やぶ くみこ(音楽家)#3
「かっこいい休み」から「かっこいい音楽」が作れると思います

東南アジアの音楽と出会い、今ではガムラン奏者であり、音楽家・作曲家のやぶくみこさんが目指す「音楽」とは何か? 最終回は、やぶさんの実践を言語化することで見えてきたものについてお話いただきました。


やぶ:私がメインで扱うガムランという楽器は、13種類の楽器があるんですが、ジャワのガムラン演奏家は全種類の楽器を演奏します。太鼓ができるのは普通。こどものときからやってる人もいるし、家族が影絵の一団をやってるとか、踊りやってるとか。家がそういうルーツじゃないけど、大人になってからガムランが好きで音楽家になった人もいて。わたしのガムランの先生がそうです。別に絶対音感があるわけでもなく、ガムランが好きで勉強して演奏してる人も少ないけどいます。

イギリスのヨーク大学のガムランルーム

やぶ:ガムランのことを補足すると、13種類もある楽器でとてもシンプルで比較的簡単にできる楽器から、少し展開して複雑になる楽器、ガムラン音楽の細かい部分を理解しさらに技術を習得しないとできない楽器という風に段階的にできています。ガムランには歌のパートもあって、歌もとても重要です。

- いわゆるギターだけを演奏する「ギタリスト」はいないんですね?

やぶ:そう。一応みんな全部弾けるんです。インドネシアのガムランの授業では全部習得するので、曲を1度演奏したら、パートを入れ替えます。インドネシアの古典ポップのクロンチョンでもどうやら同じで、授業中に1曲終わったらパートを変わってまた同じ曲をやっていました。つまりギターを弾ける人は、ドラムもできるし、ベースもできるし、歌もできる。ひと昔のミュージシャンにはわりと多い気がします。アメリカやヨーロッパにもなんでも演奏する人はいるし、日本だと私の敬愛する細野晴臣さんとか。HOSONOVAというCDを聞いていて、パーカッションがめっちゃいいやーんと思って、クレジットみたら細野さんやったり。細野さんうまい(笑)。

- 「うまさ」ってテクニックじゃなくて、センスがある「うまさ」なんですかね?

やぶ:細野さんの場合もそうだし、先に話したアナンさんもテクニックもめっちゃ洗練されてるし、センスもいいんですよ。あと、心にすごく余裕がある。いいミュージシャンはちゃんと技もあって、心身の状態もよくて、ちゃんと体が動くっていうか。

だから、アナンとスボウォさんは、そのあとのわたしの「どういう音楽家でありたいか」というビジョンにものすごい関わってて、その二人がいちばん影響が大きいかな。そのときの衝撃が今でも忘れられない。2016年にクレムスという街の音楽祭に参加する野村誠さんのプロジェクトI-Picnicの撮影で、「いまから、山へ即興音楽しにいくぞー」ってみんなでいったときに、野村さんは鍵盤ハーモニカをふいてるし、ダンサーの人(佐久間新さん)はいい樹のところで踊っているし、スボウォさんはドナウ川がみえる山の岩肌に座った瞬間にもう入りこんでいて、すーっと踊り始める。その様子をすかさず撮る野村幸弘さんと。自然だったりなにか感じるものに素早く接続していく集中力の高さっていうか。こんなんやったら笑われるかな?っていうことは微塵もないし、表現することが自然な姿勢に感銘を受けました。あとはアナンさんのいい意味の軽さ。気軽さ。もの凄い技を、すごい気軽に出してしまう所にもプロフェッショナルの余裕を感じました。

- 今回タイでインプットしてきて、今後のやぶさんのアウトプットは見えてきた?

