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2018.4.6

川口淳平(鞄製造販売)#1
ひとりで完結することを目指した

工房を兼ねた店内にはカバンやベルト、籐細工が店の空間に必要な点数だけ置かれており、その整然とした空気は訪れたものにひとつひとつに眺め入る時間をもたらしてくれる。
米子市に店を構えるミントチュチュレザーは、皮革や帆布を素材にした飽きのこないデザインと長きに渡って使える、優れた質の製品を提供している。店主の川口淳平さんはその一方、松江藩に伝わる籐細工の技を引き継ぐ8代目の伝承者でもある。
時代に即したカバンを作りつつ、変化する時の流れの中で保たれる美をものに込めようとしている。まずはカバン作りに至った経緯から伺った。


― 店に展示されているカバンをはじめとした製品は端正で、しかもどれも使いやすそうです。皮革に興味を持ったきっかけを教えてください。

川口:そもそもの話をすると長くなりますが、藍染がきっかけでした。18から19歳にかけて受験勉強をしながら服屋でアルバイトをしていまして、ある日、天然の藍染のジーンズが店に入荷したんです。そのとき初めて藍にも天然とそうでないものがあるのだと知りました。「どうやったら染められるんだろう」と思っても、当時は1998年ですから今みたいにネットが発達していない。そこで雑誌で調べたりしているうちに徳島に藍染をしている場所があると知り、行ってみることにしました。

店舗の奥にある工房でお話を伺いました

現地では本格的な染めは体験できなかったけれど、簡易に染める染料が売っていて、それを使って布を染めているうちにおもしろさを感じて、しかもそれで革も染められることも知りました。革を染めてみたら何か作れるんじゃないかなと思ったんです。

― やりたいことを見つけてしまい、受験はやめたのですか?

川口:はい。その頃は、知っている人に会うのは職場の人か店に来るお客さんで、そこで僕の現状について言われたり聞かれたりして落ち込むことが多くて、そういうことが重なると外に出たくなくなってしまいました。かと言って、そのままではお金を稼げません。ふと「革でカバンを作るとかすれば、ひとりで完結するな」と気づいて、それを仕事にしようと思い、東京に出て材料や道具を買って独学で作るということをやり始めました。
でも、自分の好きなものは作れるけれど、人が買ってくれるようなものは作れない。それなら東京のカバンの学校に行こう。そう思ったんです。でも調べていくと靴の学校もあることを知って、靴にも興味があったのでそちらを受験したんです。そしたら落ちてしまいました。

作業には指にテーピングをして臨む川口さん

― カバンは本命というわけでは必ずしもなかったんですか。それからはどうしたのでしょう。

川口:浅草には道具をいっぱい揃えた店の並ぶ界隈があって、とにかくそこに住もうと思って上京しました。とりあえずハローワークで見つけた財布を作る会社に入ることができました。そこはアパレル会社からライセンス委託を受けて製品を作っている会社で、職人は10人くらいで親方がひとりいて、その上に会社があるという業態でした。
親方の腕はいいのですが、出社してみんなに指示をしたらいなくなる。学びたいことがあるのに姿を消すのを何日も繰り返していたので、周りの人に理由を聞いたら「お酒を飲みに行っている」とか、いい加減なことをしていることがわかりました。親方には、いずれ独立したいことも伝えていたから、それでは困るわけです。
入社して2週目くらいに社長に直談判したら、「親方はいないと困るけれど、君はいなくてもいいんだよ」と言われたので辞めました。その一件で自分はやっぱり人と合わないし、合わせることができないんだなと思い、それからは自宅に籠りました。

工房の棚には、工藝やデザインなどに関する本が並ぶ

― 自宅を工房として独学で実際に作り始めたのですか。

川口:はい。その時には妻と出会っていて、彼女は外で働き、僕は自宅の工房に籠る。そういう生活をしながら「こういうものだったら売れるんじゃないか」と試作を続けていました。やがて革のことをもっと知りたいと思い、今度は主に豚の革を鞣す工場で働くことにしました。

― 革はどうやって鞣すのですか?

