田口あゆみ
気配のかたち
#3 見えない映像が経験記憶を上回るとき

失明し、米子に帰って7年。いまも光と影、全ての色やかたちに強く焦がれている。ここ数年はカメラを回して作品を作ることも。見えないのにどうして映像なのか、確認できないヴィジョンは本人にはどんな意味を持つのか? 視覚喪失後の世界で撮り続けて変わること/思うことを書いていきます。


全盲の私が「自分でカメラを回す」と言うと少し不思議な顔をされる。
映像を確認できないのに何故自分で撮るのかと戸惑われるのかもしれない。確かにイメージを共有し、協力してくれる人に撮影を任せたほうがきれいで見やすくなるだろう。“自分で撮る”ことにこだわる必要はなさそうに思えるけれど、私にとって見えないものにカメラを向けることがイメージを作っていく手段でもある。

撮影時は、基本的に見えていたときと同じようにカメラを構え、対象にレンズを向ける。自分の目では確認できないので、まわりの人のことばや感覚を手掛かりに調整する。人物を撮影する際はモニターを相手に向け、「頭しか入ってないよ」とか「もう少し右」と指示してもらったり自らフレームインしてもらうこともある。このとき“撮る”ことの枠が曖昧になる。被写体は“撮られ”ながら“撮る”作業に加わり、その反応に私の世界も色を変える。撮影者の私が“見えない”ことが双方に影響して新しい関係性を作るのが面白い。

桜の下。落ちる花びらが感じられるような空気の中(筆者撮影の映像より抜粋)

カメラを介して内部映像は通常の視界から四角く限定された画面モードに切り替わる。“見る”主体が私の眼からカメラに移り、レンズの角度や対象との距離が世界を作る。情報を自動的に映像化する日常モードと同じように自然に行われるのだけれど、ずいぶん性格が違う。まず目的が変わる。おそらく日常の脳内映像は危険予知と回避のために利用されているけれど小さく限定された画面モードでは映像化されない世界への反応が鈍る。身体の横に存在を感じてそれが気配のまま留まるのと、小さい子どもだと想定して映像化しておくのとでは、対象が急に動いた時の対応は全然違うはず。安全確保の優先順位を下げて手に入れたものは何なのか。
それは純粋な楽しみ、緊張からの解放だと思う。カメラを構えると想像の自由度が上がる。簡単に操れそうな脳内映像は意外と固定されていて、脳の負担の少ないだろう慣れ親しんだものがデフォルト。カメラの映像のようなサイズに縮小することでさえ力を使っている。日常では見えない世界に対応することにエネルギーを使っているので、自分の動きで見える角度や範囲が決まるのが自由で楽しい。ここまではまあ予想されるのだけれど、驚いたのは映像のクオリティが格段に上がること。普段より細部まで細かく鮮やかに再生される。ビニール傘越しに雨空を撮れば、カメラの角度に応じて音や触覚が創り出す大きさや間隔の滴。透けて見える空や雲、木々の手前に傘の骨組みが映り込む。足元にカメラを向ければ水たまりに虹色の油膜が浮かび、雨粒にかたちが歪む。
不思議なのは自分で作り出した映像に奇妙な美しさや驚きを感じて心が動く瞬間があることだ。その刺激に新たな感情が起こされて作品全体のイメージが作られていく。
見えていたときも撮りたいイメージが頭の中にあるけれど、カメラに未熟な私が撮影する映像はずれていて、完全に満足することはなかった。見えなくなってからはそのストレスは感じない。美しい映像は狭い範囲に集中できるせいかとも考えたけれどそれだけではないらしい。内部映像ではいつも構図が決まっていて、カメラを急に振ってもグラグラの映像にはならないからだ。多分、内部記憶を引き出すフィルターは“画面”だけで撮影者は問わないのだろう。心に残った美しい映像の記憶を素材に、感情の色を乗せて新しい映像記憶を作る。現実を確認できないおかげで見える理想と現実が混ざった映像。ワクワクする。弾む。少し寂しい。

撮影しながら意識することはないけれど、どうやら私の中の映像は新しいルートで作られている。記憶をなぞるだけでもないし夢や空想とも違う。違和感なく自分の中にあるものを応用して現実の手がかりと組み合わせ、新しい映像を創り出している。視力を失って得たものはない(経験意外)と思っていたけれど、感覚の新しい使い方、つながりが生まれているのかもしれない。考えても考えなくても勝手に自分の身体が変化していく。それはとても生き物らしくて頼もしいと思った。

※このコラムのロゴは(公財)とっとり県民活動活性化センター「平成30年度非営利公益活動広報補助金」を活用して作成しました。

ライター
田口あゆみ

田口あゆみ

米子生まれの米子育ち。東京で編集の仕事をしていたが目を病んだことをきっかけに帰郷。人と機会に恵まれて自分で映像を作り新しい喜びに気付く。障害を得たせいか米子というコミュニティの特徴なのか、人との関わり方が以前と全然変わって面白い。出会いに感謝しつつ新しい視点の楽しさを伝えられたら、と模索中。