ自分の店を持つのは難しいが、家賃や土地の値段が安い地方ならば、安くで家と土地を借り、食べ物は自給自足することで生活ができる。それがモリ君の考えた生活の仕組みだった。

とはいえ、誰しも考えるだけならできないことはない。彼のすごいところは、中森監督も言うように、それを実際に行ってしまったところだ。

モリ君が作っている芋の畑。2017年9月撮影

文中挿入写真:丸山希世実

(続く)


1. 毛利嘉孝著『はじめてのDiY』(P-Vine Books、2008年)参照。


 今回の作品 ドキュメンタリー映画『BOOKSTORE 移住編』
監督・撮影・編集:中森圭二郎
構成協力:小町谷健彦
題字:岩瀬学子
制作・発売・配給:映像レーベル地球B
2013/カラー/デジタル/SD/78分

ライター

nashinoki

1983年、鳥取市河原町出身。鳥取、京都、水俣といった複数の土地を行き来しながら、他者や風景とのかかわりの中で、時にその表面の奥にのぞく哲学的なモチーフに惹かれ、言葉にすることで考えている。