やぶ:即興の音楽っていうものをちゃんと言語するっていう部分とじぶんが実践していくっていう部分のふたつあって。音楽をプロとしてない人たちと、即興をやることで、ほんとに音楽の根っこの部分がどういう風にできていくのか、知りたい。音楽がイメージだったり、人に「いいな」って感覚が伝わってるものが一体何なのか知りたい、という気持ちがあります。そして、音楽はプロフェッショナルだけがやればいいなんて思っていません。もっとそばにあるし、引き寄せてほしい。

一般の人に「演奏してください」って楽器をわたすと、全員音を鳴らし続けるんですが、「うまく休んでくださいね」というと、そこでリズムが生まれるっていうのがわかりました。「なんだ休みか」って思うんですけど、「かっこいい休み」から「かっこいい音楽」が作れると思います。これは人生もそうじゃないかと思っていて、すごく豊かなお休みをとれると、仕事に反映される。音楽を通して、そういう深いものが見出せたというのがあります。

じぶんを形作る豊かさっていうのは、実はものすごく頑張って何かをするっていうことよりも、すごく上手に休むことで、ちゃんと自分の機嫌をとって、自分を楽しませる方法を知ることが大事かなって、タイの人たちを見ていて思いました。タイでデパートにいったら、悟空やフリーザやセーラームーンのコスプレ集団が歩いてて、なんか楽しそうに見えるんです。日本だとほぼ間違いなく、周りから浮いて見えるんだけど、みんなで好きなものを肯定して全員でやっちゃえば、生きやすい。みんな変人でいいんじゃないの?って思うんです。

演奏も同じで、「今は休んでおこう。」「わたしはあの人と演奏したいからあの人がスタートしたら始めよう」とか。自分の感覚的なエゴみたいなものがもっと反映された方が、音楽的に豊かになるっていうことが見えてきて。実際にミュージシャンたちは、そのことをすごい感覚的にわかってるから、成立するんですけど、このことをちゃんと言語化できたらと思っています。西洋音楽やジャズにも即興の理論があって、たとえばモードやコード、ハーモニーなど作り方のルールに沿って即興、作曲すれば確かに音楽はきれいに出来上がるし、成立する。けれど、指揮者を持たないアジアの音楽にはもう少し感覚とか身体的な方法で説明できるものがあるはずだとおもって、東南アジアのほうに、注目しています。

なにか、ものごとの根っこを見つめる癖みたいなものがわたしにはあって、「いや、これやってるけどそもそも何のためなん?」みたいな。そこをつきつめていくと、豊かに生きていけるヒントがあるんじゃないかなと思ってます。即興演奏の活動で、最近みえてきた部分はそこです。

あと、即興音楽を突き詰めていくことで気づいたことは、聞き上手な人はやっぱりうまいですね。たくさん音楽を聞いてる人や、「何言ってるのかな?」って話をよく聞ける人は話すのも上手やったりします。聞き上手な人って、疑問を持ってるんですよね。疑問を持つのが上手だから質問上手でよく聞いて考える。きっと音楽もそうで。他の人の音を聞いてると、どんどん返しがよくなっていく。気がつくと洗練されていくし、自分なりの方法を見つけ出すってことやなーって。

- 大事なのは、「休む」「聞く」っていう行為なんですね。センスと感覚など「感性の部分」じゃなくて。

やぶ:センスや感性っていうのは、好きなものの集合っていう意味やとおもっていて。たとえば「センスいいね」っていうのは、「好きなものが合うね」っていうことやと思う。好きなものや気になるものを集めていくと、それが自分になるから、絶対に人と同じにはならない。京都の茶人の友人がいて、彼が考えた遊びがとても面白かった。

机の上に黒か白の碁石をひとつずつ好きなところに置いていくんです。どこにおいてもよくて、勝ち負けとかなくて、場所が決まっていく、場所の好みが人によって違うんです。黒同士でそろえたり、碁石が埋まってきたら、取り除いたりして。少しずつ状況に合わせてルールを変えていく。そのうち相手の碁石を取り除いてもいいんです。取っていくことで空間ができたりするんですけど。そのときに、なんかね。理由のつかない感覚みたいなものがあって。これが多様性の正体っていうか。理由のわからない居心地の良さなり、悪さなりの感覚的な部分っていうのを、この遊びをしたときに感じるんです。「なんだか説明つかないんだけど、絶対これはここじゃないとダメ」っていう。

