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2018.7.28

幸田直人(いちまいのおさらオーナー)#3
好きなことで生きる技術があれば、不安の生じる隙はない

職業名の中から仕事を選ぶことが人生だと思っている。しかし、本当はそうではない。自分がどういう暮らしをしたいか。そのためには何を身につければいいか。それによって生き方は決まってくるはずだ。


― 『ソトコト』や新聞で取り上げられたりと、メディアから注目される機会も増えていると思います。反響はありますか?

メディアに取り上げられたからといって、反応は特にないです。ただ、鶏を絞めるワークショップには来にくいけれど、カフェなら来やすいみたいで、フェイスブックなどで知って訪れる人が多いですね。と言っても新規の人は年間で50人くらいです。それくらいがちょうどいいかなと思うのは、あまりカフェに構うと他のことができないからで、誰も来ないのに常に開けるのは時間がもったいない。カフェは稼ぐツールではなく、この場所に来てもらうきっかけになるためのツールなので、そこそこでいいと思っています。

毎年1月発行の「いちまいのおさら通信」では、日々の活動の様子や循環型の暮らしについての考えなどを綴る

― やるべきことが他にたくさんあるということですが、季節ごとに傾注すべきことは違うのでしょうか。

12月から1月にかけては活動通信作りと発送作業、農閑期の2月には家族で1〜2週間ほど、友人や新しい技術や価値観に触れる旅に出たりもします。実家の葡萄畑を1反ほど担当しているので春以降はそれを中心にしつつ、その合間に田んぼや畑、鶏の世話、家の修繕、主催イベントの企画などをすすめています。今年は民泊取得に向けたリノベーションスクールの開催や、母校(鳥取県立鳥取中央育英)の非常勤講師や夏に3人目の出産があったりと、 忙しい1年になりそうです。

― 常に手を動かしているんですね。

そうですね。外仕事が続いて疲れ果てて「今日はゆっくり事務仕事や片付けでもしよう」みたいなのはあっても、世間の人たちのようなただ遊びに行くような休みはありません。自分にとって家を作ることも娯楽です。米作りもおもしろい。遊びが暮らしで仕事が遊びなんです。
でも飽きたり、別のことに興味は移ることはあります。ですので好きなことをするといっても、その年毎に違います。電気関係だったり農業だったり。その時にやりたいことをやっている感じですね。

― 幸田さんのメッセージの特徴は、「こういう生き方のほうがいい」と断定しないところです。

政治のあり方をはじめ、世の中のあらゆるジャンルに対して物申したいところはありますよ。でも、あまり真面目になりすぎると鬱になる。だからと言って、知らないでいいわけでもなくて、やはり知っているのと知らないのとでは違います。それに対してどうするかは選択の問題なんです。
「世の中がおかしい」と声高に言っても仕方ない。動画やパンフレットだとかで考えを表明しても、最終的には変わらないと意味がない。そのためのアプローチとして、僕は暮らしを楽しむことをしています。それで、「あ、こんな暮らしもいいかも」ってこっち側に来てくれないかなぁと。

幸田さんなりに社会にアプローチしていく手段として、今の暮らし方があり楽しみがある

自分でできることをやり、それを楽しむ。だから自分の食べる肉を自分で捌く。こういうのは、「社会的にいいこと」というより単におもしろいし、そういうことが言葉にせずとも伝わったらいいなと思います。
それぞれできることがあるし、僕のような暮らしがしたいと思っても各々のタイミングがあるから、「これが正しいからやった方がいい」という発信の仕方に労力を注いでもしょうがない。

― 「昔の暮らしの方が自然だ」と思うと、つい現代生活を否定したくなります。

自然エネルギーといえばクリーンに聞こえるかもしれないけど、自家発電するにも工業製品を使っています。今の時代を全否定はできないわけです。地球やエコのことを考えると、地球上で汚染を出しているのは人間だけなので、突き詰めれば人間がいなくなったほうがいいかもしれない。でも、それは極端に過ぎる。
今の時代の中で少しでもベターで、かつ持続可能な方向に楽しみながら生きられる道を模索しています。いつか「今までの暮らしがおかしかった」と気づくかもしれない。しかし、それがおかしいと分かったとしても、それじゃあどういう暮らしをしたらいいのか?が分からなければ、何も変わらない。
「自分のやり方 が正しい!」とは奢りたくないけど、そんな時に「こういう暮らしもある」と1つの選択肢を示せれたと思います。

― 好きなことで生きていきたい。それでは食べられない。そのジレンマを抱えている人に対してはどう思いますか。

「仕事をしながらだとできない、仕事があるからできない」と、仕事をいいわけにして「できない」という言い方をよく聞きます。
今の社会は夫婦共働きや定年後も働かせるような風潮ですが、本当にそこまでして仕事をしないといけないのでしょうか、生きていけないのでしょうか?本当に仕事が好きな人はいいですが、私のように価値観を他のところに置く人もいる。そういう人が自分らしい生き方として、好きなことを仕事にしたいという考えを持つと思うのですが、現実的にはお金がないと生きていけないし、好きなことをしたとしてもそれで稼げないと続けられません。
まずは、どう生きたいのか、何が自分らしさなのかをとことん追求し、今の自分と比較して、本当に好きなことを仕事にしたいなら、実際に行動してみて欲しい。
100%好きなことを仕事にしなくても、近年は半農半Xや、半都会半田舎みたいな柔軟な生き方も出来るようになったので、自分に合ったやり方を見つけるのが、リスクを下げる方法だと思います。
個人的には、もっとみんながチャレンジして、どんどん自分の生き方を実践する人たちが増えたら、田舎はもっと楽しくなると思うので、悩んでいる人には「まずは仕事を辞めたらいいんじゃない?」と声をかけています(笑)

― 自分の技で成り立つ暮らしの範囲であれば不安にならない?

