デイナ・ウォルラス(アーティスト、文筆家、人類学者)#3
イマジネーションや創造性が人間のキャパシティを広げる
2017年の4月14日(金)~30日(日)にKOBE STUDIO Y3にて展覧会を開き、時期を合わせて神戸にあるインターナショナルスクール、カナディアンアカデミーのレジデンスプログラムに参加したアメリカ人アーティストのDana Walrath/デイナ・ウォルラスさん。
日本での滞在期間中は、鳥取をはじめ、東京や周辺都市、広島、横浜、福井などへも精力的に足を運びました。インタビュー最終回は、文筆家、人類学者としての視点から、これまでの活動や今後のことについて。
― これまで伺ったお話から、作品のテーマや表現の形態は、デイナさんが人類学者であるということと深く関わっているように感じました。
デイナ:最初の鳥取訪問で一緒に話をした際、私たちの会話で繰り返し出てきたテーマは「多様性を受け入れる社会」ということでした。それが最終的には全世界的に大事なテーマだと感じています。
いま、神戸で展示している作品は〈View From the High Ground/高所からの景色〉というものです。これはアルメニアの大虐殺など過去500年間に行われた9つの虐殺行為:アメリカインディアン、アフリカ系アメリカ人、オーストラリア先住民、アルメニア人、ホロコースト、カンボジア、ルワンダ、ボスニア、ミャンマーのロンヒギャの人々、をテーマに制作した作品で、9つの冊子から構成されます。綴じた紙1枚1枚が上部、中部、下部の3つに切り分けられており、虐殺行為を受けた人々の頭部、胴部、脚部が、動物や昆虫や空想上の化け物などに変化していく様子を表現しました。虐殺行為とは人を人として扱わなくなっていくこと。その非人間化のプロセスをこの作品で視覚化しています。私たちが日々行うことの中に、非人間化という行為が潜んではいないか。それに気づいていくことがまず大事だと考えています。
― 作品の形態、例えば冊子の形だったり、古い本のコラージュだったりする点にもこだわりを感じます。
私はアーティストでもあり、文化人類学者でもあり、作家でもあります。この3つの観点から、本は私にとって常に大きな意味を持っている重要なテーマです。本は知識と冒険と発展を導く素晴らしいものです。しかしそれと同時に、人々を抑圧する道具にもなりうるのです。本を切り取り再構成しなおすことで、その両面を作品に表したいと思っています。
厚みのある本は小さな小冊子の背を糸で縫いとめてつくられています。〈View From the High Ground/高所からの景色〉も〈Aliceheimer’s/アリスハイマー〉も、分厚い生物学の教科書を小冊子に分けて、そこから作品に使用する部分をテキストやイラストから選びました。
そのプロセスで見えてきたのは、生物学の教科書には、教科書がつくられた1950年代の人種差別的な用語や風潮が多分に読み取れること。人種差別というものは非人間化の行為だと思います。自身や自身の属す共同体がより優越しているという考えが、相手を人としてみないことに繋がるからです。古い生物学の教科書を作品に使うことで、そうした非人間化の行為が暗示できているのではないかと考えています。
この〈View From the High Ground/高所からの景色〉という作品を作り始めたときは、教科書が素材ですから面積はさほどなく、両手に収まる程度の大きさでした。
もう少し大きなサイズで発表したいと考え、試しにアウシュビッツの男性を描いたページを拡大コピーし、私の仕事場の壁に張りました。その数日間、彼の視線は、仕事場での私の動きを追っているように見え、その目は「他の人も、もっと大きくしてやってくれ」と、強く語り掛けているようだったんですね。
そうした体験があって、今回の神戸ではすべての冊子を拡大して展示することにしました。
