中島諒人(演出家・鳥の劇場芸術監督)♯1
価値創造に向けた劇場の果たすべき役割

劇団であり劇場名である「鳥の劇場」は2006年、鹿野町の廃校を利用して発足した。演劇が劇場に閉じこもることなく、地域に広がる。それが新しい価値、ひいては公共性につながる。そういう試みのもと、活動を続けてきた。演劇と価値創造、公共性がどういうつながりを持っているのか。鳥の劇場を主宰する中島諒人さんに尋ねた。


- お金を払い劇場で演劇を観る。そうした娯楽やビジネスといった関係にとどまらない「公共性」のある場として、劇場を位置づけられているとお聞きしています。社会における劇場の役割を捉え直す必要があると考えるに至ったのはなぜですか?

その前に日本に劇場施設の状況について説明したいと思います。2012年に劇場法ができました。これは劇場や文化ホールといった会館の機能を活性化し、音楽や演劇、伝統芸能の振興を図るために作られました。これまでは海外から輸入されて東京で話題になったものとか、東京で流行っているものが各地の施設に回されるといった流れがあったわけです。

- 従来は、文化といってもあくまでビジネスや市場を念頭に置いた使われ方をされていた?

そうですね。ですから公共性と言った場合、市場性に対するものであり、地域社会の発展を支える概念であると言えます。それだけに劇場法の制定に期待した若い演劇人も多かったと思います。それぞれの地域の中でのユニークな活動をやっていけるんじゃないか。何がしかの仕事が自分にも回ってくるんじゃないか。でも法律が施行されて6年経っても、相変わらず施設はほとんどが公共性を果たしていません。

劇場内の壁面に掲げられたロゴと、昨年新しく描かれた鳥のイラスト

- 従来通りの外国から招いたタレントの公演や歌手のコンサートが目立っています。

日本の景気が良くて、お金が余っていた時代ならそれでよかったのは確かです。けれども、これからは施設自体が独自のメッセージを発信するような存在にならないといけない。そうでないと単純に言えば予算が切られてしまって、どうにもならなくなるからです。多かれ少なかれ表現に携わる人なら、文化芸術への危機感を持っているはずです。
かといって悲観的になるだけでも仕方ないわけです。僕としては、むしろこういう状況だからこそ、演劇が持っている社会的な機能が発揮できるんじゃないかと思っています。若い演劇人が劇場に入っていって、創作や社会との関わりのある事業をすることで演劇の可能性を世の中に示していく。それは公共性につながると思います。
ただ、日本ではそういう訓練のできる場所がほぼありません。演劇界隈で伝わる言葉ではなく、その外に向かって作品なり演劇の意義を語れる言葉が少ない。鳥の劇場では芝居の後にアフタートークの時間をとっているのは、演劇が含んでいるいろんな意味を語ることで、お客さんによりおもしろく芝居を見てもらいたいからです。そういうことを通じて、今の社会状況に対しての演劇の意味を語る訓練になっていくんじゃないかと思います。

- 外に向かっての語彙がないというのは、そもそも公共性への構えがないからでしょうか。

そうだと思います。ヨーロッパには演劇学校があり、メタ認知能力の高い人が演出家になっていくケースが多いのですが、そういう過程で自分の言葉を鍛えていきます。そもそも日本と違って「演劇人」といういキャリアパス、ロールモデルがあります。それも言葉を作る上でプラスになっています。日本だと芝居をやっていると「いつまでもふわふわした感じで生きている」みたいな扱われ方ですよね。
フランスもドイツもイギリスもそれぞれ制度は違いながら、地方での演劇活動については歴史的な経験を踏まえた位置付けがされています。アヴィニョンやエジンバラでの演劇祭は共に1947年に始まっています。二度の世界大戦を経て、もう一度人間性やコミュニティを立て直さないといけない。演劇が地方に入って行くことで、その役割を果たす。そういう意識で始まったのです。
戦後の日本の演劇は、戦前の共産主義運動との結びつきを引きずりつつ、「アングラ」という反社会的な姿勢が強く出たと言えます。それ自体が悪いのではないにせよ、演劇の社会的役割を積極的に考えてはこなかったのではないかと思うのです。

- 「劇場という場を通じての価値創造」を主張されています。これは反社会ではなく価値創造によって新しい社会と公共性を作っていく試みだと思います。その上での場所として鳥取を選んだのは、「演劇の価値を最大化するには地方がいい」との考えがあったからだそうですね。

はい。鳥取に来る前は、静岡県舞台芸術センターに所属していました。そこを辞めた後は、もう演劇という専門性で食べて行くしかないなと腹を括りました。やれるかやれないかではなく、やるしかないと思った。そしたら今も中心になっているメンバーも引っ越してくれた。確実に先が見えていたわけでは全然なかったのですが、たまたま友人が寄付してくれたおかげで演劇活動に集中できて、そのうち「よくわからない存在だけど、いろんな活動をしているらしい」と注目されるようになりました。鹿野を選んだのは、自分がこれまで生きてきた中で、いろんな人が教えてくれたことを生かすには「ここでやるしかない」と思ったからです。

- ヨーロッパではコミュニティの支持があるという話でした。鹿野では、都市でなくともやっていけるという手応えはどこで得られたのですか?