生の状態を革に変えるのが鞣すという工程で、この加工をしないと腐ってしまいます。今は薬品で鞣すのが主流で、昔ながらの方法だと木の中に含まれているタンニンを使います。僕の入った工場は半分は化学薬品、残りは自然由来のもので行っており、両方を見ることができました。人付き合いに不満は感じなかったんです。でも、6月で入社し8月で辞めました。

店内を自由に動き回る艶やかな猫たち

― 何が原因だったのでしょう。

川口:そこでは「アイロン」といって革を平らにする作業をしていたんですが、部屋の温度が40度を超えており、暑くてどんどん痩せていきました。食事をしても追いつかない。僕だけでなく、みんなもガリガリに痩せていて、おまけに仕上げに使う塗料にシンナーを多用するから、歯がボロボロの人が多かった。このままでは自分もそうなるし、ともかく体力がついていかない。結局は再び自宅に籠ることになりました。

工房からの眺め。木漏れ日が気持ち良い

― それから米子で店を持つまでにどういう経緯がありましたか。

川口:2000年に起きた鳥取県西部地震の際、ちょうど米子の妻の実家にいて、家中はぐちゃぐちゃになったけれど幸い怪我はありませんでした。当時、東海地震が来ると言わており、考えてみると僕が住んでいた東京の小菅は住宅密集地で、規模の大きい地震なら死ぬかもしれない。鳥取なら地震が起きたばかりだからすぐには危ない目には合わないだろう。そこで鳥取に移ろうと思ったものの、やはり妻の実家なのでためらいがありました。だから祖母の家にとりあえず住もうと思ったら、そこで芸予地震が起きたので、やっぱり米子にしようと広島を引き払いました。

― カバンの学校もそうでしたが、常に最初の選択に戻るよう現実が訂正を加えてくれる感じがします。それからは再び自宅で製作に励んだ?

売れるものを作りたい。何が売れるのだろうと自分なりに考えて作っていました。僕としても飽きないことならずっと仕事にできると思ったし、それに買う人もシンプルで長く保つ方がいいはずだ。そこでカバンに関する古い資料をいっぱい集め、古いカバンも見て、「こういうものがあるから飽きちゃうんだ」とか「こういうデザインは世代が変わると使わなくなるんだ」と統計に近い感覚で見ていました。

凛としたたたずまいの鞄たち

― シンプルで長持ちするカバンを作る上で参考にしたものはありましたか?

企業としての運営のあり方や値段はともかく、作り方とデザインだけで言えばエルメスが優れていると思いました。資料を集めて調べたら、エルメスの革は化学染料で染めはしても、ほぼ手縫いという原始的な作り方をしているのがわかりました。
デザインは好きだけど革はそれほどでもない。それならまずはこういうデザインができるようになればいいんだと、エルメスを手本に作り始めました。モノは買えないから店で見て、または写真を見ては「縮尺から考えてここは◯センチだな」と繰り返しているうちに、なんとなく同じようなものが作れるようになりました。
けれども、コピーを売ってもしょうがない。知人でバーキンのコピーを作っている人がいました。と言っても偽物ではなく、それっぽいデザインでバーキンを買えない人のために売られているれっきとした製品です。

いい悪いではなく、そういう仕事が依頼されるから作る人もいます。ただ、僕はそれは違うなと思ったし、そろそろ自分がいいと思うデザインを作ろうと決めました。
その頃、ちょうど今の場所に店を開いたので、その宣伝も兼ねて展示会を三日間行うことにしたのです。すると、けっこう注文をいただいて、店にもお客さんが来てくださるようになりました。

― 幸先が良いスタートです。

ところがカバンがほとんどできないし、いくらやってもお金が残らないんです。

写真:水本俊也

《つづく》


川口淳平/Junpei Kawaguchi
1998年、広島県三原市で鞄の製造を始める。2006年、鳥取県米子市でミントチュチュレザーを開店し現在に至る。

ミントチュチュレザー
米子市米子市上福原3丁目8−7 Nハウス102
0859-32-8650
営業時間:13:00-19:00
定休日:水曜日 その他展示会などでお休みすることもあるので確認の上お出掛けください。
http://www.mint-chu-chu.com/
mail@mint-chu-chu.com

ライター
尹雄大

尹雄大(ゆん・うんで)

1970年神戸生まれ。関西学院大学文学部卒。テレビ制作会社を経てライターに。政財界、アスリート、ミュージシャンなど1000人超に取材し、『AERA』『婦人公論』『Number』『新潮45』などで執筆。著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『FLOW 韓氏意拳の哲学』(晶文社)など。最新著書『脇道にそれる:〈正しさ〉を手放すということ』(春秋社)では、最終章で鳥取のことに触れている。

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