拡大印刷をしたことで1ページ分を裏表2枚の紙で構成することになりました。その2枚を貼り合わせるために紙の縁をテープでとめたのですが、そのテープが紙の色に対して白すぎて目立つので、ジンジャーやターメリックや灰などの粉を混ぜてテープに付けてみました。紙の色とも合い、少し時間が経過した感じにも見えました。観客がページを捲る際、少しだけその粉が手に移るのですね。古く埃っぽい感じが体感されるとともに、触れた時に指に付着する粉が鑑賞者の一部になり、「虐殺は他人事」という感覚を取り払うとても良い効果が生まれたと感じています。
― 今回のリサーチでは、認知症の母親との日々を描き話題を呼んだ漫画「ペコロスの母に会いに行く」の作者、岡野雄一さんにも会いに行かれたのですよね。
デイナ:岡野雄一さんには、横浜でインタビューを行いましたが、その前に同名の映画化された作品も観ました。映画は原作の漫画よりも短くポイントをまとめた内容でした。
岡野さんに最初に伺ったのは認知症とトラウマの関係性について、どうお考えになるかということ。岡野さんは、写真を取り出して彼の父親について語りました。物語の中の父親はとても暴力的で精神的にどこか病んでいるような描かれ方をしています。常に誰かに後を付けられているというような幻聴、幻覚にひどく怯えたりしていて。一方、母親の方は、父親からの暴力を受けながらもそれに耐えながら、時に受け入れながら生きていた。その関係性の中で、岡野さんは、父親は実は長崎の被爆者だったことを教えてくださいました。物語の中では被爆者であることは明確には描かれておらず、インタビューの中で打ち明けたことでした。
映画の最初のシーンに、長崎の原爆が落とされた時、立ち上がるきのこ雲を遠くから見つめる若き日の母親が登場します。そのきのこ雲を見て、母親は爆心地近くに住む友達の名前をつぶやくのです。私はそのシーンが忘れられません。映画の最後に、「ボケるとも、悪か事ばかりじゃなかかもしれん。」というフレーズが出てくるのですが、認知症とトラウマの関係を深く考えさせる面も、この作品は持っていると感じました。
― デイナさんが考えるアートとはどのようなものですか。今後の展望も含めて最後に伺いたいです。
デイナ:私はイマジネーションや創造性が人間のキャパシティを広げると考えています。限られた時間と場所と境遇の中に生きるそれぞれの人間がイマジネーションや創造性を持つことで、その限られた範囲から抜け出すことが出来るのです。そしてその創造性やイマジネーションを助けるアートは、重要になると思っています。イマジネーションは私たちがどんなに暗い場所にいても光になるものであるし、抜け道になるもの。想像力を持つことが多様性を理解する力になるし、狭い考え方から抜け出すことを可能にさせるものだと思っています。ですからアートというのは非常に重要であると考えています。
そして、今回の鳥取でのリサーチは、その後の滞在の全てに繋がるものになりました。鳥取に来て本当に良かったです。また、神戸や東京などの他の場所ではあまり感じられなかった日本らしい日本、和食、畳の部屋、温泉、お花見、美しい桜などを体感出来て、本当に日本に来たな、日本文化の中で過ごしているな、と感じることができました。
鳥取は自然に囲まれていて、私が暮らすアメリカのバーモント州にとても環境が近いと感じました。鳥取県とバーモント州は高校生の交換留学制度があったりと交流が盛んだと知って、納得しました。
今回、鳥取でのリサーチでつくることができた作品を、鳥取で展示できる機会が得られたら嬉しいですね。またお会いしましょう。
通訳:モニカ・メッセイ
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Dana Walrath/デイナ・ウォルラス
アーティスト、人類学者。医大の授業で物語を援用したことをきっかけに文筆活動もはじめた。主な作品に、研究者としてアルメニア滞在中に執筆した受賞作〈Like Water on Stone〉、アルツハイマーの母アリスとの回想を物語にした作品〈Aliceheimer’s/アリスハイマー〉などがある。今回の来日は神戸にあるカナディアンアカデミーのレジデンスアーティストとしてだが、東京、鳥取などへもリサーチのために訪れた。
danawalrath.com