鹿野という土地は町並みを保存するといった活動から得られた若干の成功体験がありました。自分たちの街をなんとかしないといけないという問題意識もあった。そういう意味ではいい出会いだったと思います。かと言って、やっていけそうだというはっきりした感覚はありませんでした。手応えが得られたからやっていけると思ったというより、むしろ地方においてコミュニティとの関係を成立させなければ、コミュニティ自体の未来もないだろうと考えていました。
僕も鳥取市出身だから、地方特有のダメな感じを知っています。受動的で肯定感がない。「自分たちでやれば状況は変わるんだ」といったことへの根本的な自信がない。そういう主体性を発揮するスイッチを入れられなければコミュニティは消えていくしかない。演劇という活動を通じてスイッチを入れることは考えとしては間違っていないと思っていました。

劇場のすぐそばに鹿野城のお堀がある。冬場には白鳥も飛来する

- 演劇にこれまで接していない人からすれば、あくまで娯楽の範疇だと思います。鳥の劇場が展開したい価値創造や公共性と言った目論見と地域の人の演劇への考えとのズレを感じたことはありますか。

そういう意味ではきちんと二方向でやって来たと思います。まず、観に来たら意外におもしろいという体験をしてもらえるようにしました。映画でも読書でも手応えを感じるのは、「なんかおもしろかった」と思えることです。自分なりに「こういうことだからおもしろかったんだな」と咀嚼できたら、「次も行こうかな」と思えるはず。
その上で先述したアフタートークにも力を入れています。「この作品はこういう風に理解して欲しい」ではなく、「我々としてはこういうつもりです」という説明をすることで、理解しやすくなる努力をしてきました。
もうひとつは演劇祭です。演劇とは劇場の中にとどまらないのだということを具体化できたと思います。演劇祭は町中のいろんなところでやります。また海外からカンパニーも来るので、異文化の人間が外を歩くことになります。
演劇というのは劇場の中だけで起こることだと思っていた人にとっては、まるで違う人の動きや異なる背景を持つ人との出会いにもなったわけです。それは文化的なことは東京で作られたものが回ってくるという印象を拭い、「目撃していることは、ここでしか起きていないことなんだ」という体験をもたらしたように思います。

写真:水本俊也

#2へ続く


中島諒人 / Makoto Nakashima
1966年、鳥取市生まれ。東京大学法学部在学中より演劇活動を開始、卒業後東京を拠点に劇団を主宰。2003年、利賀演出家コンクールで最優秀演出家賞受賞。2004年から1年半、静岡県舞台芸術センターに所属。2006年より鳥取に劇団の拠点を移し、“鳥の劇場”をスタート。二千年以上の歴史を持つ文化装置=演劇の本来の力を通じて、一般社会の中に演劇の居場所を作り、その素晴らしさ・必要性が広く認識されることを目指す。

鳥の劇場
鳥取県鳥取市鹿野町の廃校になった小学校と幼稚園を劇場に変えて、2006年から演劇活動をスタート。劇団名でもあり場の名前でもある。演劇創作を中心にすえ、国内・海外の優れた舞台作品の招聘、舞台芸術家との交流、他芸術ジャンルとの交流、教育普及活動などを行う。
鳥取県鳥取市鹿野町鹿野1812-1
TEL・FAX: 0857-84-3268
info@birdtheatre.org
http://birdtheatre.org/

鳥の演劇祭11
会期:2018年9月6日(木)-9月23日(日)
会場:鳥の劇場及び鹿野町内各所(鳥取県鳥取市鹿野町)
プログラムの予約・申込・問合せ:
TEL 0857-84-3612
engekisai@bitdtheatre.org
http://www.birdtheatre.org/engekisai/

ライター

尹雄大(ゆん・うんで)

1970年神戸生まれ。関西学院大学文学部卒。テレビ制作会社を経てライターに。政財界、アスリート、ミュージシャンなど1000人超に取材し、『AERA』『婦人公論』『Number』『新潮45』などで執筆。著書に『モヤモヤの正体 迷惑とワガママの呪いを解く』(ミシマ社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『FLOW 韓氏意拳の哲学』(晶文社)など。『脇道にそれる:〈正しさ〉を手放すということ』(春秋社)では、最終章で鳥取のことに触れている。