淀川テクニック(アーティスト)#1
生き生きしてくると面白いじゃないですか、要らないって言われていたものが

ゴミや漂流物などを使い、様々な造形物を制作することで知られるアーティスト、「淀川テクニック」こと柴田英昭さん。大阪から鳥取県智頭町に拠点を移して活動されています。最近新たに借りることになったという作業場にて、制作のことなどを伺いました。


- 拠点を鳥取に移したのはいつ頃でしょうか。

淀川テクニック:6、7年前ぐらいかなぁ。嫁の実家があるからそれで智頭に。あと僕が岡山出身で、引っ越し先を探してるうちに、ここはいいとこかなぁって。それで決めました。
でも制作は基本的に場所を選ばないんで、僕はどこでもいいんです。最近ここを借りることができたので、良かったなぁと思っています。
この場所はもともと建築会社の元加工場でずっと空いてたそうなんですよ。でたまたまご縁がありお借りすることになりました。

- そこにある黄色のボックスは淀川テクニックさんのものですか?

淀川テクニック:はい、あれは全部漂流物が入ってて。全て洗って、いつでも使えるようにしてるんです。だいたい鳥取とか、沖縄とか、淀川のものもいっぱい残ってて、ストックしてる状態。

- 鳥取ではどの辺りで探すんでしょうか。

淀川テクニック:色々回るのですが青谷の辺りが、結構いいですね。シーズンとタイミングによって物が違ってくるんですけど、結構鳥取は、僕にとってはいいものが取れます。

拾う場所によって漂流物の素材や色味が微妙に異なるそう。ハングルや中国語が書かれたものもある

- いろんな場所でお話されていると思うので恐縮ですが、改めて、そもそも漂流物を組み合わせて作品を作るようになったきっかけを教えていただけますか。

淀川テクニック:22歳くらいの時に仕事を辞めて、自称アーティストのフリーターをしてました。芸大には行ってないです。2003年に知り合いのおっちゃんから、「河川敷で淀川フェスティバルっていうイベントするんやけど、なんかゴミがようさんあるから何か作らへんか?」って誘われて。それまでも拾ったものでいくつか作ってたんですけど、そのときは淀川だけで集めたものを使って作ってみようということになって。それで、その時専門学校の友達だった松永和也と2人で淀川河川敷でゴミを拾いながら作ったんです。今から考えると完成度は低いし技術的には腕はなかったんですけど。作っている行為が凄く楽しいのと淀川河川敷っていう場所が面白かったんです。

あとは、その当時にね、芸術家の村上隆さんが「GEISAI(げいさい)」(1)というイベントを半年に1回くらいのペースでされていて、僕も自分の作品をGEISAIに毎回持って行ってたんですけど。今度一回淀川でやっている活動をアートプロジェクトというかユニットとして1回出してみようということで「淀川テクニック」っていう名前で持展示したんです。

「GEISAI#5」での展示の様子(2004年)。この際、淀川テクニックとして銀賞を受賞した
淀川テクニック《チヌ》2005年

- そこではじめて現在の活動名が付いたわけですね。

淀川テクニック:そうですね。で、その後「キリンアートプロジェクト2005」っていうコンペにも出品してヤノベケンジ(2)さんにサポートしてもらったりしているうちに新たな作品制作の依頼を受けて、もう少し淀川テクニックとして活動してみようかということになったんです。その後も淀川を拠点にして制作していたんですけれど、海外でのアートプロジェクトとかにも呼んでもらうようになりました。

「キリンアートプロジェクト2005」での展示の様子。グランプリを受賞した

基本的なコンセプトは同じでも場所によって拾えるものは違ってくるんです。そこに行ってそこで集まるものを使うことで、その土地ならではみたいなものが作れるので。今はいろんなところで作っているという感じです。

- 作品では鳥や魚などの生き物をモチーフとしてつくられたものが多いように見受けます。それは理由があるのでしょうか。

淀川テクニック:もともとの素材がゴミというか漂流物なので価値の低いものなのですが、それに命を吹き込めたらなと思って、よく生き物を作るんです。生き生きしてくると面白いじゃないですか、要らないって言われていたものが、ちょっと動き出しそうなものになるといいかなと思って作っています。