そうですね。衣食住やインフラのように生きていく上で大事な部分も含めて、自分の暮らしの大部分が自分の技術でまかなえているので、この先、大丈夫だろうか?とは全く思わないです。

― 自分のできることが増えるとともに、こだわりたくなる技や愛着の募る道具などあるものでしょうか?

この壁一枚にも「あの人からもらって、あの時にみんなで貼ったなー」とか思い出があり、ひいてはこの建物全てが、さらにはこの暮らしの空間全てに愛着があります。なので特に「これ」というのはないんです。

取材したその日、上のお子さんとタイへ2人旅行に出掛けるという。軽やかな行動力に驚く

― だとすれば、ものづくりに関するクオリティをどこに求めていますか?

社会の評価にかなうような尺度は持っていません。自分が作りたくて作るから、売れるかどうかも気にならない。作ったものは自分のものだし、そこにクオリティを求めるとしたら、おもしろいか自分らしさがあるかです。これが家だと「いかに材料を買わずに楽しみながら必要なモノを作れるか」が自分のクオリティの基準です。お金を使わずに、人のネットワークで材料をもらって集めて、0円で家が建つなんてわくわくします。

― 自分でできるようになることが増える。そのことの方が技を極めるよりも楽しい?

そうですね。暮らしにはいろいろな技術が必要になるので、技をきわめてプロ並みの家が作れるようになるよりも、あれもこれもできたほうが楽しい。

家は床と天井と壁があって、雨風を防げるという機能さえあればとりあえずはいい。「いい加減」の精度でいいなら、精密にきっちり計らなくてもぱぱっと作れるのです。あとは壊れたらその時に直せば済むわけです。それを本当にきちんとしようとしたら、高い技術とものすごく時間も労力もかかるわけです。
といっても、風が吹けば倒れる建物では時間と資源の無駄です。家作りや自家発電にしても、ひとつひとつの技術が仕事として、頼まれるくらいの水準は目指しますが、そこから技を極めようと思いません。だから建物が建てられたらそれで終わり。次に移ります。やりたいことはたくさんあるので、極めるよりも他のことをしたい。
しかし、子どもが増えたら部屋も必要になるし、食べ物も常に必要なので、単に中心の興味がうつるだけで、頭の片隅にはずっとあって、ある時に閃いたり、別のモノとつながったり、急にやりたくなるような時もあります。
妻から「もうちょっと丁寧に作ったら」と言われますが、いい加減でもぱっぱと作るのは好きだけど、丁寧にきちんと作るのは面倒臭い。せっかちなんです。

暮らしていく上で必要な技術は、職業として専門的にする仕事とは違うものだと思います。でも、不思議とありがたいことにそんな私のいい加減?な仕事を気に入って、仕事として発注をかけてくれる仲間も多いのですが(笑)

雨の中、笑顔で見送ってくださった幸田さん親子

今年は鉄と土というテーマを持っていて、ストーブと土で出来たピザ窯を作りたいと思っています。特にストーブについていうと、売っているものは自分にとって最高ではありません。微妙に使い勝手が違ったりするから、何がぴったりくるかは自分しかわからない。だったら自分で作ってみればいい。今は拾ってきた鉄くずで溶接を練習しながら、土や煉瓦といった材料を集めつつ、設計と妄想を広げている最中です。
「自分で一通りのことをしてみる」そうすると何が自分で出来て、出来ないのか。好きなのか、嫌いなのか。ここはやるべきなのか、他人に任せた方が良いのか、みんなでやったほうがいいのか…みたいなのが、分かってきます。
人口が少ない狭い鳥取では、スモールな社会だからこそスケールを掴みやすい。そういう意味でも、鳥取はこういう実験的な実践をするにはいいんじゃないかと思っています。

写真:水本俊也

《終わり》


幸田直人 / Naoto Kota
自給自足な循環型の暮らしを実践・提案する百姓。廃品・廃材などあるもので家を作ってきた。カフェ「いちまいのおさら」オーナー、ケータリング、自家発電の施工なども行い、暮らしが楽しくなるような技術を研究・提案している。

いちまいのおさら
東伯郡三朝町坂本
090-7997-3321
http://jizokutottori.dokkoisho.com
watashino.kurasi@gmail.com
※完全予約制。お問合せのうえお出掛けください。

ライター
尹雄大

尹雄大(ゆん・うんで)

1970年神戸生まれ。関西学院大学文学部卒。テレビ制作会社を経てライターに。政財界、アスリート、ミュージシャンなど1000人超に取材し、『AERA』『婦人公論』『Number』『新潮45』などで執筆。著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『FLOW 韓氏意拳の哲学』(晶文社)など。最新著書『脇道にそれる:〈正しさ〉を手放すということ』(春秋社)では、最終章で鳥取のことに触れている。

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