これが音楽にもあると思う。この楽器じゃないとなんかあかんなーとか。なにやっても今日はあかんわー。とか。

たとえば、ある空間に入って座る位置はカウンターじゃないとダメとか、端っこが好きとか、真ん中がいいとか。人によって落ち着くところが違う。説明のつかない感覚。そういう説明のつかないものがたくさんあっていいのに、この感覚ってものすごく軽視されてて、自由に選択ができる環境やのに、何を選べばいいかわからなくなっていたり。結局、そこで自分が好きなものがちゃんと反映できる世の中っていうのがいい。エゴでありながら、他の人とも仲良くできるっていう表裏一体な世の中が。自分の好きなことやったら嫌われるってこともあるけど、喜ばれることもある。自由と制約の間を豊かにするのが芸術なんかなあ。て思うから、やっぱり今の世の中に芸術、とくにコンテンポラリーが必要やって言われているのは、自由を選び取る方法というのが見えるようになっているというのが大きな意味かなって思う。

- 多様性を「認める」ってタイのどういう部分をみてそう思ったの?

やぶ:多様性を認めるっていうのは、音楽からというより国民性をみててそう感じた。タイのひとって西洋音楽もいいよね、イサンもチェンマイの民族音楽もいいよね、でも、タイの伝統音楽は超いいよね。っていう感覚なんですよ。あとは、料理がね、酸っぱい辛い甘い苦い。を一つの料理でどんだけの味を味わえるかが勝ち負けなんです。香りも種類も、こんなにも一気に一つの料理で味わえるんだよ。ていうのが豊か。一回でどれだけ味わえたかっていうのがとても大事。音楽も、幅のなかでどれだけ逸脱できたか。ていうところがちょいちょいある。オーケストラのなかで伝統音楽の楽器をどこにいれるか。とか。

「ひとに迷惑をかけないようにしなさい」が日本なら、「じぶんが迷惑をかけるから許してあげなさい。」がタイです。

《つづく》

写真:やぶくみこ、蛇谷りえ
構成:水田美世
※この記事は2019年11月17日(日)にY Pub&Hostelで行ったイベント「旅する音楽食堂 タイ編」の内容を編集したものです。タイでの滞在の様子については、以下の国際交流基金アジアセンター助成・フェローシッププログラムのページに詳細な活動報告書が掲載されています。併せてご覧ください。https://grant-fellowship-db.jfac.jp/ja/fellow/fs1813/


やぶ くみこ / Kumiko Yabu
音楽家/作曲家。1982年岸和田生まれ。英国ヨーク大学大学院コミュニティミュージックを修了。舞台音響家を経て音楽家へ。東南アジアや中東の民族楽器を中心に国内外の舞台音楽の作曲、演奏や他ジャンルとのコラボレーション多数。2015年にガムラン・グンデルによるソロアルバム「星空の音楽会」。2016年に箏とガムランと展覧会「浮音模様」を美術家かなもりゆうこと発表。淡路島にて野村誠と「瓦の音楽」を2014年より監修。京都にて即興中心のガムラングループ “スカルグンディス”を主宰。京都市在住。https://www.kumikoyabu.com/

ライター
蛇谷りえ

蛇谷りえ

1984年大阪生まれ。2012年に「うかぶLLC」を設立し、共同代表の一人。うかぶLLCでは、鳥取県は湯梨浜町にある「たみ」と、鳥取市にある「Y Pub&Hostel」を経営している。また、鳥取大学地域学部教員の合同ゼミ「鳥取大学にんげん研究会」やアートプロジェクト「HOSPITALE」のマネジメントなど、ある世界の中で、サテライト的な関わりであれこれつなげるのが得意。”外”担当。 photo:Patrick Tsai