淀川テクニック《ケイ》2011年
淀川テクニック《宇野のチヌ》2010年。DISCOVER WEST TVCM「山陰せとうち」篇のCMに出た事でも知られる

- 素材を探していてこれ使えそうだなとか考えながら拾うのでしょうか。

淀川テクニック:これ使えそうだなっていうのもあれば、分からんけど拾っておくことも多いです。あとでこの場所のパーツが欲しいなっていうときに、ストックから探して「あ、これだ」って合うものが見つかるとか、いろいろですね。

ただ最初から形や色がバラバラな素材の使い方をいちいち考えないとダメで、なおかつ思っている形みたいなものがない時は、逆にこう、この形で何とかうまく持って行くしかないなということもある。最初に思い描いた形にならないというか、一生懸命この形にしようって近づけてはみるんですが、その場所、その時に手に入るもので作るので、最終的に出来たものは、思ってもみなかったものになることもあります。けど、それが逆にいいみたいな作品になったり、なんか面白いっていうこともあって。それが作っている時の楽しみみたいなところはありますね。

#2へ続く

トップ写真、および本文1枚目写真:野口明生
その他の写真:Courtesy of the artist and YUKARI ART

※この記事は、令和2年度「県民立美術館」の実現に向けた地域ネットワーク形成支援補助金を活用して作成しました。また、鳥取県立博物館が発行する「鳥取県立美術館ができるまで」を伝えるフリーペーパー『Pass me!』03号(2020年10月発行予定)の取材に併せてインタビューを実施しました。Pass me!03号のPDFは以下のURLからご覧いただけます。passme!_03.pdf (tottori-moa.jp)


1:芸術家の村上隆が主催する現代美術の祭典。2001年から2014年まで実施された。無審査で出展できるハードルの低さながら、国内外の著名人を審査員として迎えるほか、小山登美夫ギャラリーやミヅマアートギャラリーなどの有力な画廊やアート関連企業によるスカウト審査・ブース出展を設けた。
2:日本の現代美術作家。京都芸術大学教授。同大学内のウルトラファクトリーのディレクターを務める。


淀川テクニック / Yodogawa Technique
柴田英昭(しばたひであき、1976年岡山県生まれ)のアーティスト名。 2003年に大阪・淀川の河川敷を拠点として活動開始。ゴミや漂流物などを使い、様々な造形物を制作する。赴いた土地ならではのゴミや人々との交流を楽しみながら行う滞在制作を得意とし、岡山県・宇野港に常設展示された「宇野のチヌ」「宇野の子チヌ」は特によく知られている。また、東日本大震災で甚大な津波被害を受けた宮城県仙台市若林区で地元の方々の協力のもと被災した防風林を使った作品を制作した。その他、「釜山ビエンナーレ」(2006)やインドネシアで開催された日本現代美術展「KITA!!」(2008)、ドイツ・ハンブルグと大阪で同時開催された「TWINISM」(2009)、モルディブ共和国初の現代美術展「呼吸する環礁―モルディブ・日本現代美術展―」(2012)など海外での展覧会参加も多い。その活動や作品は国内外のテレビ、新聞などのマスメディアで多く取り上げられている他、小学校や中学校の美術の教科書でも大きく紹介されている。 活動開始当初は柴田が大阪文化服装学院で1学年下の友人・松永和也(まつながかずや、1977年熊本県生まれ)に声をかけてはじまったアーティストユニットであったが、 現在は柴田のソロ活動。柴田は「淀川テクニック」として、作品の制作のみならず、その独創的なアイディアを活かした様々なワークショップを全国各地で開催する他、「コラージュ川柳」の発案者・考案者でもある。2018年、「ゴミハンタープロジェクト」を新たにスタート。この活動は淀川テクニックがこれまでの経験をふまえ、国内のみならず世界中のゴミを求めて旅をし、目撃した現状を作品という形で伝えることでゴミ問題をより広く考えるきっかけをつくることを目的にしている。
https://yukari-art.jp/jp/artists/yodogawa-technique/

ライター

水田美世

千葉県我孫子市生まれ、鳥取県米子市育ち。東京の出版社勤務を経て2008年から8年間川口市立アートギャラリー・アトリア(埼玉県)の学芸員として勤務。主な担当企画展は〈建畠覚造展〉(2012年)、〈フィールド・リフレクション〉(2014年)など。在職中は、聞こえない人と聞こえる人、見えない人と見える人との作品鑑賞にも力を入れた。出産を機に家族を伴い帰郷。2016年夏から、子どもや子どもに目を向ける人たちのためのスペース「ちいさいおうち」を自宅となりに開く。